哲学の科学

science of philosophy

高齢社会の終相(8)

2024-09-28 | その他




末世思想の末路
少子高齢化、人口減少、国力衰退、若年世代の不活性、とマスコミの悲観論は続いていますが、マスコミ世論も、景気もファッションも、いずれ循環します。その原因は、簡単に言えば、飽きが来る、といえます。末世思想も長期にわたると退屈する、飽きが来ます。それが、悲観論の最期。末世思想の末路、でしょう。
今の高齢者層が消えた後、世代は交代し、新しい世相が現れてくるでしょう。まったく新しい、というべきものが出てくるでしょう。来るべき時代の風というものは、前の時代には想像もつかないものです。
高齢社会の終相、つまりパラダイムシフトの胎動が聞こえてくる直前でもあるかもしれない。それは今、どこを見渡しても、だれにも分かりません。

舵はすでに切られている
大きな船は舵を切ってからもほとんど進路が変わりません。あれ、舵を切っていないのかな、と思ったころゆっくりと方向が変わる。あまり急いで舵を切ろうとすると舵が折れてしまいます。
であるから、舵はゆっくりと切られる。だれが、社会のどこで、舵を切っているのかも見えない。切っているつもりの人も分かっていません。
一人ではなく、その船頭は数百人もいるのでしょう。船は山に登りつつあるのかもしれない。しかしたいていは、広いところに脱出していくものです。■

















(99 高齢社会の終相  end)





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高齢社会の終相(7)

2024-09-21 | その他


真の時代は近づく。悲観は間違いでしょう。
世界の生活水準は間断なく上がっていきます。日本も順位は下がっても、人口減少の割には最高水準の生活を維持している。平均寿命はさらに、困るほど、上がっていきます。であれば、毎日は幸せでしょう。
ごくまれな不条理に合わなければ、平穏。末世思想に染まらずに穏健な楽観を持つことができます。若い次の世代は、今の年寄りよりはましな生活になり、楽しい人生を送れそうです。
むかし語られた理想の社会は簡単には来ない。しかし、むかしからあったあの、激しい不条理はなくなってきます。マスコミが朝晩、深刻な顔で訴えている災害、貧困、犯罪、戦争、疫病などは、よくみれば矮小化してきています。
人生が長すぎて幸せすぎて、かえって貪欲になり、怠惰になる、ともいえる。退屈で死にそう、と言えばいえます。









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高齢社会の終相(6)

2024-09-14 | その他


欧米で発明された制度や新薬の利用を、この国の政府が許可するのが遅い、とマスコミはよく叱っています。その理由は、守旧派利害関係者の圧力や役人の動作が鈍いばかりではなく、この国のエリートが、保護者のごとく国民をまもっているからでもある,といえます。
逆に言えば、国民が、エリートに保護されることを望んでいて、マスコミがそれを代弁しているという関係でしょう。マスコミは、自分たちの生存のために当然の言動をしているだけなので、それ以上は期待できません。そうであれば国民が、だれかにまもってもらうだけで大丈夫なのか、と思うようになるのを待つしかありません。

日常の復活
エリートは安心安全を守ってくれるが、それ以上の夢は与えてくれません。子孫繁栄の夢もはかない。夢に希望を期待することは無理のようです。
あきらめて平凡に毎日を過ごす。それは別に嫌でたまらない、というほどのことでもないが、むなしさがつきまとう。高齢社会のむなしさ、でしょう。
夢ははかない。しかし毎日に不満はない。これは幸せということではないか。
今日という花を摘め Carpe diem. (紀元前二三年 ホラティウス{Quintus Horatius Flaccus}「頌歌」)
  風になびく富士の煙の空に消えて ゆくへもしらぬわが思ひかな
(西行 六九歳。一一八六年、東大寺大仏再興のための寄進を乞うため奥州藤原氏を訪問途上)
日常を真とした昭和の作家、夕べの雲(庄野潤三 一九八八年)。政治論争を真の精神生活とした前世紀のインテリ言論人の中で異彩を放っていますが、現代、高齢社会の終相においてはこの人が本物に見えます。
たとえば、料理と買い出しと近所付き合いだけに興味が集中している、かのように見える、あるいは、あえてそうしようとしている、富士日記(武田百合子 一九七七年)。日常が真の生き方です。








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高齢社会の終相(5)

2024-09-08 | その他


エリート優遇
大方の人に元気がないならば、少数のエリートに希望を持たせてがんばらせよう、というエリート主義があります。共産主義社会では国家エリートが優遇されて、科学や芸術、スポーツで国際的な活躍を期待されます。宇宙開発や高層ビル建設でもプライドは満たされます。
なんといっても、しかし、エリートから国全体に希望が広がるためには、経済の繁栄が一番大事でしょう。エリートが経営するエリート企業が活躍して、優秀な製品やサービスが行きわたり、輸出が増えて富が手に入れば、国民は幸福です。
企業のエリートが発明し工夫し、生産性をあげてくれれば、生活も豊かになります。政治のエリートが国民のために法律を整え、美しい秩序を維持してくれれば安心と安全を享受できます。エリートが作り出す希望を全体に敷衍するそういう体制を維持する国家はうまくいきそうです。
エリートを育成し優遇することが重要である、となります。明治の日本や共産主義最盛期のソ連や中国もそうしました。
自由経済を標榜する米国などは、実は、エリート優遇の最先端でしょう。自由競争を擁護するその体制で、新産業創業家のエリートは最大限活躍できるようになっています。インドもようやくそのシステムが回るようになってきたようです。
エリート優遇は、あからさまにすると、マスコミが嫌うので、言ってはいけないことになっています。エリート側は権力を握って、秘密警察でマスコミを弾圧するとか、それが評判悪いならばお抱えプロパガンダ専門家を雇ってコントロールするとか、しなくてはなりません。
エリート優遇はけしからん、と言っても言わなくても、現代社会がそれを使うシステムの快適さを享受しているならば、結局、そのシステムは利用され、その恩恵は敷衍します。エリートの活躍で楽観がいきわたって生活の底があがればよし。世界は、幸福を目指して進んでいます。
そうであれば、成長の上蓋が重いこの国の社会も、世界の楽観の拡散に身を預けて、日々を過ごすのも悪くない、との思いになってくるでしょう。








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高齢社会の終相(4)

2024-09-01 | その他


孫やひ孫の時代になればだんだんと世の中はよくなってくるだろう、未来は楽観的、と思えれば老人なりに夢を見ることもできます。これから来るそれが真実の時代だ、とも思えます。
一方、自分の後で真の時代が来るというのは不愉快ですから、自分が終わるころ世界も終わると思いたい、という感覚もあります(拙稿92章「耄碌頭巾」)。末世思想ですね。
年寄りには実はひそかにこの思想が多い。多数派なので時代気分を作ってしまいます。つまり、高齢社会では、マスメディアのペシミズムに反映しています。
多産多子の人口増加社会ならば楽観論に勢いがある。少産少子では悲観論になります。子を産む若い人は、自分の都合が優先するから、年寄りを慰めるために出産をすることはありません。少子化でマスメディアは悲観論になる。悪循環で少子化と悲観論は強くなるしかありません。
子孫繁栄、産めよ増やせよ、というと保守反動になる。封建イデオロギーの臭いがする。人間解放、女性解放の逆方向だから危険、と思う人もいます。何を言っても、結局は、少子化で仕方がないでしょう、と世の中はあきらめています。








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