(いけなが やすなり、1965年10月3日(59歳)[1] - )は、日本画家。大分県津久見市生まれ[1]。
竹久夢二以来の天才美人画家と称される池永 康晟(1965~)。美人画はなぜ、現代、売れるのでしょうか?美人の画像ならば、写真、イラスト、グラビア、インターネット空間で無料、あるいは廉価で入手できます。それを装丁してもコストは数万円くらいでしょう。しかし画家のオリジナル作品となれば百倍以上の価値になります。現代の美人画は明治大正期のアンティークよりも高い。
六本木ヒルズの巨大クモ。ルイーズ・ブルジョア(1911~2010)。いかにも現代アート。小さな節足動物を巨大化してみる。それだけでおもしろい、といえます。現代の鋼鉄技術で初めて可能。もう二十年も前ですが、六本木ヒルズができるとき、テレビ朝日前のカフェでアイスクリームを舐めながら、工事を見ていました。バブルが崩壊して、新しい時代が始まりそうでした。
一九八六年宮崎駿監督「天空の城ラピュタ」は、『ガリヴァー旅行記(ジョナサン・スウィフト一七三五年)』に登場する架空の浮遊島に由来します。このジブリアニメは世界で大ヒットし、巷にポスターが溢れました。アニメの世界の「浮遊」にイメージを作りました。アニメは空中に浮遊し、人間は地に足をつけて生きる。アニメとは何か、をアニメで描いた作品でした。
尾田栄一郎 『ONE PIECE』額装高精細複製原画 (週刊少年ジャンプ2010年44号掲載)額装して五五〇〇〇円。ポスターと同じですからオークションでの値上がりはないでしょうが、自宅壁に掛けるアートとしては遜色ありません。
佐伯祐三《郵便配達夫》一九二八年 大阪中之島美術館。最晩年の作。三十歳で結核により死亡。この人のパリ風景を買って玄関に飾ったことがありますが、暗い、と言われて押し入れにしまったままです。
岡本東子「花を飾る」2020年。これからインフレが激しくなる、といわれているので、分かりやすい美人画などヘッジになるかもしれません。
マルク・シャガール『カインとアベル』。自宅にかけてあります。二〇年くらい前に購入。リトグラフ。本のページと思われます。現在でもオークションに出ています。額装されているので数万円くらいでしょう。
織田広比古、 油絵・油彩画 『物想う女』。1953 – 2009。パリで客死。前世紀の佐伯祐三の一生を思わせるが、画題は現代ドレスや陰毛のある裸婦。タッチは写実ではあるが、現代漫画風。夭折アーティストであることからオークションでは売れる傾向にあるでしょう。
『イザベラ・スチュワート・ガードナーの肖像』(一八八八年)ジョン・シンガー・サージェント。ボストンのイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館には一九七七年に初めて行きました。サージェントも初めて見ました。ボストンの大富豪の夫人が作った壮大な私設美術館の存在を見て二十世紀初頭の米国の経済力に驚きました。
YouTube番組Johnson Ochejaさん提供。二〇二五年の現代水彩画家トップ一三人。世界の作家一三人。水彩画は水面、雨、ぬれた路面、雲など水との親和性が多いらしい。日本画や水墨画も水彩。油彩やアクリルは鉱物、かもしれません。
自然科学ランキング
一九九〇年代は、石版画の限定版が売れていました。今でもありますが、リトグラフにエディションナンバーが振ってあって、73/300などが多かったですが、後になると、7/10など限定版的な数字になってきて、サインが鉛筆できちんと入っていました。筆者もありがたがって買った時期もあります。その後、また1000部くらいになったり、印が入ったり、サインなしなどが出回って、限定版の権威は落ちたようです。
デジタルアートは、無限に複製できる。印刷が発明されたころは、これが大きな利点でしたが、アートにとってデジタルの時代、複製コストが無限に廉価になり、アートの価格維持が不可能になります。作者に適切な報酬が行くためには、著作権やオリジナリティの価値の維持が必要です。これに適応するために作られた現代のシステムがNFT(Non Fungible Token)でしょう。これによって絵画アートの価値が維持されて、その権威が保持できるのか?それは今後の人々の価値観がどう推移していくの問題です。
高松和樹(1978~)は現代画家。Artpedia注目のアーティスト。多重レイヤーを通して描かれる銃や刀を持つ少女の絵が特徴。髑髏と下着少女という漫画古典的な図柄を影絵のように描く。若い人に人気らしい。筆者の子供世代だから昔風な絵柄なのでしょう。メッセージも戦争、少女、死など単純といえます。
現代画家は、まず新鮮な手法を作り出して、それを繰り返すことで独自の世界を創出します。それに時代を先取りするテーマを盛り込む。作家がそれに執着するストーリーを語る。それを見て、作品を欲しい、という人が現れれば、アートがなりたちます。
「KYNE-girl」。若手現代画家、KYNEの油絵やシルクスクリーンが最近、オークションで価額暴騰し時々、不落札になったり、おもしろいようです。モノクローム線描きの女性の顔、キネガールは現代イラストそのまんま、プリントを逆に油絵にした、といえます。これが高額で売れる。現代日本を象徴する現象です。ただ同然のプリントにこそ、時代的価値がある、というメッセージかな?
作家がどう考えて自作の値段をつけているのか、分かりませんが、油絵、アクリル画などの場合、画廊やアートフェアなどで数万円から百万円くらいの低価格です。名も知らない顧客でも買う気になります。若い画家としては、売れれば時間給としても生活費になる、という程度の価格です。
これがオークションに出るときは何十倍にもなります。オークションのコストとしても最低価格は数十万円にならないと、運営が難しいでしょう。それで、ある時は数百万円以上になる。素人から見れば、アートは高い、と思います。
九月六日から北海道立三岸好太郎美術館では、フゴッペ洞窟で三岸好太郎の絵画を展示して、そこで現代画家鈴木ヒラク(1978~)が新たにドローイングを行う、というパフォーマンスが開かれます。北海道では夏も終わり良い季節でしょう。良い絵が描けるといいですね。
フィンセント・ ファン・ゴッホの、「夜のカフェテラス」の油絵をポスターにしたもの。アマゾンで2千円くらい。家の壁に飾れます。印象派の有名絵画、映画のポスター、などがよく売れているようです。アートの原点ですね。
フィラデルフィア美術館印象派コーナーの突き当りの奥に、ピエール・オーギュスト・ルノワール、Grandes Baigneusesがかかっていました。一歳になる娘を抱いていましたので、円柱の椅子に座って、休んでいました。そのルノワールしか見えない椅子で数分も見ていました。だれもいませんでした。外は酷暑。五十年近く前です。
二〇二一年、愛知県美術館所蔵の宮本三郎「家族」の油彩キャンバスの下に宮本が描いた旧作「裸婦」が隠れていたことが発見されました。宮本が二重キャンバスを保存していたことは誰も知りませんでした。この年は宮本死後四七年で秘密が解除されたタイミングになっています。絵画に秘密が残るというのもロマンがあります。ちなみに、宮本画伯は家内が美大の学生だったころの教授だったそうで、絵は好きだったとのことです。
自然科学ランキング
ARTNEWS JAPAN7/30 によれば、イギリスの素人が家財整理セールで一五〇ポンドで購入した水彩画がサルバドール・ダリ(1904-1989)の真作と判明されて、一〇月のオークションに出される(予定落札額2,3万ポンド)とのこと。この素人はBBCのお宝鑑定番組のフアンで、お宝発掘を狙っていた、という。サルバドール・ダリの鉛筆サインがある版画は筆者も昔、オークションで落札(3万円)して、今も壁にかけています。額がぼろで壊れそうなのでガムテープで補強してあります。
一九九〇年国際宇宙会議はドイツ統一直後のドレスデンで開かれました。次期会長を推薦する指名委員だった筆者は、五代富文氏の推薦スピーチをして、日本から初の会長を出した記念の会議です。東ドイツだったドレスデン市街は荒廃した瓦礫の中に王城が残っていてそこに国立美術館がありました。目当てのルーカス・クラナッハ(父) 『ザクセン公ハインリヒ四世とカタリナ・フォン・メクレンブルクの肖像』(1514) を見つけて絵ハガキを買おうとしましたが、売店でそういうものはない、と言われてしかたなく、分厚い所蔵品カタログを買いましたが、白黒で当時の価格で六千円でした。
ルーカス・クラナッハ(父)(1472-1553)はザクセン選帝侯フリードリヒ三世の宮廷画家でありドイツで最大の絵画工房を持っていましたが、プロテスタントの始祖マルティン・ルターを支援して彼の肖像画を描き、版画の印刷工房を使って聖書のドイツ語訳を印刷し配布しました。宗教改革のおかげで宗教画の注文は減ってしまいましたが、代わりに貴族諸侯がヴィナスの裸婦などを買ってくれましたので、クラナッハは最大の画家であり続けました。彼の作品は美人画の典型となり、ドイツをはじめ世界中の美術館に所有されています。
絵画アートは、制作過程から見ると、時代と文化圏によって違いがあり、互いに影響しあって変遷があるが、見る側から見ると、二次元に置かれた図柄と色調です。現代のデジタルデータとしてみると、ピクセルから構成するものとなって、原則的には、二次元の三要素ないし多要素のデータで表現できます。
宇宙開発で使われる衛星画像の技術はアポロ計画で基礎が作られ、地球観測衛星を使った地表画像の処理から大発展しました。日本に導入されたのは一九七〇年代初頭ころですが、そのころ宇宙開発事業団の新入社員だった筆者は、だれもよく知らない衛星画像処理をやらされて日本初の疑似カラー衛星画像を作ったりしていました。今から見ると、これが日本のデジタルアートの走りだった、のかもしれません。
アートには販売高、興業価額、オークション落札額など商業実績が付随して、人気度合いが測られます。人々がどれほどそのアートを欲しているか、が金額で表現され、ランキングなどで評判になります。評価額に比例した報酬が作者に支払われ、アートの商業サイクルがなりたちます。それぞれの時代の権力者階級や富裕階級の人々がアートを購入し次世代に残されます。評価の高いものは、最終的に公共の美術館、学校などに所有され、一般の人々の鑑賞に供されます。鑑賞者の側から見ると、そういうものがアートであり、価値を認められて世の中に存在するものとなります。
アートの作者の側では、展覧会などで入賞することが実績となります。オークションなどで価格が付くこと、売れた実績がいわゆる人気度を表し、公表されて、確定していきます。。それぞれのシステムで評価の虚実は論評されますが、それも込みで実績となっていきます。評価自体、場所と時代の関数でもあり、変遷は免れません。
バブルのころ、一九八〇年代はデパートの最上階などにアートの販売コーナーがあって、値段を見ては、高いとか、安いとか楽しんでいました。意外と、買えそうな価格もあって感心したものです。たまに買ってみたりしましたが、壁に収まらなかったりして苦労したりしました。石膏ボードの壁には特殊なくぎを使ったりピクチュアレールからつったりしなければなりません。安い絵を買うと古すぎて額が壊れていて、そこから修理しなければなりません。それでもうまく飾れるといい気分で眺めることができます。
自然科学ランキング
二〇一四年竣工の虎ノ門ヒルズはその後、虎ノ門ヒルズステーション駅が完成し、ステーションビルなど周辺の大開発が進んで地域全体を塗りつぶす新建築群となりました。最初の中心地点である虎ノ門ヒルズ本体の二階は落ち着いた無彩色で統一された現代的デザイン空間ですが、その中心に置かれた受付デスクだけは目に鮮やかな違和感のある黄色のガラス素材で作られています。建てられてから十年を経て、いまやこのデザインセンスが時代を超えたアイデンティティとして残っていくでしょう。
本屋の展示コーナーで天の川の写真(KAGAYA)を見ました。中学生のころ、山の上で見たことがあります。都会では無理です。凸レンズを横から見た形です。知らない人もいるでしょう。これが宇宙最大のアートです。
自宅飾り棚においてあるセーブルの皿は、裏に1844/テュイルリーと刻印があるので、19世紀テュイルリー宮殿に納入されたセーブル磁器です。東関東大震災後の不景気で西洋アンティークは投げ売りされていたので安く買いました。今は高価でしょう。
アラン・ダグラス・デヴィッドソンAllan Douglas Davidson 1873-1932は英国の画家で 画家 Thomas Davidsonの子です。印象派的なタッチが現れてきたころで、裸婦を多く描いていますが現代から見ると古風な正統派です。当時のロンドンでは上流の芸術家として紳士的な生活を送っていたでしょう。このころ、絵画は印象派が台頭し、天才の時代でした。最後はピカソの時代になるわけで皆、大変だったでしょう。
フラゴナール「ブランコ」。一八世紀ロココ美術の傑作。大きなスカートは女性の象徴であるのでこの構図は現代のディズニーアニメにも使われています。ブランコで片足を上げてスカートの中を見せる解放感が女性の威厳と自由の表現になっています。それを見たい男の気持ちに反射するエロティシズムがロココらしいアートを生み出している。ファッションの基礎ですね。
自然科学ランキング
東名高速の横浜インターを走っていると、ビルの屋上に恐竜がいます。本物くらいの大きさですが。動かないので作り物でしょう。ラボホテルらしいです。通過するだけで降りてみたことはないので、数秒間くらい走りながら見るだけですが、いつも見ます。だいたい速度が遅くなる道路ですから、厚木はまだまだだな、と思いながら見る人が多いでしょう。これはホテルの宣伝用看板です。しかし見事なアートです。見たいと思わずに見るアートの代表でしょう。
まず、物体が大きい、というだけでアートのようになります。大仏とか、宗教で使われる。つまり非日常的に見えるからでしょう。巨大ガンダム像が、台場や上海にあるそうです。たしかにアートです。昔だったら祭壇で拝めて、もっと楽しかったでしょう。
アートオークションの前の下見会で、掘り出し物を見つけに行きます。実際には高いので入札には参加しません。格安のものはありません。だからオークションが機能しているのです。それでも自分が格安と思えば買えばいいわけですからチャンスはある。見に行くだけで面白いならそれでよし、となります。
箱根の森の中にあるポーラ美術館に行きます。道路から落ちた崖の下にあり、ヒメシャラの林に囲まれた現代建築です。高校の美術で習うような美術があります。二〇世紀の西洋美術、代表的な印象派の名画とそれに影響されて発展した日本の洋画、さらにそれに影響を受けた当時の日本画を中心とする、まさに教科書的な展示があります。ちょっと退屈ではあっても安心して見ていられるアートの集合です。美しい自然の中にあってイメージ通りのアートを見る。入場料が少し高いですが、それも高級化粧品メーカーのイメージ通りでぴったりです。
アークヒルズ仙石山森タワー前庭のトミエ・オオタケ「無限」(トミエ・オオタケ2012)、まさに数学の無限大記号、鉄製オレンジ色。この下を菅義偉さんが総理就任前日に散歩しているところがテレビに出ていました。
エミリオ・グレコの「ネレイス 海の精」。檜町公園の北の崖、孫と散歩した遊歩道の脇にあるブロンズ像です。ここは防衛庁が移転し桧町公園として整備されたころ、目立たないところに移動させられた歴史があるのではないか、と筆者としては憶測します。昭和のころ、人気のあった西洋美術の裸婦像ですが現代にかけては古い趣味とされて忘れられるのも無理ないでしょう。
虎ノ門ヒルズビジネスタワーロビーのステンレス製造形《Cycloid V 2020森真理子》。現代人にはなじみの素材と吹き抜けに落ち着く大きさ。どこかで見たような立体曲線。いかにも最新の建築にぴったりです。脇のスターバックスで買ったコーヒーを飲むとまったく現代をあらわす絵になります。
電車の中吊りなどにあるアニメのポスターは、よくできていて、どこでもいつでも、目に入りますから、これが現代か、と思ってしまいます。これで、たぶん、私たちの現実感覚はつくられていて、ここが自分の足場だと思うことで安心できます。地に足が付く、というのはこういうことでしょう。電車の床は、高速で動いていて、どこかはっきりした所へ向かっている、としても。
自然科学ランキング
ミッドタウンにある桧町公園は毛利家の下屋敷だったところで、大きな池に滝が注ぎ込んでいます。孫と散歩に行ったとき、岩で囲まれた池の端に腰かけて、近くの和菓子屋で買ったあんころ餅を食べていると、スズメが寄ってきました。腰かけられる岩は案外少ないので、菓子をこぼす人が来る場所をスズメは知っているようです。周辺は区によって毎日清掃されているのでしょう。きれいな水景は維持コストが予算化されているはずです。
虎ノ門ステーション駅の上に作られた歩行者デッキは大きな広場になっていますが、そこにブロンズ像「マター(N・S・ハルシャ2014)」があります。ハヌマンラングールという種のインドの猿が球体を持って天を指しています。これを見て、筆者は宇宙コミュニティの標語を思い出しました。Ad astraというラテン語は宇宙を目指せ、という意味で昔から国際宇宙コミュニティの標語になっています。マインクラフトにはAd astraという名のmodが作られていて、ロケットを組み立てて月面探査などができます。
虎ノ門ヒルズ一階壁面の内海聖史「あたらしい水」(2014)高さ6メートル幅27メートル、彩色のドット画です。壁面いっぱい、というより壁そのものです。この後ろはエレベータースペースになっているので、建築構造から必然の平面です。上の二階三階吹き抜けのエレベータスペースも同様に大きな壁ができているので、その壁面には、サン・クワァク「Untying Space」(2014)が描かれています。ガラスにマスキングテープで水墨画のように見える流れる画面を作っています。まさに溶け流れる空間を経験させます。
今日始まった麻布台ヒルズのギャラリー館でのクレス・オルデンバーグ展。会場真ん中に真っ赤なスイスアーミーナイフが置いてあります。よく見ると、脇から四本の櫂が付きだしています。一九八五年のヴェネチアパフォーマンスでゴンドラと一緒に運河を航行したそうです。筆者の引き出しにも赤いスイスアーミーナイフが入っています。ベアテンブルグ1994と金字が刻印されています。一九九四年にESA主催のワークショップに出席した時もらった記念品です。捨てずにとっておきました。
アートは見ようとして見る場合もありますが、見ようと思わなくても見てしまう場合もあります。問題は、見ようと思わなくて見えてしまう場合です。公共空間のアートなど。建物の前庭に置かれたオブジェなど、毎日、見てしまいます。こういう場合、どうなのでしょうか?
アートとも思わずに建物の一部分のように風景として見てしまいます。大きな木を見るようです。それはアートなのか?アーティストを知っていても思い出さないでしょう。なぜ、それがそこにあるのか?なんとも思わないものです。それでいいのか?たぶん、それでいいのでしょう。
自然科学ランキング
高校生の時、西洋史を取っていました。渡辺先生は生徒に好きなテーマでプレゼンテーションをさせました。筆者は、古代ギリシアの美術という題で、図書館でスライドを選んで説明しました。たまたま気に入ったスライドが「哀悼のアテナ」というレリーフです。これは一九世紀にアクロポリスで発掘されて、現在アクロポリス博物館で提示されています。西洋美術の古典趣味にぴったりの美術品です。
駅前の画廊で、大暮惟人「バイオーグ・トリニティ」と題した版画を見ました。84センチ*119センチ、回転木馬に横座りした少女です。画家のサインがあって値段は38万円とあります。現代漫画の図柄で、たしかに画廊で売る価格になっています。
画廊の現代作家作品、水島篤日本画「拍動―ブラキオサウルス」72cm*170cm非売品。若い日本画家が最新の恐竜学の知見に基づいて描いています。買っておけば価値が出るかもしれません。
このブログはかなり古くから続いていて本稿二〇一七年一月の第55章「長寿と夭折」で画家佐伯祐三を論じています。このころ筆者が玄関につるしていた佐伯の油彩は家内に外されていまはミロに代わっています。佐伯は古いユトリロ風の絵柄で暗い、と言われました。ミロは時代的に古くても現代の抽象画なので、現代人はこちらが好きかもしれません。
愛知県一宮市三岸節子記念美術館は一九九八年、洋画家・三岸節子の生家跡に建設され、かつて敷地内にあった織物工場を思わせるのこぎり屋根や、節子の生前から残る土蔵を改修して愛着の品々を並べた土蔵展示室、風景画のモチーフとなったヴェネチアの運河をイメージした水路などをそなえています。
二十年間フランスに滞在し、日本では大磯のアトリエで制作していました。そのころ、多摩美術大学で油絵を習っていた家内が大磯を訪ねて絵を見てもらったそうです。そのとき。一枚もらえそうな話があったと、残念がっていました。
マラガに行ったとき、二宮先生がフランス語で通じるだろ、と言って「ウエラギャル」と聞いても全然でしたが、筆者が旅行会話をめくって「ドンデエスタラスタシオン」と聞いたらすぐ通じました。ピカソの生家と美術館があるというので探しましたが、腹が減ってきてパエリアを食べているうちに時間が足りなくなってホテルに帰りました。ピカソはスペインで見ませんでした。フラメンコは見ましたが。
麻布台ヒルズの中央広場に奈良美智の彫刻作品《東京の森の子》があります。白いセメントで作ったような塔です。広場は芝生で外人の観光客が寝転んでいます。夏の夜はスクリーンを張って、ビデオを映すらしい。暗くなる前には、筆者はそのわきの椅子でレモネードを飲んでいましたが、六時ころひきあげるときもまだ、明るすぎて何を映したいのか、分かりませんでした。
三田の慶応大学キャンパスの西の屋上にイサム・ノグチの石彫があります。人の大きさくらい。「無」と題されています。たぶん1950年ごろの作品のようです。学生も来ない屋上の片隅の石像はその題の通り無になっているようです。ノグチは日米のハーフで、米国で有名になった世界一級のアーティストですが、日本では弟子がいないせいか、今は忘れられていると言ってよいでしょう。だれもが知る慶応大学にありながらその大きな作品はだれにも知られていない。歴史の皮肉のような存在です。
自然科学ランキング
(108 アートを見る begin)
108 アートを見る
四階の書店の脇で版画の展示販売をしていたので、見て回りました。ミロ、ピカソ、フジタなどバブル期によく出ていた版画が当時と同じような値段で販売されています。もちろん、複製品です。そのころ、美術品のブームがあって、末端の市場では、二十世紀前半の人気作品の版画が売れていたようです。半世紀を経て、当時の転売品が一般販売に回ってきたのかもしれません。
バブル崩壊後、ひどい不況が何度か来て、東日本大震災のころには、ついに日本経済は完全に壊れた、といわれました。そのころ美術品も大放出されたのでしょう。画廊なども倒産して有名画家の版画は廉価で売られていました。麻布十番にあったオークションハウスを覗きにいったとき、ひどく安い価格で落札できるのでいくつか買いました。玄関に掛けてあるミロはそのときのものです。
これ、本物かな?買ったとき気になったことは、もちろん、真贋です。ちゃんとしたオークションハウスで買ったから本物だろう、と思っていましたが、サインやエディションナンバーなど、懸命に見ました。飾ってからも、疑ったことはありませんでしたが、本物は違う、とか言いたくなるときがあるのは、なぜでしょうか?時間がたって慣れてくると、それは感じなくなりますが、単に慣れですかね。
画家は集中して制作します。。何か月も何年もかかることがあります。あるとき、それは完成する。つまり画家が署名します。それで売りに出される。美術館が買うこともあります。画家のものではなくなる。しかし署名があれば、画家のものでしょう。そういうものが絵画です。アートとして共有されたり、個人に所有されたりします。完成してしまえばインターネットに乗ったり画集に載ったりして多くの人が見る。それがアートを見る、ことになります。
玄関のミロは16/35というエディションナンバーが入っているので35枚印刷してうちの16番目の紙ということになります。現代のリトグラフは紙とインクが完成したものになっていて美術品として陶器や石造と同様に半永久に保存できますから、物的存在として地球上でもっとも確実なものとなっています。
私たちが見る絵は、ふつう長方形のパネルを額縁で囲んだものとなっています。この形は中世の西洋で発達したもので、その前は壁画など直接白い壁に絵の具を塗っていたようです。壁画を可動式にしたものがパネル絵画だとすれば、そのパネルがキャンバスになったり、版画印刷面になったり、してきたのでしょう。現代のコンピュータアートは、デジタルになって、まさにデータそのものになっています。どれが究極形態であるか、究極形態があるのか、それも分かりませんが。
それで何を描くか?原始人の時代には洞窟の壁に狩りの獲物を描きました。立派なシカなどです。夢見るものを描いたのでしょう。宗教に熱中した中世には、拝みたいものを描きました。マホメットなどは偶像を否定して、幾何学模様を壁に描きました。そのうち、神話を描いたり、肖像画、美人画、風景画、と実用的、趣味的に描くようになって、ついにアーティストの時代になりました。オークションで数十億円で売れます。
アーティストが何を描くか?それを見に行く。それを所有したいからオークションに行く。あるいは美術館に行く。そういうアーティストになりたいから美術学校に行く。そうして現代のアートは成り立っています。
アムステルダムのオランダ国立美術館で、レンブラントの「夜警」を見ました。家内と待ち合わせで一番分かりやすい場所と思ったからです。まったく迷いなく来られた、と言っていました。大きな絵です。数人の人が立ってみています。うす暗い会場に一つだけ飾ってあります。国の宝なのでしょう。
大きな黒い油絵です。スペインから独立しようとしていたオランダ火縄銃隊の出陣が描かれています。日本では徳川幕府初期です。世界最初の株式会社オランダ東インド会社(Vereenigde Oostindische Compagnie)が設立され、長崎に商館が建てられたころの絵です。
高校生の時、西洋史を取っていました。渡辺先生は生徒に好きなテーマでプレゼンテーションをさせました。筆者は、古代ギリシアの美術という題で、図書館でスライドを選んで説明しました。たまたま気に入ったスライドが「哀悼のアテナ」というレリーフです。これは一九世紀にアクロポリスで発掘されて、現在アクロポリス博物館で提示されています。西洋美術の古典趣味にぴったりの美術品です。
自然科学ランキング
ミドリフが急に増えました。もう暑くて我慢ならん、ということで許容されるのでしょうか?ハイライズのジーンやカーゴパンツのウェストバンドが幅広で腰のうえに飛び出しています。背骨の上の肌は健康的で、攻撃性がないから目に隠しやすい。それでいて暑さ対応、真夏のファッションであるところが好まれるのでしょう。
空梅雨のおかげで傘がいらないし、外歩きは楽です。汗をかいても風がふけば、じめじめしないので、気持ちが悪くなりません。いいことづくめですが、東京はこの気候になれていないので、ファッションが代り映えがなく飽きてきます。レインコートはさすがに暑くて使えないし、毎日同じ格好をしなくてはなりません。白シャツ黒ズボンを変えて、黒シャツ白ズボンにしても、全然変わらない気がします。ミニスカートにしてもミニドレスにしても、代り映えがしない。はでなプリントにするか、ポルカドットやチェックにするか、それでも、空気が変わらないから、飽きが来ます。
ふつうのロングドレスが、きちんと使えます。この季節、セールスの合間でもあるし。夏休みはまだ遠いし。目立つファッションが不要。このまま夏中に使える格好がよし、となるでしょう。
無限に続けられそうになってきた本章、飽きてきたのでここらへんで仕舞にします。六十一歳で死んだセルジュ・ゲンスブール(1928年―1991年)の曲はアウトロがなく唐突に終わるものがあってそこが新鮮でした(拙稿88章「終わりの存在論」)。ここでもそれを真似ましょう。■
(107 街のファッション end)
自然科学ランキング
雨期に珍しく日の高い夕暮れ。黒のワイドレッグハイライズで肩にフィットする白のボートネック。けやき広場の交差点を曲がっていきます。同じ方向に帰宅するのでエレベータまで一緒に歩くしかありません。こちらは一階自動ドアに入る。一期一会にもならないが、こうして人生が過ぎるのは悪くありません。
一気に真夏。暑くて日向を歩けない。日が落ちてから芝生でストレッチを始めるグループがいます。ビキニトップにスキニーパンツ。それでも汗が出て困るくらいでしょう。歩く人もノースリーブ。暑すぎて、ベアショルダーも全然目立ちません。若い人は前からミニスカートだから、ファッションは替えようがない。洋品店は困っているでしょう。店員さんは暇そうです。
急に灼熱の季節になって身体がついていかない。昼食後、昼寝をしても今度は起きられない。目を覚ますために冷房をかけると今度は寒くなって切るが、癪に障ります。文句ばかり言っていないで、良い季節ではないか、と納得すべきでしょう。空は青く、雲一つありません。
夏至二日前、やっと日が落ちる。六時半。広場でジントニックを飲みながら夕涼み。帰りにサテンノースリーブ、コットンパンツとすれ違い。いかにも夏至。梅雨は来ない。長袖シャツは現役で勤務中か、あとは引退暇人の筆者。ティーシャツでも暑すぎて袖の長さは関係ありません。さっさと室内に逃げ込むか、それより暑さは無視、というほうがよさそうです。
夕方六時過ぎ、ようやく涼しい風が吹いてきます。公園も明かりがついてきれいです。歩く人はロングスカート。去年まではこれほどロングスカートやロングズボンが目につきませんでした。雨が降っていたのでしょう。傘をさしていたでしょうし、あまり路上を歩く人もいなかったかもしれません。
来年はまた、普通の梅雨に戻るでしょう。六月から七月の下旬まで、まる二か月、雨が降り続きます。晴れても蒸し暑く雲が垂れ込めているはずです。憂鬱になる雨期です。それが今年はない。こんなよい六月はあった覚えがない。記憶にありません。緑があり、晴れた空がある。来年になっても覚えていられるでしょうか?
ミドリフが急に増えました。もう暑くて我慢ならん、ということで許容されるのでしょうか?ハイライズのジーンやカーゴパンツのウェストバンドが幅広で腰のうえに飛び出しています。背骨の上の肌は健康的で、攻撃性がないから目に隠しやすい。それでいて暑さ対応、真夏のファッションであるところが好まれるのでしょう。
自然科学ランキング