目的のない人生が正しいとすれば、目的を持たされてしまう状況を避けなければなりません。たとえば、結婚、出産、就職。
社会に出たとしても、野心を持ってはいけません。大出世、大投資、大入札、オークション、政権奪取などを目指してはいけない。
会社買収、不動産取得、馬主になる、畜妾、テレビセレブ。なれればうれしいが、その後毎日、人生が非常に面倒です。それらのコミットをすればそう簡単に投げ出せない。もう逃げられません。結局、忙しくて惰眠など全然できなくなります。
これ、そうなれれば幸せ、と言えばたしかに幸せですが、なにかむなしい。なぜむなしいのかわからない。邯鄲の虚無のようなものがいつもちらつく。単純な惰眠のほうはコミットがない分、むなしさがはっきりしてよい、ともいえます。
ベーシックインカムを獲得できれば、あとは惰眠。というのが真実かもしれない。もしそうであればそれを本気で実現する政権は亡国の英雄でしょう。■
(86 惰眠する人々 end)
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こうなると世の教えである勤勉、真面目、地味にこつこつ。というのは間違いかな、という気になります。やはりいつも惰眠していてときどき宝くじ。などというのが真の生き方かもしれない。簡単で楽そうだし、と思えます。
それでは発明も技術革新もできないでしょう。そうかもしれないが、それらはどこかから出てくる天才に任せて、私たちは天才の邪魔をせず成果だけをいただけばよいでしょう。
つまりベーシックインカムのような仕組みに入り込んであとは惰眠をむさぼる。これが理想の人生、ということでしょうか?人生に目的などない、とすれば。
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目の前の、手を伸ばしてつかめるところに目的物があれば、いっぱいに手を伸ばします。目的物があっても宇宙のかなたであれば一瞬にしてあきらめる、というか、無視して惰眠を決め込む。これは動物として健全な行動パターンです。惰眠して邯鄲の夢を見ていればよい。簡単ゲームをしてもよし。
惰眠の連続で人生を終わることを酔生夢死と言います。 雖高才明智膠於見聞酔生夢死不自覚也(一一世紀前期 程顥「程子語録」)
生活に目的がある。子を産んで育てる。家を建てる。仲間と商売を始める。競争して入賞する。そのプロジェクトの成果が目の前に見えるとき、惰眠はしません。それがまったく見えないときは惰眠することが当然でしょう。
やることがないから惰眠する。
やることはあるが面倒だからそれは簡単にこなしてあとは惰眠する。
「私は怠け者を選んでむずかしいことをさせる。なぜなら怠け者というのはそれを簡単にすます方法を見つけるからだ(ビル・ゲイツ)」
昔、ハーバード大学院の計算機室で一緒に順番待ちをしていた少年のような学部生がITの王者になるとは思いませんでしたが、そういえばどこかずば抜けた雰囲気を持っていましたね。
むずかしいことを簡単に考える、ごろ寝奉行(二〇〇〇年 ジョージ秋山「浮浪雲65」)。権力を持つので公務は適当にこなすが、いつも面倒がる。明るいニヒリスト。正義感はあるがそれを見せないふりが好き。仕事を怠ける官僚を一種の理想として描いています。
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人生の入り口に激しい競争がある。未授精卵に殺到する精子の群れのイメージです。
結果的に一匹の精子が卵子に侵入すると残り数億の精子の努力は無駄になります。これではあきらめて惰眠を決め込む精子がいてもしかたがない、という気がします。
しかし宝くじ売り場にはしばしば長蛇の列があります。これ仮に抽選日が三十年後であれば一人も並ばないでしょう。今週の金曜日に当選発表だから並んでも買う。
自分の当選が幻想であることは誰も知っています。知っていてくじを買う。外れれば惰眠する。この繰り返しでもよい。ときには買う。ささやかな幻想に酔う。外れを確認してやっぱりと思う。人生はそんなもの、と確認します。
動物は夢を見るか?人工知能は夢を見るか?見ないでしょうね。惰眠しないものが夢を見ることはありません。惰眠のほうが、覚醒よりも真の人生かもしれない。黄粱一炊の夢。
粟粥を炊く間に惰眠するのもよし。
盧生欠伸而悟見其身方偃於邸舍呂翁坐其傍主人蒸黍未熟觸類如故生蹶然而興曰豈其夢寐也翁謂生曰人生之適亦如是矣生憮然良久謝曰夫寵辱之道窮達之運得喪之理死生之情盡知之矣此先生所以窒吾欲也敢不受教稽首再拜而去(七八一年 沈既済「枕中記」)
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老荘思想は昔から日本では好まれていて原典から取った四字熟語がよく引用されます。無為自然、和光同塵、万物斉同、上善如水。昭和のころまでは日常会話にも使われていました。
つまり何もしようとせず自然に任すのが良い、という消極主義の言い訳に利用されました。たとえば、何もしないことが一番良いのだ、という無為無策戦略を政治家がとる場合、ふつう評判が悪いですが、後世では評価されたりします。
戦争を避け経済最優先でイギリスの繁栄を招いた初代首相ロバート・ウォールポール(一六七六年―一七四五年)。植民地拡大に反対し経済優先を主張した石橋湛山(一八八四年ー一九七三年)。どちらも戦争を避けるばかりの無為無策大臣といわれました。後世の評価はどちらも高い。
日本では昔から、地位の高いえらい人はきれいごとをいう他、寝ていればよい、という思想があります。この国では本気でこれを実行する社長や政府高官や大先生が現代でも結構いるようです。
昔、国際宇宙連盟の会長指名委員をしたことがありますが、会長の任務は何か、という話題になり、イタリア代表が「just enjoy high position」と冗談を言ったので筆者が笑ったところ、カナダ代表がムッとした表情でノーと言っていました。このカナダ人は三年後に会長になりました。
熾烈な受験競争に疲れた若者は惰眠を決め込む。中国の若者に広がる「寝そべり族」。似たような傾向は現代日本にもあります。競争する人生に疲れた、ということでしょう。それも社会人になる前からです。
一口に大学受験の弊害という前に、なぜ苛烈な受験競争があるのか、という現実認識に原因がありそうです。
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(86 惰眠する人々 begin)
86 惰眠する人々
惰眠をむさぼる、という。
たまには惰眠をむさぼりたいな、と思ったり、いや今の自分は何も本気でやる気がでないから、惰眠しているのと同じだろう、と思ったりします。惰眠を謳歌する、とうたったボーカロイド作家もいます(二〇一七年 カンザキイオリ「命に嫌われている」)。
座布団を二つ折りにして寝転がっている。昼間から。野比のび太のように。いやのび太は小学生だから良い。大学を出たいい大人が、することもない場合、ニートといわれます。
百年前のインテリは高等遊民と自称してろくに仕事もせず難しいことを口にしながら結局は惰眠していた人がかなり多かったようです。「なぜ働かないって、そりゃ僕が悪いんじゃない。つまり世の中が悪いんだ。」(一九〇九年 夏目漱石「それから」)と言い訳していました。
只飯が大好きなスヌーピーに似ている。いつもは寝転がって高尚な哲学を考えているが「お食事」と呼ばれるとすっ飛んでいきます。「僕は今寝ているが、それは、明日になれば偉大なことをしなければならないかもしれないからなのだ」Sleeping again ?? https://thecuriousbrain.com/?p=38382)。
高学歴でもワーキングプア。百年前からあります。
「生きるための職業は魂の生活と一致するものを選ぶことを第一とする。しかれざれば全然魂と関係のないことを選んで、職業の量を極小に制限することが賢い方法である。魂を弄び、魂を汚し、魂を売り、魂を堕落させる職業は最も恐ろしい」(一九一四年 阿部次郎「三太郎の日記」)
オタクは惰眠する暇人に似ていますが、実際は趣味の追求で、かなり忙しく、あまり惰眠しないようです(二〇一九年パトリック・ガルブレイス「オタクと想像力の追求Otaku and the Struggle for Imagination in Japan」)。
不出戸知天下不闚牖見天道其出彌遠其知彌少是以聖人不行而知不見而名不爲而成(紀元前四世紀以降 老子「道徳経」)
家を出なくても世の中を知っていることはできる。窓から覗かなくても空があることは分かる。むしろ遠くへ出かけるほど物事を理解することが少なくなる。聖人は何もしないことで何事もなすことができるのである。老子がそう言っています。(拙稿62章 「探検する人々」)
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