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哲学の科学

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デジタルその魅力と退屈(7)

2021-12-04 | yy80デジタルその魅力と退屈


今世紀に入ってから目立つ米国や中国の躍進は創始者、成功者に資源が集中する投資システムの勝利です。そうであるとすれば、ある意味対極にある日本のシステムを破壊する改革がなされなければ時代を変えるというところまではできません。
その世界観が嫌いだといいながら敗者にならないために全国民が髷を切るのか?前世紀に大成功した日本システムを捨てて逆方向に舵を切ることができるでしょうか?
新たな技術が出現するときの常ですが、そこに資源を集中できる政府や大資本、大企業など強者がさらに有利になり格差が拡大し、末端の個人は抵抗しにくくなります。いつの間にか滔々たる流れになっているデジタルのおかげで個人としてはそこそこ便利な生活にはなったが、その底に無力感と退屈が深くよどんでいるような時代になっているのかもしれません。
パンデミックでの人心の動揺を機会として政治力が分配をコントロールできる時代が来た、という観測もあります。
戦争など危機感の時代には強くなった政府が分配を強化し、平和が戻ると市場が格差を拡大する(二〇一三年 トマ・ピケティ「二十一世紀の資本 LE CAPITAL AU XXIe SIECLE」)という経験を年寄りは人生の中で経験もしています。
若い人は、ときには、将来に期待できる、別のときは、期待できない、とマスコミなど世相に頼りたくなります。が、マスコミは人心の変化を拡大して反映するだけです。やはり政治システムの循環論(紀元前2世紀 ポリュビオス「歴史」)が説くように、平和が続けば格差が拡大し、高まる不満が強権を生み同時に国内での分配を強化していくでしょう。






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