哲学の科学

science of philosophy

オフィスの美しさについて(4)

2018-12-29 | yy66オフィスの美しさについて


交通が便利で地名にもブランドのある美しいロケーション(つまり地価が高い土地)にオフィスを持ちたい、という社長の思い。美しいオフィスで働きたいという社員の思い。それはだれもそうは言わない。そう言ってはいけないと思っています。経済原則だけを考えるべきです、ビジネスマンである限りは。
しかし、実際、有名企業のオフィスは非常に美しい。都心的景観も、施設も設備も、人々の服装も、立ち居ふるまいも、言葉づかいも。
ガードレールがはげているような郊外の街角とは違う。都心のオフィスの内部は清潔で美しい。必要以上に美しい。無駄に美しいのではないでしょうか?
経済学的観点からみれば、オフィスはそのコストに比して所得が最大になるように美しいはずです。無駄に美しいオフィスは、コストに比して所得が小さくなってしまうでしょう。
オフィスが美しければ、そこを仕事場としている人たちの仕事の効率が上がり、意欲が上がり、また自尊心が高まります。能力の限りをつくして成果を出してくれるはずだ、と思われます。顧客の信頼度もあがる。同業者や銀行や株主の評価も高めに維持できます。
そうであるから、オフィスのビルは壮麗であり、床はクリーンであり、デスクのほこりは払われ、空調や照明はきちんとしている。レイアウトは美しく、窓からの眺望は気持ちよくなければなりません。しかし一流企業のオフィスは、美しすぎるようなところが多々ありますね。







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オフィスの美しさについて(3)

2018-12-22 | yy66オフィスの美しさについて


まあしかし、所得を生み出さなければ仕事とはいえませんね。だれかがお金を払ってくれなければ、オフィスに集まってパソコンを打っていても意味ない。学校ではないのだから。
オフィスは、しかしながら、ちょっと学校に似ている。学校でも机と椅子がある。かなり長い時間そこに座っていなければなりません。近頃の学校は、机の配置もいわゆる黒板のほうを向いた学校式ばかりでなく、アイランド形式にグループごとに座って班長が仕切ったりしています。
学校では、もちろん、学力や社会性を身につけることが目的となっています。しかしここでも、オフィスの場合に似ていて、毎日定時に決まった部屋(教室)に集まって決まった席につくことがとても重要だとされているようです。そこでは制服を着る。
制服なしの学校も多いですが、もともとは制服を着ていたのが廃止したところが多い。制服なしの場合、服装はまったく自由かというと、色の規制であるとか、スカートの長さであるとか、逆に非常に厳しい場合がよくあります。つまりオフィスと同じように服装でも同一性や規律を重んじる習慣があります。
オフィスは学校と違って、所得を生み出してそのコストを賄っている。いや逆に、所得を生み出すことを目的としてコストがかかるオフィスが維持されている、というべきです。社員も社長もその目的を共有しています。
しかしどこか、所得目的ばかりでなく、規律のある美しいオフィスを維持したいというひそかな思いがある。社員も社長もその思いを共有しています。






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オフィスの美しさについて(2)

2018-12-15 | yy66オフィスの美しさについて


アメリカのIT企業などではジーンズ・スニーカーになってきているようですが、半パンツにサンダル、はないようです。つまり結局は、どこかに線引があって、その線を超えてはならない、という緊張感が必要、ということでしょう。
きゅうくつでも規律はまもらなければならない。それはなぜか?
仕事だからでしょう。オフィスは仕事の場だからです。
仕事で忙しい、とか、仕事がなくて困る、とかいうときの仕事です。仕事で収入を得て生計を立てる、家族を養う。経済学的には、仕事は所得を得ること、ということになりますが、もう少し重要な意味合いがありそうです。
なぜ毎日定時にオフィスに集まって仕事をするのか?売り上げを得るため、つまり財やサービスを作るためだけなら、不定時でもよい場合も多い。集まらなくてもよい場合も多い。それでも仕事をする人々は定時にオフィスに集まります。
なぜか?逆にいえば、毎日定時に机と椅子のある特定の場所に集まることが、財やサービスを作ることよりも重要なのではないか?
財やサービスを作ることが仕事なのか?毎日定時にオフィスに集まることが実は仕事の本質なのではないのか?
机に向かって何か書類を書くことが仕事なのか?パソコンを打つことが仕事なのか?会議室に集まって議論することが仕事なのか?オフィスを使うことが仕事というべきなのか?






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オフィスの美しさについて(1)

2018-12-08 | yy66オフィスの美しさについて

(66 オフィスの美しさについて begin)





66 オフィスの美しさについて

拙稿本章で考えてみたいことは、オフィスの美しさです。オフィスは、ふつう、掃除が行き届いていて清潔です。廊下にゴミがおちていることはまずありえません。
デスクのほこりはふきとられています。そうでなくてはきちんとした仕事はできません。毎朝、掃除の人がデスクのほこりを拭いてくれています。自分で拭かなければならないオフィスも実は多い。とにかく机がほこりだらけでよいはずはありません。
オフィスは事務を執るところです。ホワイトカラーが仕事をする場所です。ラテン語のopus仕事facereする、という語源を持っています。ふつうデスクと椅子と書類棚がある。デスクの上に、昔はペンとインクツボがあった。今はパソコンとその電源。壁際にコピー機。今はプリンターですがEメールやクラウドが紙を駆逐するということなので、そのうち、なくなりそうですね。
インターネット、クラウドシステム、スカイプその他モバイル通信とリアルタイム動画通信が便利になって、いまやオフィスに常時在席する必要はないはずですが、ふつう名刺に刷った勤務場所に実際いますね。
日本式オープンオフィス、つまり顔を見せ合うアイランドデスクレイアウト。明日はなくなるといわれながらなくなりません。パーティション、パーソナルブースとうまく兼用あるいは折衷的に使われているようです。

オフィスは掃除が行き届いているばかりでなく。そこで働く社員の服装が実にきちんとしている。
昔は、男はスーツでネクタイ、女子は制服でした。少し前までは女性のキャリアはほとんどいませんでしたが、彼女たちは、多分私服のスーツだったでしょう。
オフィスでの服装は、ごく最近までスーツにネクタイ。現代はカジュアル、クールビズ、に移りつつあるようですが、求められているものは節度と規律であることは変わりありません。






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私はなぜ顔を洗うのか(10)

2018-12-02 | yy65私はなぜ顔を洗うのか


場合によっては、単語、映像、顔写真、音声、匂いなどが引き金となって過去の感情が思い出されるという自覚体験が起こります。これも客観的記憶を想起することで同時に身体の中に感情や感覚が再生成されてくることで記憶は主観的なものに感じられます。映画を見て、あるいは小説を読んだ場合でも涙が出てくるという人も少なくありませんが、そのエピソードが自分の体験とそっくりであれば、ますます強い感情が現れるでしょう。
現時点で感じ取れる自我意識は(私の内面で感じている)主観的部分をはっきりと含んでいますが、これが過去の自分が内面で感じていた出来事として記憶されるためには、強烈な身体の反射運動が起こって(膝が震えて転倒するなど、コンテキストを伴った)客観的に観察できる身体行動の記憶となるか、あるいは独語のような言語表現に変換される必要があります。
たとえば「はらわたが煮えくり返った」とか「背筋に寒気が走った」とかいうような身体反射として言語に変換される場合、(コンテキストを伴った)記憶ができあがり、そのコンテキストを想起することで感覚や感情が湧き起こります。そうでない場合、つまり無意識の弱い身体反射や習慣的行動あるいは言語以前のおぼろげな感覚や感情は、記憶されずに消えていきます。

近年、研究者の層が厚くなってきている脳神経科学、認知心理学などでは自我概念や記憶のメカニズムなどの解明を目指して種々の最新技法が開発されていますが、まだまだ実証科学の対象としては掴みがたい精神的領域でありつづけています。
いまひとつ、自我意識の存在問題が科学の対象として図式化できていないことの大きな原因は、これが伝統的哲学の心身二元論と絡み合うからです(拙稿14章「人類最大の謎」)。
私達自身がこれは主観的なものでしかないと分かってはいても、かなり強烈な存在感があると感じられる自我意識や激痛や神や悪魔などは他の人にも分かるはずだ、分かってほしい、客観的な存在のようなものではないか、と思いたくなります。その気持が人類最大の謎を呼んでしまう。科学者も人間である以上、必ずこれに巻き込まれてしまいます(拙稿34章「この世に神秘はない」)。
このように、方法論も確定しておらず、ひどくアプローチのむずかしい問題は、正面から攻めるよりも、時間をかけてでも、外堀の下を掘ったり、埋め戻したりして攻める方法がしばしば功を奏するようです。そのような回り道を使ってでも、いつか拙稿がいう自我意識の存在論が科学として記述される日を期待して本章を終えます。

今朝、私は洗面所で顔を洗ったはずだが、はっきりとは覚えていない。シャツはどこにしまってあるか、などと考えていたらしい。しかし、ひげをそりながら、この顔で外出しておかしくないか、とも、うっすらと、考えていたのでしょう。かすかに、そういう記憶があります。■






(65 私はなぜ顔を洗うのか end)












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