言葉ではなく絵で、すべてを描く。宇宙を画帳に閉じ込める。画家はそれができます。
宇宙のあらゆるものを描き出せるように見える天才画家がいました。モナリザを残したレオナルド・ダ・ヴィンチ(一四五二年ー一五一九年)はその謎の微笑に宇宙のすべてを描き込んだといわれています。
実際、画家としての必要から発展させたこの天才の研究成果は、解剖学、動物、植物、建築、機械、力学、地学などいずれも当時の科学の最先端を大きく超えています。それらをすべて図示する。画帳に描き込んで行きます。その彼は「私たちは不可能を望んではいけない」との訓戒を残しています。つまり不可能と知りつつ、宇宙のすべてを解明したかったのでしょう。
たしかに、この万能の天才といわれた人は、芸術も科学も技術も独創的に展開する能力にあふれていたに違いありません。しかしその能力を駆使するためには、相当の努力を必要としたでしょう。独創力ばかりではなく古今東西の知識を学び尽くさなければならない。その上、パトロンに仕えて資金、施設、ワークフォースの獲得と維持に尽力しなければなりません。天才とは能力である以上に抜群の努力、情熱を発揮できる人であったはずです。
ではなぜ、困難を乗り越えて、彼はそれをしたのか?もちろん、若い頃は生活のためだったでしょう。そして画家としての社会的地位を確保することが基本の動機だったと思われます。しかし、なぜ、役に立たない物事、たとえば神経系の解剖や鳥の飛行を延々と研究したのか? たぶん彼はこの世のすべてを知りたいと思っていたのでしょう。それは不可能であるに違いないけれども。
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俳人がいるところでは、季語を決めると、それで思いつくすべてが読みだされてきます。それらは、宇宙のその部分集合を表しているのではないか?それもかなり密に。
たとえば「秋の夕暮れ」と季語を決めてテーマを「旅」とする。
死にもせぬ旅寝の果よ秋の暮 (芭蕉)
此道や行人なしに秋の暮 (芭蕉)
門を出れば我も行人秋のくれ (蕪村)
戸口より人影さしぬ秋の暮 (青蘿)
家にゐて旅のごとしや秋の暮(長谷川櫂)
現代の俳句人口が参加してくると、無限にこの後を並べることができます。その全体は{秋の暮、旅}というカテゴリーの宇宙になる。それも膨張宇宙です。
これはグーグルに似ている。しかもずっと深い。意味が広がっていきます。言葉の意味を限定しようと努力する百科事典とは逆の方向です。しかし俳句は、こうすることで、もしかしたら百科事典よりも、私達の住む宇宙を掴むことに成功しているのではないか、とも思えます。
高浜虚子の言うように、俳諧は科学とは無関係の方向を目指しています。俳句を、いくら極めても、自動車やコンピュータを発明する事はできそうにありません。実生活の役に立たないといえば、そのとおり。しかし一七世紀の松尾芭蕉が欲しかったものは、自動車やコンピュータではなかったでしょう。それは何か?それは現代でも科学と同じくらい、あるいはそれ以上に私達が追い求めている何かである、と思えます。
アインシュタインの日本観察。この国民は知的欲求のほうが芸術的欲求よりも弱いのか?ヨーロッパと接触する前の日本人は、太陽軌道の緯度変動を知らなかった。(一九二二年 アルバート・アインシュタイン「旅日記 日本、パレスチナ、スペイン」)。これは江戸期の暦学や伊能忠敬の緯度経度実測を無視した事実誤認と思いますが。
とにかく、芸術的なものが好き、という点はあたっているようです。少なくとも、昭和中頃までは。
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グーグルは百科事典のような事実や学説の記述もありますが、俳句やツイッターのような個人的主観的な記述も含む。道端の広告板や落書きのようでもあります。虚実真偽善悪の判断は読者に任せる。
ひとつのタグについて誰かが書いていることを、世界中のデジタルデータから見つけてきて膨大な羅列として並べます。タグやキーワードで検索することで、記述のネットワークを無限にたどることができます。面白い。役に立つ。勉強になります。
しかしその全体は、どういう意味があるのか?
多くの人が多くのことを書いているので、表示されるデータ量が非常に多くなります。一つのキーワードについても、一人の読者ではとうてい一生かかっても読み切れない。というか、超スピードで読んでも、作られる文章のほうが速く増えてきます。
現代のように俳句人口、あるいはツイッター人口が増えていくと、毎日新しいものが増えていく。全体はどうなっているのか、見通すこともできません。
春の句を検索しているうちに春が過ぎて夏になる。皆、夏の句を始める。すぐ秋になります。秋を詠んでいると全然終わらないうちに冬になる。そしてどっと春の句が出て来る。きりがありません。毎日、数千人が作る。世界の俳句の量は無限に増えていきます。
これはよいことなのか?
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宇宙のすべてを記述したい、人類の知識の体系化をしたい、という思い。ブリタニカ百科事典(Encyclopædia Britannica)はそれを目標に編集されています。内容の信頼度は最高と言われています。二〇一〇年頃からオンライン版に移行していて、筆者などがなじんでいた紙の旧版セットは古本屋さんでも買ってくれません。紙はじゃまになる、ということもありますが、現代は知識がどんどん更新されて紙の本を改訂している暇がないのでしょう。
電子版では直感でボリュームが見当つきませんが、紙の頃は、本棚いっぱい、量は体感で分かる。各巻が重くて運ぶのは嫌でしたね。
数千人の専門家が項目ごとに文章を書いています。図や写真もある。仕事や勉強によく使われました。
現代ではインターネット内のウィキペディアが最大ユーザーを持つ百科事典です。ボリュームは無限、というべきでしょう。グーグルを補完して、現代人の生活と仕事を支える巨大なインフラストラクチャになっています。
ブリタニカにせよ、ウィキペディアにせよ、あるいはグーグルにせよ、人類が関心を持つ森羅万象の知識大系である、といえます。
役に立つ。しかも面白い。組織の広報宣伝や職業的な専門家の記事ばかりではない、むしろボランティアや趣味で気軽に書く人も多いようです。俳句に似ているところがあります。
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