この思想に共鳴する大富豪が争って投資し、セブンはマグニフィセント(Magnificent 壮大な、畏敬すべき)になりました。
狭小な悪意ではなかなか世界制覇は成し遂げられません。自分が作り出す善意ある世界制覇の可能性を信じなければ、壮大な世界的システムを作ることは思いつきません。世界中の人々が、喜んでついてきてこれを使いはじめるはずだ、という確信。自己の創出技術への(誇大妄想的な)自信がまず必要です。
山火事は起きる。かならず林冠のギャップはできます。そこからすかさず若い稚樹が伸びていくでしょう。■
(93 ギャップダイナミクス end)
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アレキサンダーのギリシア語。ローマ帝国のラテン語。大英帝国の英語。そしてアメリカンイングリッシュ。時の文明の頂点をなした言語。
現代では、インディアンやフランス人など、英語育ちでない言語の人はこれがないので世界を征服することを思いつきにくい。
たとえば生成型人工知能などを作ってみたい、と思っても、英語の巨大なデータベースがなければなかなか取り掛かる気がしないでしょう。
オープンAI社は、英語の企業です。二〇二二年に生成型人工知能ChatGPTを無料で利用者に提供するサービスを開始し、わずか二か月で一億人のユーザー登録を獲得しました。世界中の人が驚き恐れた世界制覇です。
「人類にとって安全かつ有益な人工知能を開発し、グーグルのような巨大企業の利益追求型AIラボに対抗する役割を果たす」という理念に基づいて開発業務を実行する会社です。つまり善意ある世界制覇を目指しています。
その善意の意味が企業の創始者が違うと、すこしずつ違っているところが面白い。
いずれにせよ、オープンAIも、グーグルをはじめとするマグニフィセントセブンも、アレキサンダー大王と同じように善意ある征服者です。彼らはいずれも、世界に普及すべき(多言語)汎用のデジタルプラットフォームを作って人々を幸福に導くべく善意ある世界制覇を目指しています。単に荒稼ぎを求める成り上がり資本家ではありません。
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社内でネクタイを締めている人はいないらしい。筆者は二〇〇〇年ころグーグル本社を訪問したことがありますが、社内を自転車で走っている人たちを見て驚いた覚えがあります。
ライフルとスコップを担いで金鉱を掘り当てる。鉄道が引かれ町ができ、酒場と銀行が立ちます。山師に資金を融資する銀行家も冒険家です。ベンチャーキャピタルと言います。
バーボンをひっかけてライフルをぶっ放す粗野な一匹狼。一獲千金を狙う乱暴者だが何か共通の理想を持っているようにも見えます。
急拡大する西部開拓の夢。フロンティアスピリット。皆が喜ぶ理想のデジタルプラットフォームを作って、善意ある世界制覇を目指す。
善意ある世界制覇
マケドニアファランクスを完成させてペルシア世界の制覇をなしとげたアレキサンダー大王。卓越した軍事力に加えてアリストテレス直伝の理想を具備していました。東洋世界を席捲して正しいギリシア文明を普遍化する、善意に満ちた征服者でした。
アレキサンダーは、なぜ、世界制覇を思いついたのか?歴史家は種々の理論を唱えていてそれぞれ正しいのでしょうが、一つは彼がギリシア語を使う征服者だったから、といえます。
当時、ギリシア語は世界のすべてを理解できる言語だった、と思われていたからでしょう。ギリシア語を使っている限り、この世で不可能なものがあるはずがない、と彼は思っていたのでしょう。
現代のマグニフィセントセブンは英語の人々です。英語は世界一の言語です。英語で理解できないものは現代のこの世界に存在しない、と思っています。
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マグニフィセントセブン
荒野の七人(The Magnificent Seven 1960年 ジョン・スタージェス監督)は、七人の侍(黒澤明監督 1954年)のリメイク西部劇映画です。
米国株式市場ではマグニフィセントセブンと呼ばれる七社が景気を牽引しています。GAFAM五社(アルファベット【グーグル】、アマゾン、メタ【フェイスブック】、アップル、マイクロソフト)に加えてテスラとエヌビディアです。
七人の侍たちは、村を襲う四十騎の野盗と戦い敵を全滅させますが、味方も多くを失います。「負け戦だったな」勝ち残った志村喬演ずる侍のリーダーはつぶやきます。
マグニフィセントセブン七社のなかで創業者社長が残っている企業は、メタ、テスラ、エヌビディアの三社です。
生成AIの戦国時代といわれる現代の世界産業界で西部劇の英雄のイメージで語られるマグニフィセントセブンの株がなぜ、世界一高く買われるのか?
IT革命を作り出した創業者七人の能力が買われているのでしょう。創業者が若くして起業し急成長し世界市場を制覇しています。
グーグルはラリー・ペイジ(1973~)が一九八九年創業。アマゾンはジェフ・ベゾス(1964~)が同じく一九八九年創業。フェイスブックはマーク・ザッカーバーグ(1984~)が二〇〇四年創業。アップルはスティーブ・ジョブズ(1955~2011)が一九七六年創業。マイクロソフトはビル・ゲイツ(1955~)が一九七五年創業。テスラはイーロン・マスク(1971~)が二〇〇四年共同創業者会長。エヌビディアはジェンスン・フアン(1963~)が一九九三年創業。
これらIT創業者の共通点は、アメリカ育ち、若くして創業、コンピュータ技術者、1980年代末から2000年代初頭の創業、シリコンバレーなどの創業者コミュニティでプラットフォーム立ち上げ、先端技術導入、起業買収合併を繰り返す。急速な市場拡大、海外進出、新製品開発。
西部劇の開拓者に似ています。
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東急池上線戸越銀座駅の前に延びる戸越銀座通りは、昭和に盛況を活した大商店街ですが、現在も四百軒の店舗に毎日一万人の買い物客でにぎわっています。商店街の存在理由は昔からあったが、それが大型ショッピングモールに移ってしまったようです。
商店街はふつう組合によって民主的に管理されますが、ショッピングモールは大資本が優秀な管理者を任命して運営されます。封建領主の連合は、しばしば帝国主義国の派遣する植民地総督に負けます。最後は革命によって国民の会議が勝つのでしょうか?
一九九〇年二月、日米構造協議において米国は、大規模小売店舗法(大店法)は非関税障壁である、と指摘し撤廃を要求しました。十年にわたって協議は続き、国会審議を経て二〇〇〇年六月に至りこの法律は廃止され、代わりに、大型店と地域社会との融和の促進を図ることを主眼とした大規模小売店舗立地法(大店立地法)が施行されました。
地元商店街と大型ショッピングモールの関係は、中小業者と消費者の利害が相反する典型例ですが、昨今はこれにアマゾンなどインターネット通販事業者が加わって複雑な三角関係にもなっています。消費者としても経済性と便利性ばかりでなく、前述した気分転換、回遊、新規体験などの必要が実はかなり重要であるので、日常生活における地域の環境とショッピングモールの存在は生活の質、さらには人生の基底として軽視できない面があるといえます。
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筆者は宇宙業界でアメリカ人と付き合っていましたので、これらの英語は頻繁に使っていた語ですが、今はカタカナになって完全に日本語化しているようです。
語感はアメリカでの英語会話とそっくりです。日本語にはめ込んで欧米人同士が語り合っているのかな、ニューヨークの会社内の英語会話が吹き替えられているのか、とも聞こえます。
ただ、英語の奥に隠れている古来の(古英語古仏語の)語感が切り捨てられています。それもこの百年で急速に世界語(lingua franca海賊語)化した現代英語らしいともいえます。
ショッピングモール
大型モールが駅前シャッター通りを作り出している、といわれます。大型のモールは全国各地に増え続けていますが、令和四年時点で大きさ全国三〇位くらいのイオンモール倉敷は二三〇店舗八三〇〇〇平米です。
ショッピングモールは、まず消費者にとって魅力にあふれています。気分転換に、デートコースに家族、友人と散歩できる。そういう空間がどれほど必要とされているのか?モールができるまで、誰も知らなかったでしょう。
自動車普及率、消費支出、余暇、そして外出好き、ウィンドウショッピング、街歩きの楽しさ、によって成り立つモールは、イベント、リニューアルを繰り返しながら永続できます。銀座の存在論です。
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ガラパゴス化
ガラパゴス諸島は数百万年前に海底火山の活動で太平洋の海中から隆起した歴史の浅い陸地です。周囲千キロに他の陸地がない孤立した地形でダーウィンが進化論の立論のサンプルとしたことで有名になりました。
ガラパゴスという語はスペイン語でカメのことですが、ガラパゴス諸島の固有種であるゾウガメは寿命二百年以上といわれる長寿命をもつ脊椎動物です。現在、植民者に持ち込まれたブタとヤギに駆逐されつつあるそうです。
このように孤立した土地で進化した生物は、その特殊な環境に過剰に適応して身体の形や機能が特殊化するために、外来生物が侵入するとたちまち競争に負けて駆逐されます。
日本市場という小宇宙に過剰に適応して高性能に進化したガラケーは、世界市場を相手に成功したスマホが上陸すると駆逐されました。
ガラケー、つまり二つ折りのガラパゴス携帯電話は、細かな作り込みで多様な技術を搭載し特別な方式でインターネットに接続していました。技術的に優秀すぎたといえますが、特殊な日本固有の仕様だったため、外来のスマートフォンにより市場から消されました。
日本はガラパゴスと比喩されます。地理的に大陸から孤立しているうえ、政治経済的には自給自足が可能な独自の中規模社会が安定して機能していました。そのため近世には長期の鎖国が続きました。
また現代のグローバリゼーションの時代には、言語と文化が欧米諸国の標準と隔絶しているため、独自の技術文明が国内で発達しても、結局は外来の国際標準に世界制覇されて負ける、といわれます。
マンガとアニメ、柔道や将棋、シャワートイレ、寿司、など世界に浸透していく文化もありますが、なかなかメジャーにはなれない。ダーウィン理論によれば、地質、気候の大変動が起こるとき、ガラパゴスのような新種が世界に拡散するはずですが。
アメリカ化
一九四五年から一九五二年まで七年間、日本は連合国最高司令官総司令部(Supreme Commander of the Allied Powers General Headquarters、SCAP/GHQ)に占領されていました。実質、米国軍から構成されていたGHQは日本政府、マスコミ、経済界を英語英文で指導しました。多くの日本人はベストセラーになった英語辞書や会話指南書を買い込み、懸命に英語を学びました。
一九七一年、銀座三越にマクドナルド第一号店がオープン。筆者も並んで買いました。現在、日本全国で三千店舗、世界で三万五千店舗を展開しているそうです。安くてうまい、一人で外食。この方式のラーメン、カレー、牛丼、立ち食いソバもこれで大盛況です。
日本英語。カタカナ英語。ローンチ、タスク、マスト、クライアント、アテンド、レスポンス、エビデンス、デフォルト、インセンティブ、コストパフォーマンス。日本人同士がこれで会話する場面は一九八〇年代まではありえなかった、と思います。
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太平洋ひとりぼっち
一九六二年五月一二日、堀江 謙一(一九三八年― )は単身で全長5.83mの小型ヨット(マーメイド号)を操船して兵庫県西宮を出港し、太平洋を横断航行して、同年八月一二日、アメリカのサンフランシスコに入港しました。航海日数は九四日でした。
当初、大阪入管事務所による「小型ヨットは当然ビザが必要になる」との違法性嫌疑が主なマスコミ報道でした。その後、サンフランシスコ市長が名誉市民として受け入れたとのニュースが報じられると、マスコミは一転して快挙を称えました。
人工衛星「おおすみ」
一九七〇年二月一一日、鹿児島県之浦町の東京大学宇宙空間観測所からラムダ4S型ロケットが打ち上げられました。失敗を乗り越えて五度目の打ち上げは成功し、無事人工衛星を軌道に乗せました。日本はソ連、米国、フランスにつぎ、世界で四番目に人工衛星を誕生させた国となりました。
大隅半島内之浦の発射場には人工衛星「おおすみ」の記念碑が立っていますが、その隣にプロジェクトの推進者糸川英夫(一九一二年ー一九九九年)の像があります。
糸川教授は当時世間的に全く少数派の宇宙愛好家とマスコミを相手に「ロケットニュース(一九六二―)」を発行していました。筆者がその編集係をさせられていたころは、低調な月刊誌で新聞の宇宙関連記事をスクラップして一枚紙の裏表に印刷してリストに郵送するだけの細く長いミニコミでした。
小惑星表土を世界初で回収した探査機「はやぶさ」が着陸した小惑星の名は「ITOKAWAイトカワ」と命名されました(2003年)。
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(93 ギャップダイナミクス begin)
93 ギャップダイナミクス
屋久島の屋久杉の森や、白神山地のブナ林は数百年前から同種の高木が群生して見事な景観を保っています。
これらの陰樹と呼ばれる高木群は数十メートル上空の林冠を形成して日光を遮り林内は暗い状態なので林床の多くの稚樹は成長できません。わずかな陰樹の稚樹だけが成長を続けて林冠に達することで森林が維持されるので、景観は数百年にわたって変化しません。この状態の森林を極相林といいます。
山火事や倒木などで極相林の林冠にギャップ(空隙)ができると、その林床に陽光が届き陽樹の生育が始まり一時陽樹の高木が林冠を形成します。しかし結局、数十年もすれば陰樹しか成長できない極相の森に戻ります(ギャップダイナミクスという)。
日本占領直後、占領軍司令部はいわゆる公職追放を実施しました(連合国最高司令官覚書「公務従事に適しない者の公職からの除去に関する件【一九四六年】)。戦争犯罪人、職業軍人、有力企業や軍需産業、思想団体の幹部、多額寄付者など二〇万人以上(八割は職業軍人)が職務から追放されました。
六年後の日本独立(一九五一)までの間に追放者群の消えたギャップを埋めたのは新規政治勢力となった共産党、社会党、労働組合などいわゆる左翼勢力と高年幹部が消えた政財官などエリート組織の若年昇進者でした。
その人々が新日本の骨格を作りました。現在にまでの政治社会と産業体制はおおむね、その輪郭を保存しているといえます。
筆者が公務員としてサラリーマン人生を始めた時(一九六九年)、できたばかりの宇宙開発推進本部の長は公職追放を経験した海軍航空機設計部門の元将校でした。日本の高度成長を支えたのはこの世代の人々です。
戦後復興のころ、巨大だった軍需産業は解体され、自動車、家電など民間需要が急速に立ち上がってきました。
一九四六年、本田宗一郎は本田技術研究所を創業。三九歳。
一九四六年、盛田昭夫は井深らとソニーの前身である東京通信工業株式会社を創業。 二五歳。
一九一八年、松下幸之助は松下電気器具製作所(現・パナソニック)を創業。二四歳。
これら日本の大企業はこの時期に創業され、その後、急速な発展を遂げました。ところが昭和の高度成長を終えた日本産業界の景観はその後ほとんど変遷していないように見えます。
現代の日本産業界は、陰樹の大木が密集して林冠を覆う極相林のようでもあります。歴史的には、緩慢な時代変化は徳川幕藩政権下の鎖国時代のようです。
鎖国時代、幕藩体制の安定的維持に苦衷する幕府は、異国船打払令(一八二五年)や蛮社の獄(一八三九年)のような過激な対外政策を実行しました。
西洋文化流入に伴う思想モラルの変質とそれによる江戸幕府体制の攪乱崩壊の恐怖心からの過度の引き締めだった、という認識が現代の歴史学者には多いようです。当時の支配者層はそれだけ社会モラルの変質を脅威に感じていたのでしょう。
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