好きです!付き合ってください。これを英語では I like you! I want to go out with you.と言うようです。筆者の世代は、この英語なら分かるが元の日本語の語感がつかめません。インターネットの教えあいコーナーでは、筆者の年代の人が「これは恋人になってください」という意味ですか?と質問を書き込み、若い人が「それよりちょっと軽いですけど」などと回答を書いています。
恋人、彼女、ガールフレンド。時代により意味は変わる。
筆者が結婚したのは二十代前半でしたから五十年くらい前のことですが、申し込みに行くに際して肩書のある大人に同行してもらう必要があると思いました。課長の席に行って「あの、課長。ガールフレンドのことでご相談してよろしいでしょうか?」と聞いた途端、「ええ?ガールフレンドのことだあ?」と大声を出されて閉口した覚えがあります。その当時、その語は、だれでもが恥ずかしくて口にできない言葉でした。
その数年前、人気のアメリカ映画「逢う時はいつも他人 Strangers When We Meet(Richard Quine監督一九六〇年)」を日比谷の映画館で見ました。カーク・ダグラス演ずる中年の建築家が「あなたが欲しいものは何?」と聞かれてI want to make love to you.と答えるところからキム・ノヴァク演ずる隣人との不倫が始まる。それを見て「あ、単純にこう言えばいいのか?」と英語に目覚めた、と思ったような記憶があります。
今の人はもっと洗練されてきているから、社会的に決まりきった意味をすり抜けて柔軟にずらせる人間関係を表すために多義的に聞こえる語を使うのでしょう。
あの二人、付き合っているの?という女子トークの定番ですが、その付き合いなるものはいかに存在するのか、実は存在しないのか、どちらなのか?悉無律に従うのでしょうか?
そしてだれと誰がペアをなしているのか?その関係性は夫婦のようであり、重婚が禁止されている単婚制に従っているらしい。しかし結婚と違って法制上の意味はなく離婚制度も財産分与もないところが重要。別れはもちろん、疎遠になることも連絡をなくすことも自由。その後だれと付き合おうともだれと結婚しようとも自由。というところが重要なようです。言葉は違うがそういうものなら昔からありました。野生動物のつがいも同じようなものでしょう。
筆者の世代で、付き合う、という語は職場の上司や同僚と居酒屋で会食する場面で使っていました。会社視察の帰り、駅前の居酒屋で先輩が「あの会社には驚いたよ。接待まったくなしなのかね」「急 に変わりましたね。マスコミを逆に利用した経費節減ですかね」などと話しながら酒をおごってくれました。付き合いが好きなその先輩はその後出世から外れて消えていきました。
日本の国家経済体制は資本主義あるいは修正資本主義、あるいは国家資本主義でもあり、さらに修正の修正から現代に続く修正修正修正資本主義ともいえますが、昔からあったものの換骨奪胎ともいわれる。この資本主義システムはなぜ長期安定なのか?いったん成立したゲームはなぜ世代を超越して長く続くのか?
歴史上、(第二次世界大戦)戦時の国家総動員システム、それが修正された占領軍指導システム(SCAPanese model【一九九九年 ジョン・W・ダワー「Embracing Defeat: Japan in the Wake of World War II 『敗北を抱きしめて』」】)。それを修正して大成功した通産省指導システム、それがまた修正(あるいは経年劣化ともいわれるが)されてきた現代の日本資本主義システムであるといえますが、結局、外部環境つまり国際経済情勢への適合不適合によって成功不成功が決まっているようです。