そもそもアナログがすべての始まりでデジタルは後から来た、となっています。新しく台頭する成り上がり者はどこか怪しい、危ない。という感覚が我々アナログ世代にはある。若い世代ほどデジタルにどっぷりつかっています。コンピュータが気味悪い、という感覚は今の若い人にはない。四六時中デジタルをしていればデジタルが本物と思うようになるのは当然でしょう。
では、しかし、本当にデジタルが本物なのか?昔の人はコンピュータがなかったからアナログな計算尺で設計することが最先端技術と思っていました。今は最初からコンピュータで設計します。
アナログはいまや不便の象徴です。世界は実はアナログでできているが、コンピュータを使えるデジタルのほうが便利だからデジタルになっていくのか?いや、そうではなくて、実はもともと世界はデジタルでできているのではないのか?
前世紀の初めころ、量子力学がつくられたころ、似たような議論がありました。物質はアナログな波動なのか、それともデジタルな粒子なのか?結論として、原子より小さい世界ではデジタルなモデルを本物とするほうが実験を説明しやすいから正しいとしよう、ということになった。
しかし巨視的な人間の日常生活の場では量子力学の計算は超複雑すぎて実行不可能。そこでは科学としても従来のようにアナログでものを取り扱うしかない、ということになりました。
その後、アナログの領土はじりじりとデジタルによって侵略されていきます。生物学の世界観でも、物事は分子単位、細胞単位の相互作用で決まっていく。つまりアナログではなくてデジタルである、となる。
脳の構造機能も細胞単位。したがって人間の精神世界も結局はデジタル、というのが現代科学の世界観になりつつあります。科学の風景でも、流量計や濃度計を使って装置を組む実験に代わってコンピュータシミュレーションが解析手段の主流になってきています。
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