哲学の科学

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モブのボスはモブなのか(1)

2019-05-25 | yy69モブのボスはモブなのか

(69 モブのボスはモブなのか begin)




69 モブのボスはモブなのか? パワーとガバナンス

子供に人気のビデオゲーム、マインクラフトでは、モブというのは人工知能を備えて自律的に動き回る対象のことです。プレイヤーはクリックしてこれを殺したり、逆に殺されたりして遊びます。モブの中で特別に体力が高いものをボスモブといい、倒すのは難しいが倒せば高得点が得られます。
ゲームの外の世界でモブというのは群衆です。一人ひとりは自分勝手に生活していてミクロな単位で社会経済に影響を及ぼしています。しかし無数の群衆の勝手な行動の総和が経済を動かし、国を形作り、歴史を作っていきます。
モブは無自覚無目的で、目の前の自己利益だけを夢中に追求していきます。
実際の人間一人ひとりは世界全体に匹敵するほど複雑なシステムですが、マクロに俯瞰する場合、その行動の総和は、たとえば消費増税に追随する景気後退というような経済変数でしかありません。そのような変数に集約される行動モデルは、いかにも人工知能で作れそうです。
資本主義システムでは、自由なモブの自己目的な営利行動の結果、マクロ的に経済が変動していく事になっています。
ゲーム内のモブは自律人工知能でランダムに動き回り近傍のモブやプレイヤーを殺したり体力を奪ったりしますが、現実世界の群衆は、互いに競争したり協力したり、買ったり売ったり、貯めたり借りたり、会社を作ったり会社に雇われたりして、経済を回転させています。
現実世界のモブは与えられたシステムの中で自己利益を最大化する行動を取ります。そのために周りの環境の変化を予測し行動の得失を計算します。しかし、それがする予測計算はしばしば間違っています。
予測のために情報を収集しますが、結局はその情報を操作するマスコミや政治家や官僚などエリート層によって統制されている、と見ることもできます。
エリート層はモブの安全と福祉を守る役割を担っている事になっています。彼らは、実際は、国家を安全に維持するためにモブを情報操作することによって統制している、と思われています。





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翼ある蛇(7)

2019-05-18 | yy68翼ある蛇

私たち現代人にとって、地球の歴史、生物の歴史を知ることは必要なことである。地球の過去を知り、DNAの進化実態を知ることは重要なことであり、それを研究する科学者が活躍していることを知ることはさらに重要なことである。その目に見える成果が、イラストに描かれるケツァルコアトルスの飛行であるとすれば、その超歴史的事実を知ることは私たち現代人の生活にとって必要である。その必要からこの翼竜の概念は現代人の知識として存在するのである、といえます。

数千万年の間にはDNA分子配列は分解してしまいます。しかし古代生物のDNAを現在の生物の持つDNAから推定する計算法が最近、開発されてきています。たとえば翼竜と共通祖先を持つ現存の動物、つまり鳥類、ワニ類、カメ類、のDNA配列を比較し、共通祖先のDNAを推定できます。相当程度の誤差が含まれますが仮想のゲノム群が得られる。この仮想のゲノムをシミュレーション上で一億年も進化にさらせば、そこに出現可能な無数のゲノムの一つがケツァルコアトルスのゲノタイプである、といえます。
進化にさらす、と一言でいえますが、コンピュータシミュレーションなどでこれを実行できるのか?理念はわかるが、実際どうすればよいか、現代科学の知識では無理でしょう。しかしゲノム編集技術は着々と進んでいます。作った遺伝子を胚細胞に挿入して表現させる技術も出てきています。
現存する生物の祖先を再現することは、いつかは、可能になるでしょう。ではゲノムが失われ化石しか残っていない絶滅古生物を再現することはできるのでしょうか?それは、まさに、人工生成した生物ゲノムを進化にさらす必要がある。歴史の早送り機のような発明品ができるのか?ドラえもんの世界(進化退化放射線源など)です。
近い将来を予想すれば遺伝子進化を再現する方法は無理です。完全なゲノムを再現することはあきらめて、絶滅動物の生活から推定される機能要求から身体の表現型を再現する研究が、さかんに進められるでしょう。
翼竜の場合、空を飛んで暮らす、という特殊な機能要求が課されているので、身体の構造や卵からの発生発育の過程がかえって分かりやすい、と考えられます。翼はどうなるか、軽量化はどうなるか、採食、気候対応、生殖、成長過程、繁殖効率などの考察から進化の過程を推定する研究が可能でしょう。
それらの膨大な研究努力が結実したとして、得られるものは確かに飛行する爬虫類でしょう。それはケツアルコアトルスよりも大きいものかもしれない。形はそっくりかもしれません。しかし実在した生物ではない。つまりケツアルコアトルスは永遠に失われた世界のものです。過去とは、ふつうそのようなものでしょう。■



(68 翼ある蛇 end)





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翼ある蛇(6)

2019-05-11 | yy68翼ある蛇


人々が生きるためには雨期が始まることが必要であるから、その目的を持って、翼ある蛇の神は存在したのでしょう。古代メキシコの人々が雨期の到来を懸命に祈るとき、この神は絶大なリアリティをもって存在した、と思われます。

さて、次に、翼竜ケツァルコアトルス。この私たちの巨大翼竜は、いかなる存在であるのか?この古生物の存在は、私たちの生活にいかなる必要があるのでしょうか?
全然、必要ありません、という答えが圧倒的に多そうです。
以下、拙稿の見解を述べます。
七千万年前のこの古生物は、現代の私たちが獲って食べる事もできませんし、動物園で見物することもできない。イラストや模型で見るだけでしょう。化石も、写真や型取りコピーの展示で身近に見ることができますが、ぐしゃぐしゃに潰れた骨の断片のようなものを、素人の私たちはどう見ればよいのか、よく分かりません。結局、ケツァルコアトルスという聞き慣れない名称を言われても、あまり実在感はありませんね。
しかしケツァルコアトルスは大きい。こんなに大きな爬虫類が空を飛んでいたのか、と素直に感動します。そして、この強大な生物も絶滅したのか、痕跡もわずかしか残っていないのか。生物という存在のはかなさ、悲しさをも感じます。
子供ならば、本物を見たい、飛ぶところを見たい、と思う。大人ならば、子供に実物大模型を見せてやりたい、と思います。これが翼竜か、ケツァルコアトルスという名がついているのか、と思って、模型をながめる。名を覚えたいと思う。すぐ忘れるかもしれませんが。
こうして、人々は化石の意味するところを理解します。
七千万年前の地球にも今日と同じくらい豊かな生態系があった。食い殺したり食い殺されたり、にぎやかな弱肉強食の世界があった。食物連鎖の頂点には、現在の動物よりも遥かに大きな動物が跋扈していました。制空権をも獲得していた。その事実は科学によってはっきりと解明できます。
このような科学を理解し、地球の歴史を学ぶことは、私たち現代人にとって必要なことであるらしい。もしそうであれば、私たちのその必要のために、ケツァルコアトルスは七千万年前の地球に存在したのである、といえます。








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翼ある蛇(5)

2019-05-04 | yy68翼ある蛇


巨大なケツァルコアトルスは何のために存在していたのだろうか?何を思って白亜紀の大空を飛んでいたのだろうか?詩的な謎です。しかしダーウィンに言わせれば、愚問ですね。この巨大な形体が白亜紀当時の生態系の頂上に座ることができたからそれは存在していたのである、という回答が正しいことになるでしょう。
時代が進むにつれて、採集される化石標本が多くなり、分析技術は向上し、古生物の身体解剖知見と生態はますます明らかになってきます。百年前には空想の動物としか思えなかった巨大翼竜が、その科学的情報が蓄積されるにつれて存在感が強まり、今やそこに生きている動物のように感じられます。画像の解像度が上がるほど、リアルさが出てくることと同じです。

さて、古代メキシコ人たちにとってのケツァルコアトルの神の存在と、現代の私たちにとってのケツァルコアトルスの存在とはどう違うのでしょうか。いずれも、想像上の動物(あるいは神獣?)です。数百年前までは、ケツァルコアトルの神の存在感は強烈でした。現代、翼竜ケツァルコアトルスは古生物としてしっかり存在しています。

翼ある蛇の神、ケツァルコアトルはそんな神様がいるらしい、とアステカ人たちが思っていた、という意味で存在していました。十五世紀のスペイン人征服者とキリスト教の侵略は、この存在を完全に消滅させました。現在、私たちがこの神格を知っているのは、二十世紀前半メキシコで原住民文化復興運動(インディヘニスモ)が盛んに行われた結果といえます。
この神格は、風と雨をもたらし穀物を実らせる大空の象徴であり、嵐を起こし雨期を開始するとされていました。農耕に不可欠の雨期を開始する重要な神であったようです。
人々の生活に必要であるからこの神は存在する。アリストテレスがいうように、物事は必要があるからその必要を目的として存在する、ということになります(拙稿24章「世界の構造と起源」)。







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