哲学の科学

science of philosophy

デジタル その魅力と退屈(6)

2021-11-29 | yy80デジタルその魅力と退屈


たとえばスマホで新しい人生を開くことができるのであれば、それがあり得るでしょう。ユーチューブで自分が千倍に大きくなれるならば、新しい時代が来るのかもしれません。巨大サーバーをつないで高速データ処理を拡大すれば新しい世界があらわれるでしょう。
本当にそうであれば、それは時代を変革するといえる。デジタル革命といえるかもしれません。

ここまでの技術とシステムでその革命は可能なのか?
スマホとユーチューブとインスタグラムと、マイナンバーとメタバースのちょっと先にその世界はあるのか?
それともそれはちょっとではなく、ずっと先の時代、家事ロボットが家電店で買えるくらいにデジタル技術が発達する必要があるのでしょうか?

いまこの国でデジタルが注目される理由は、グローバルに展開する情報産業の巨大化と行政のデジタル化による福祉安全のインフラ効率化、特に中国をはじめとする東アジア新興国のデジタルシステムの成功に比較される日本の国力低下への危機意識でしょう。
前世紀後半、バブル崩壊してから、じりじりと世界的発展に乗り遅れて陳腐化したこの国の行政サービスと産業システムインフラの再構築は当然優先されるべきものです。しかしそのためのデジタル化が正しく進められたとしても、それで時代を変革する革命になるとは思えません。
だれひとり改革から取り残されないとしてもそれで個々人の人生が変わるわけではないでしょう。生活が便利になることで人は少しだけ幸せになりますが、新しい世界を見つけてそこに飛び込み人生をかけて夢中になることとは違います。






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デジタルその魅力と退屈(5)

2021-11-20 | yy80デジタルその魅力と退屈


最近あらゆる場面に出現しつつあるデジタルセンサー類。指タッチで動くデジタルシステムの中身は、当然コンピュータで動いています。だれがいつ、どこで、どのデータをタッチしたか?それが数値の列になって世界中から集められる。膨大なそれらの数値を超高速で適当に足したり引いたり掛けたり割ったりすれば世界の動きが出力されるはずです。多数の人の心が見える、伝わる。収集され、配布される。
そしてすべては記録されます。証拠が残る。事務が迅速簡便になる。透明になる。安全、確実になる。物とお金を確実に世界中に移動できます。
人々がそうしたいからそうなる。したいようにできる。そうであれば人々はその分幸福になっているはずです。

こうして、デジタル時代はたしかに来ました。しかしそれは何時代の後に来たことになるのか?
鉄道時代、電気時代が来て、自動車時代。続いて飛行機時代が来て、この次は宇宙時代というときに、デジタル時代が割り込んできたらしい。
ダイナマイト、鉄道、電気、自動車、合成化学は百年の間に目を見張らせる発展をみせ世界を変革し人々の人生を大変換しました。結果、人口は限りなく増え平均寿命は延びました。単純にいえば、人類は発生以来、最高の幸福期に至った、といえます。
さてしかし、デジタルはさらに人類の幸福を加速することができるのか?
自動車や電気を使いこなせるようになったとき、人間はひとりひとり、力が百倍になったような気がしました。新しく出現したそれを使うことで元気になり、新しい人生を見つけ出しその新しい世界で頑張りたくなりました。
今の時代、デジタルは人間を元気にすることができるのか?











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デジタルその魅力と退屈(4)

2021-11-12 | yy80デジタルその魅力と退屈


こうなると、デジタルが日常生活の場をも徐々に侵食してくることは防ぎきれない。なにもかもコンピュータに取り込まれ、人間はデジタルモニターに出力される数字やパターンを眺めていればよい、となります。
そうなって改めて考えてみると、人間というものは、そもそも、アナログな存在ではなくて、デジタルなものなのではないだろうか、と思いたくなります。もしかしたらデジタルこそが世界の本質であって、アナログはデジタルの幻影にすぎない、のではないだろうか?
人間の脳が神経細胞のオンオフで動いていることからして、すべての感覚や思考は脳内のデジタルデータで表現されているはずです。そうであればアナログ表現はデジタルデータを簡約したような、平均曲線でなぞったような存在ということになります。
世界の本質がデジタルであるとすれば、高性能なコンピュータの出現により物事元来の生のデジタルデータがそのまま処理できるようになってその出力が人間の目で見えるようになった、ということか?これが自然現象の模擬なのか、あるいは模擬ではなくて、これが生の自然そのものなのでしょうか。
たとえばデジタルとはそぐわない最たるものであると思える私自身の手足。もしかしたらこれもデジタルでできているのかもしれません。指はラテン語でデジタス。だからデジタル、とはジョークですが、これ全く冗談ともいえません。
たとえば、動物の五本指の発生起源は、最近の生物学では、デジタルシミュレーションで解明されています。コンピュータ科学の始祖の一人であるアラン・チューリング(一九一二年-一九五四年)が提唱した生物パターンチューリングモデルによる骨格や組織の発生理論(二〇一〇年 近藤 滋、三浦 岳「Reaction-Diffusion Model as a Framework for Understanding Biological Pattern Formation」)にもとづいて、胎児の手足が体幹から伸びてきて五本の指ができるまでのシミュレーションが多く作られています。











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デジタルその魅力と退屈(3)

2021-11-06 | yy80デジタルその魅力と退屈


そもそもアナログがすべての始まりでデジタルは後から来た、となっています。新しく台頭する成り上がり者はどこか怪しい、危ない。という感覚が我々アナログ世代にはある。若い世代ほどデジタルにどっぷりつかっています。コンピュータが気味悪い、という感覚は今の若い人にはない。四六時中デジタルをしていればデジタルが本物と思うようになるのは当然でしょう。
では、しかし、本当にデジタルが本物なのか?昔の人はコンピュータがなかったからアナログな計算尺で設計することが最先端技術と思っていました。今は最初からコンピュータで設計します。
アナログはいまや不便の象徴です。世界は実はアナログでできているが、コンピュータを使えるデジタルのほうが便利だからデジタルになっていくのか?いや、そうではなくて、実はもともと世界はデジタルでできているのではないのか?
前世紀の初めころ、量子力学がつくられたころ、似たような議論がありました。物質はアナログな波動なのか、それともデジタルな粒子なのか?結論として、原子より小さい世界ではデジタルなモデルを本物とするほうが実験を説明しやすいから正しいとしよう、ということになった。
しかし巨視的な人間の日常生活の場では量子力学の計算は超複雑すぎて実行不可能。そこでは科学としても従来のようにアナログでものを取り扱うしかない、ということになりました。
その後、アナログの領土はじりじりとデジタルによって侵略されていきます。生物学の世界観でも、物事は分子単位、細胞単位の相互作用で決まっていく。つまりアナログではなくてデジタルである、となる。
脳の構造機能も細胞単位。したがって人間の精神世界も結局はデジタル、というのが現代科学の世界観になりつつあります。科学の風景でも、流量計や濃度計を使って装置を組む実験に代わってコンピュータシミュレーションが解析手段の主流になってきています。









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