(38 貨幣の力学 begin) 38 貨幣の力学―お金はなぜ力なのか? 金の力には逆らえない。地獄の沙汰も金次第。金さえあれば何とでもなる。世の中、金だけじゃないですか? とよく言われます。まことにその通りなのでしょう。
東京都知事が、選挙の前に理由不明の現金を受け取って公表していなかったことが判明して辞任に追い込まれた。お金は重要なものであるからそれに関する不正は許されません。
金より大事なものがある、と若い頃は威勢の良いことを言ったりしていても、年をとって家族ができてくると、そうも言っていられなくなる。なんとなく品が良くない感じがするから、お金が大事だ、と声を大にして叫ぶことはしませんが、大事ということは間違いなさそうです。結局まず金が欲しい、金さえあればなあ、となります。
さて、金の力を金力という。まさに力そのものという感じがします。しかし、まさかこれは物理学で習った力学の力と同じものではないでしょう。しかしながら非常に似ているところがある。まず、人を引っ張る。力学の力、例えば重力は坂道を歩いている人を下の方に引っ張ります。時に落とし穴に落とす。金も、人を引っ張り引きつける。時に落とし穴に落とす。
就職するときは給料が高い会社に学生は集まる。生涯賃金にはっきり差があれば就活は、もう決まりです。婚活だって、旦那の生涯収入で決まるという説は説得力がある。金の引力、というような感じです。
うっかりするとお金の話は、なにか身も蓋もない、味気ない話になってしまいますね。
しかし一方、カール・マルクスが言ったように、インフラストラクチャがスーパーストラクチャを決する(一八六七年 カール・マルクス『資本論 』既出)。つまり人が物事の理屈を考えるときは、そう考える方が自分にお金が手に入りやすいような理屈を考える。そう考える方が正しいのだというふうに考える。
皆がそうするからモラルも法律もそういう理屈でできている。だから金の力はうまく理屈に隠されてもっともらしい常識に埋め込まれていく。うまくそうなっていけば、世の中が世知辛いということはあまり感じられなくなって、人に感謝される人は当然尊敬を集める、とかいうもっともな話になっていきます。
かように直接的にあるいは間接的に、お金の力はすべての人を支配していく。
お金持ちにとってはお金が力を持つ世の中はとても心地良い。お金がない人々にとっては不快です。しかし今お金がなくても近いうちにお金をたくさん持てるようになるならば、まあいいか、となる。現代は、だいたい、そうなっています。だれもがお金を手に入れることができそうな社会は不満が少なくなる。そして社会は安定する。
社会はそのように進化するのでしょう。現代社会は昔の社会よりも暴力や殺人が少ない。いろいろ不満があっても人を殺したくなるほどではない。というところにも、お金(経済学では通貨という)の力は働いています。
お金が力を持つ時代は案外いい時代なのではないか?お金に支配されるほうが、他のもの、たとえば暴力団とか独裁者とか秘密警察とか教条主義集団とかに支配されるよりましなのではないか、と思われます。
お金に支配される場合、それが直接的な支配ではいささか(というか時に熾烈に)世知辛いが、間接的な支配になってくれば、けっこう心地よいのではないか?税金は嫌がられるけれども新聞、雑誌、テレビの広告やインターネットなどの間接的集金システムがそれほど嫌がれていないところをみると、そんな感じがします。