ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

白花

2013-10-17 05:00:00 | 田舎

『乾杯条例』なるものが全国に広がっていると聞きました。飲み屋に入るとまず日本酒で乾杯しなさいと言う条例だとか、何を最初に飲もうが人それぞれ、そんなことを強要するなど、とんでもないことです。普通店に入ったら「何飲みます?」って聞かれるものです、こんな条例が出来たら何も聞かれないうちに日本酒がぬっと出て来るかも知れません。それが無料でということなら我慢して(喜んで)飲みますが、自分のお金を払ってるのに飲むものを強制されるなど考えられません。お酒を飲まない人でもレストランで何を食べようかと考えた時、まず出てくるものが決まっていたらイヤでしょ。清酒の売れ行きがどんどん下がってきているので消費を上げることと、日本(或いは地元)文化の継承が目的のようで、先ず清酒で乾杯をしないと罰せられるということではないようですが、大阪市のように公務員や教職員に対しては、条例を守らないと罰則が待っているということもあり得るのです。

宮崎の都城市では、清酒の代わりに焼酎で乾杯と言う条例案が提出されたけど、何を飲もうが個人の自由と言うことで否決されたとか、まぁ南九州では先ず焼酎をという習慣が根付いているから、わざわざ条例などに決めなくても良いのでしょう。日本文化の継承などと称して、個人に一つの価値観を押し付けようとする動きが活発になってきている中、たかが乾杯だとは言ってられないような気がします。

             

古座川沿いの右岸を車で走っていると、いつも左(山)側に小さな白い看板が気になっていました。車からなので何と書いてあるのかよく判りませんでしたが、串本駅の観光案内所にも手書きのポスターが貼ってあったので、ここで手打ち蕎麦をやっているのだと気付いたのでした。それから一度訪れてみようとは思っていたものの、いつもこの前を通る度に「あぁ、そうやった」と思い出し、今度こそ行こうと思いながら、また同じことを繰り返していたのでした。

             

やっと頭の中に留めておくことができ、動鳴気漁港の帰りに寄ってみたのです。道路沿いの大きな木の下に車を停めて、少し奥まったところまで歩かなければなりません。

         

民家を改造した店かと思ったら、どうも改装したような雰囲気ではありません。机や暖簾、炊事用具を追加しただけのよう、やたらと中国の物かと思われるような絵が設えてあるだけで、そんなに工夫を凝らした跡は見受けられません。

ソバは細切りだそうで、10月からは温いかけソバも用意していると言いながら、「麺が細いからすぐ伸びるから、ザルが一番」とか言っていました。

                       

美味しかったらまた来ようと思ったのですが、来年3月でインドネシアに引っ越すらしい。日本の蕎麦がインドネシアで流行るのかどうか、古座で店を出すよりは客は集まるかも知れません。

             

来てみて分かったことばかり、何か頼もうと思うと予約をしておかないとダメなのです。飛び込みで行くと、昼は盛りソバとかき揚げと山かけの三種類しかないのです。美味しかったらまた来ようと思って(2回目)いたのですが、付け汁に甘さが足らないような気がします。名人に習って日々研鑽していると書かれていましたが、私は名古屋で知り合ったU田さんが打つソバの方がずっと美味しいと思うのです。

                       

ここは岩淵地区の一番北にあたります。この樹の周りに適当に停めるよう書かれていましたが、この樹は何の樹なのでしょう。青い実がなっていました。

車を適当に停めておくというぐらいですから、客もまばらなのでしょう。蕎麦を打つと言う風情にはピッタリの古座川流域ですが、その風流を求める人は串本近辺には少ないようです。

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釣り大会

2013-10-16 05:00:00 | 田舎

9月の串本では波風が強かったので一度も釣りをしていません。随分不精になったものだと思いますが、船を持つようになってからは波止も磯も行きたいとは思わないのです。毎月のように通っていた大島港にも、様子さえ見に行ってないのです。くしもと大橋から大島の坂を登り降りする行程は、愚車のガソリンを大量に喰ってしまうと思っている貧乏性がそうさせているのではないかとさえ思います。

             

さてタイトルの釣り大会ですが、古座の動鳴気漁港で開催されていたもの、自分では参加するつもりは到底なく、どんな催しになっているのだろうと、そういうところが気になってちょっとだけ、覗いてきたのです。今年新しく出来た波止場、以前は浅い岩場だったところです。

             

風が強く、軽い仕掛けで釣りをするのは難しい状況です。参加者よりもスタッフ、スタッフよりも幟旗が多いと言う状態、あまりにも寂しい、そういう感じを受けました。岩場ならともかく、こんな所で釣れるのかと思っていましたが、20cmぐらいのバリコ(アイゴ)や大きなボラが竿を曲げていました。玉ウキの固定仕掛けでハリスも細そうでしたから、ボラは上げることが出来ないようでした。

                       

これがその時のチラシ、最初に“日本唯一のフィッシングタウン串本”って書いてあるのですが、ちょっと言い過ぎじゃありませんか?社会実験とも大書きされていますが、何を実験するのかよく解りません。10月、11月、12月と連続して開催されるようですが、あまり期待できそうにはありません。10月27日の珍魚釣り大会はひょっとしたら面白いかも知れませんが、私はあいにく見に来ることも出来ません。船の出入り口を塞いで、魚を投入すると言うようなことでもしてあげないと、なかなか釣れませんよ。

             

でも翌日も行ってみたのです。参加者は確実に増えていました。ところがさっぱり、前日よりも釣れてないのです。

             

出店していた人たちも手持無沙汰、人が店を呼び、店が人を呼ぶ、そういう関係にならないと盛況は難しいだろうと思います。何故かすさみ町が本場であるはずのイノブタの店がありました。

             

釣れてないので、取材に来たテレビ局の人もヒマそう、夕方のニュースで放映されたのでしょうか?

             

釣りをするイベントに来て、仮に誰かが大物を釣ったとしたら、釣れなかった人もまた来ようかと思うでしょうが、何も釣れなかったら二度と来る人はいないでしょうね。子供連れも多かったけど、竿とリールは貸してくれ、参加費無料なのは良いとしても、釣れなければ子供に釣りの面白さは伝わらないと思います。

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串本病院

2013-10-15 05:00:00 | 田舎

9月に串本を訪れた最初の日曜日の夕方、テレビで大相撲を観ていました。たぶん大関・稀勢の里が土俵に上がっていた頃だと思いますが、急に左腰が痛み始めたのです。まぁこの歳ですから、いつもジワッと腰は痛かったのですが、その時の痛さは質が違うもの、引き攣るほどの痛さなのです。酒の飲み過ぎで肝臓や膵臓に異変が起きたのか、それでも最近は勤めていた頃より飲む量は減っている筈です。日曜なので開業している医者もある筈もなく、ただ時々踵が痛くなることがあったので、痛み止めだけは持っていることだけが救いだと思っていました。

             

その痛さに食欲も無く、酒を飲みたいとも思わなかったのですが、喉が渇くので一杯だけ飲んだのですが、美味しくありません、というより酒などというものはたいして美味しいものではないのです。痛さは一向に収まらないので痛み止めを一錠飲み、様子をみていました。

でも痛みは治まる気配がありません。2時間ほど経ってもう一錠飲むことにしました。朝夕はめっきり涼しくなっているのに、痛みで脂汗が滲みます。この症状は何の病気なのかと聞きたくて、知っている看護師にメールしようかと思うのですが、スマホを触る気にもなりません。寝ているより座っている方が少しは楽、じっと寝てはいられないのに、じっと座ってもいられないもどかしさ、それよりも痛みの方が勝っています。

             

12時を越えても痛みは治まらないので、三錠目の痛み止めを飲んだら、どうやら薬が効いてきて、少しは眠ることが出来るようになりました。ただその頃になると痛みの箇所が移動するように思い、この痛みは尿路結石ではなかったかと思うようになっていたのです。それなら今までに経験したことがあるし、そうなると水分を多く取らないといけないので、酒を禁止されることはありません。肝臓や膵臓の異常では無かったかとホッとしたのですが、そんなものは素人の考え、朝になったら新しく建った串本病院にでも行こうと思ったのでした。

             

ところが朝になると痛みは和らいでいて、病院なんか行く気にはなりません。全く痛くないと言うことでもなかったし、またあの激しい痛みがぶり返しても嫌だったので一錠だけ痛み止めを飲んでおいたのでした。その日は夕方にもまた一錠、痛み止めと言うより予防のために飲んでおきました。

水曜日になりどうも反対側の腰が痛み始めたので、昼から意を決して串本病院に行ってみたのでした。私は内科だと言っているのに、先に整形外科に連れていかれ、腰のレントゲンを撮っても別段悪い所は無さそう・・・当たり前です、私は最初から内科へ行きたかったのです。内科でと言っても時間外だったので同じ部屋で違う医者の診察、CTを撮って、診たてられたのが、やはり尿路結石だと言うことでした。串本病院には泌尿器科が無いので、新宮病院を紹介しますがと言われても、新宮まで行くんだったら、大阪へ帰ってから骨折を手術した病院へ行きたいと思うものです。新宮行きはやんわり断って、痛み止めだけ貰って帰りましたが、8000円近くかかってしまいました。

大阪へ帰った翌日すぐに病院に行ったのですが、結石は普通の物よりかなり大きいとのこと、先ず衝撃波で石を砕くという手術をすると言いますが、予約がいっぱいで10月22日に決まりました。1回の手術で6~7万円かかると言われ、その上1回では終わらんかもと言われ、その治療費にかかる費用を考えると次回痛くなるまで我慢しようかとも考えてしまいます。

             

串本病院は実際は『町立くしもと病院』と言うようです。最近テレビの報道でやっていた町が取り組む津波対策、高台への移転先はこの辺りを指しているのでしょうが、高台へ移転できるのは、それなりのお金を持った家でないと引っ越しなど出来ません。津波で襲われる可能性のある地域の地価など二束三文、売ったところで高台での新築費用など出るわけがありません。それとも町が責任を持って、新築に見合う価格で今住んでいる土地・家屋を買ってくれるとでも言うのでしょうか。高台の整備だけでは津波対策にはなり得ません。

             

再来年は和歌山国体が開催され、串本ではサッカーやラグビーの試合が組まれるようです。病院の眼下には既にサッカー場が有り、私も見る機会があるのではと楽しみにしていますが、それによって串本の街が潤うとは思えません。県民総動員などという言葉を聞くと(出来っこありませんが)どうも戦時中の国家総動員法がちらついて、イヤな感じを持つのは私だけなのでしょうか。

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近大マグロ丼

2013-10-11 05:00:00 | 田舎

今日の話は写真でバレるので先に書いておきます。9月27日に潮岬観光タワーで近大本鮪丼を食べに行った話です。串本湾内で近畿大学水産試験場が養殖しているホンマグロですが、潮岬観光タワーで食べれると言うので、どんなものなのかと招待もされないのに試食に行ったのでした。試食と言っても私がどんな味なのかと勝手に試しに食べに行ったのですから、お金は払わねばなりません。何のことは無い昼食をわざわざ潮岬の先端まで行って食べたと言うことなのです。

               
これが潮岬観光タワー、今年の1月には望楼の芝焼きを観に行きましたがタワーには登っていません。数年前にA竹君一家と一緒に登り、ヘンな鏡があって大笑いしたことを思い出します。

          

近大マグロ丼が食べれるのは、その観光タワーではなく、左横にある2階建ての食堂部分なのです。なので入場料は要りません。食堂の入口には『近大本鮪丼』と書かれていて、他のマグロ丼(キハダマグロ)とは区別していますが、ここでは単に近大マグロ丼と書くことにしました。

               

実はこの近大マグロ丼を食べるのは2回目、最初に行った時はウェイトレスさんが「(錦糸卵やゴマ、ネギを指して)これを好みで上に載せて、醤油を適当にかけて食べて下さい」と言う説明に頭を回転させていたので、写真を撮ることを忘れてしまったのでした。ですから味はだいたい知っていたのですが、ネタのためにわざわざ潮岬くんだりまで出かけて行ったのです。涙ぐましい努力をしていると思っていただきたい。

               

好みの具を載せた状態、わさびは先に醤油で溶いてからかけた方が良いと思います。まったりとした舌触り、適度な脂が乗っていて美味しかったですよ。でもそうめんは要りません。小鉢もさして欲しいとは思いませんから、丼・味噌汁・漬物だけで1000円にしたらもっと売れると思うけど、ダメなんでしょうか。

前回食した時に味噌汁が不味かったので、ここの食堂で働いているO崎さんに言っておいたら、今回は不味くはなかったです。

               

でも1500円も取っておいて、味噌汁の具が麩とはね・・・漁師の街の名が泣きそうです。

1500円の内、消費税が71円のようなので、近大マグロ丼は1439円、少しだけ計算が合いませんが、来年4月からは消費税は8%に上がるのでしょうから、本来なら1555円ぐらいになりそうです。でも売り手とすればそうもしてられないのが実情でしょう。消費税が3%上がるだけで今まで1500円のものが1550円になってしまうのか・・・実際に計算してみると大きな額であるような気がします。何とか消費税を阻止する勢力に頑張って貰って、首相の認識、気持ちを変えさせたいものです。

            

望楼の芝東の端から眺めた風景、正月に焼いた芝もすっかり元に戻って、清々しい秋空とマッチしています。

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台風19号の影響

2013-10-10 05:00:00 | 田舎

今回は9月17日から10月3日までの滞在、台風は18号が去ってその翌週には19号が発生、そして20号、21号、22号と大阪や和歌山には直接影響はありませんでしたが、風はずっと強く、海もずっと荒れ続けており、青空の続く良い天気だったのに、とても一人で船を出すような状況ではありませんでした。10月3日帰途に就いた日が一番穏やかだったように見受けられました。それ以降も23号、24号と続けざまにやって来て、今年は台風の当たり年かと思ったのは、船の持ち主になって気になる私だけでしょうか。

             

台風19号は早くから中国方面へと逸れていったのですが、24日頃から波風が強くなり始め、漁船はみんな避難し、港内には大きな船も停泊して来ました。

             

姫の前の浜も高い波が押し寄せてきていました。天気は上々でしょ。

             

漁業関係者は全員休業だったはずです。たまに漁に出た船もあったようですが、串本では私が訪れた17日から帰るまで漁協の市場ではずっと取引はありませんでした。

               

これは一番波が高かった25日、18号の時のテレビで報道されていた出雲の双子島の灯台です。台湾や中国で被害が高かった19号ですが、南紀でもこれぐらいの高い波が押し寄せていたのです。

             

こちらはピークが過ぎた26日の古座の海の様子、波はテトラにぶつかり、大きく砕けていました。

             

川にも波が打ち寄せ、遡って行きます。

今年は台風が多く発生していますが、近畿方面に来ることは少なく、早くから北上したり、南方で西へカーブする場合が多く、沖縄や東北では被害が多かったと感じています。このまま推移すれば30号に到達するのはすぐなのかも知れません。船溜まりに係留している船は今回の波ぐらいでは何の影響も受けていません。

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紀伊天満駅への道

2013-10-09 05:00:00 | 田舎

紀伊勝浦駅から紀伊天満駅まで歩くのに海岸沿いの道を選んだのですが、途中住宅街を抜けるところで、このまま海沿いに行くか、住宅街の方へ行くかで迷ったのですが、海沿いの方へ行くと天満の方とは離れていくような感じだったので、住宅街の中を少し歩きました。まぁそれが正解だったようで、住宅街を抜けると再び波止場が見えてきて、今まで見たことの無い景色を見ることが出来ました。

             

漁港の前には島が見えており、沖合には半島が見えています。あまりこの辺りの地形に詳しくないので、目の前の半島が何処辺りなのか見当もつきません。那智駅の次が宇久井なので宇久井の半島かもしれません。

               

漁港の名前は小金島漁港とあり、勝浦港とはまた別の漁港なのでした。前に見えていた島が小金島なのかも知れません。そのまま暫らく歩くと『海のホテル 一の滝』というホテルが見えてきました。海のホテルなのに一の滝とは、通常考えられないような名前です。この辺りに滝があるのか、それとも那智の滝から由来しているのか、中に入っていませんからよくは分かりません。日帰り入浴とも書かれていたので、温泉も利用できるようです。

             

なおも海沿いの道を歩いていると、前の海が湾になっていて、向こう岸の様子が窺われます。広い砂浜が見られ、その奥には見たことがあるような建物がありました。

             

那智駅と並んで建っている『交流センター・丹敷の湯』であることが分ります。ということはその向こうに補陀落山寺があり、手前の浜は那智の海水浴場です。

       

そのまま東へ進んでいくと新しく出来た感じの道路に出、海とは少し離れていきます。通り沿いには『かつうら御苑』や『サンかつうら』というホテルなども並んでおり、暫らく歩くと『ホテル浦島』の駐車場になっているところがあり、ホテル浦島からここまではかなり遠いので、何故こんな遠い所に駐車場など造ったのかと訝しく思ってしまいます。おそらく浦島~駐車場はバスで送迎するのでしょう。

             

42号線から紀伊天満駅を目指した時、目印にしたのが町立温泉病院、その病院が見えてきたので、駅が近いのが分かります。

             

広い道路から北へ入る道を選び、細々とした道を歩いていくと、紀伊天満駅が見え、ホッとします。紀伊勝浦駅から1時間ぐらい歩きました。

             

駅舎の向こう側のこんもりとした木々は天満神社境内のもの、ようやく熊野比丘尼の話を聞く旅はこれで終わりです。

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勝浦港

2013-10-08 05:00:00 | 田舎

JR西日本の宣伝に乗せられ、熊野比丘尼の話を聞くために紀伊勝浦駅から新宮行きの電車に乗り、新宮駅から紀伊田辺駅行きの電車に乗って、紀伊勝浦駅まで戻りました。ただ最初に乗った駅は紀伊天満駅であり、そこから自動販売機で一駅分の(上りでは紀伊勝浦駅まで、下りでは那智駅までという曖昧な)切符を買って乗車したのです。紀伊勝浦駅でも新宮駅でもどちらも途中で改札を通っていません。私は新宮まで行きたいのではなくて、ただ単に熊野比丘尼の話がどんなものなのかを聞きたかっただけなのです。比丘尼の話を紀伊天満から紀伊勝浦までの間で聞けたなら、こんな疑問も湧いて来なかったでしょう。私が乗車した紀伊天満から下車した紀伊勝浦までの乗車料金140円だったのですが、それだけで紀伊勝浦~新宮間の往復の乗車は許されるのでしょうか。最終的には紀伊勝浦駅の改札を通ったのですから、乗った駅から降りた駅までの運賃は140円で間違いないのですが、比丘尼の話を聞くために紀伊勝浦~新宮までの区間を往復(私にとって復は余計ですが)しています。キセルと言う不正乗車がありますが、乗った駅から降車駅までの切符を間違いなしに買っているのですから、どう考えても私の行為はキセルではありません。私はJRのICCOCAを持っていますから、紀勢線に自動改札機さえ有ってICCOCAを使えばこんなに悩まなくても問題なしに済んだ筈です。

             

まぁJR側からすれば、ちゃんと勝浦~新宮間の往復料金を払いなさいと言うに決まっていますが、JRの企画も片手落ちではないですか?わざわざ車で(電車では丁度良い時間が無かった)勝浦まで来させておいて、聴いてみればそんなに満足出来る熊野比丘尼の話でも無かったのに、往復の運賃だけはキッチリ払いなさいと言うのは虫が良過ぎます。ポスターを見た者にとっては比丘尼の話を聞きたいのが主であり、電車に乗るのはその手段にすぎないのです。JRも私鉄では有りませんが、ここ南紀では旧国鉄と同じ独占企業、競争相手が居ない分、悪欺な商売をやってるのではないかと勘繰ってしまうのは、この経験を経た私だけのものでしょうか。

さて今の所、無事紀伊勝浦駅を降りた私は愚車を取りに紀伊天満駅まで戻らねばなりません。先に書いたとおりアルツハイマー症が進展している私ですから、勝浦から天満までの大辺路が分かりません。どうせならと、東に向かって海沿いに歩くことにしたのでした。

       

駅からまっすぐな道を南へ、商店街と言ってもそんなに活気が有るわけでもありませんが、串本よりは道が広くて明るい感じがします。港まで来れば足湯があちらこちらにあり、「温泉の街やなぁ」と思わせます。同じ漁師街であり、温泉の湧く串本の街もこれに習って駅前広場に足湯でも設えてはどうでしょう。串本の駅前は観光施設より商業施設ばかりが目立ち過ぎます。

海沿いを南東方面に歩いているのですが、いつまで経っても船が繋留している岸壁が続きます。この道が天満まで繋がっているのか分かりませんが歩き続けなければなりません。一見しても串本より大きな港ですが、歩けば歩くほど実感が湧いてきます。

             

港の前に神社が見えてきました。普通ならこの神社だけで1日分のネタにする所ですが、今回は神社の名前も分からなかったので、歩く途中でということに。

             

鳥居にも拝殿にも扁額がないので、何と言う神社なのか分からないのです。家に帰って地図を見ると『八幡神社』であることが分かりました。海の前ですから『戎(恵比寿・恵比須)神社』等ではないかと思っていたのですが、私の推測などあてにならないのがよく解ったのでした。

              

拝殿の向かって右にある祠は護国神社の碑が建ってあるので分かりましたが、左の方はこれまた何も書いてない、知らない人が尋ねていってもよく分からない神社です。

             

拝殿から外の風景、鳥居越しに船が泊まっているのがいるのが分かりますね。

              

近々祭りでも有るのでしょうか、小さな神輿が並んでいました。と言っても2週間以上前の話ですから、祭りが有ったとしても、もう終わっているかもしれません。

             

神社を出ると行く手すぐ左に天然温泉公衆浴場です。入湯料320円は天然温泉なのに安い!『はまゆ』良いですね、でもまだ開店してませんから入れません、安いけど良いのか、それほどでも無いのか、値段相応なのか判断は出来ませんでした。

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天満神社

2013-10-07 05:00:00 | 田舎

熊野比丘尼の話を聞くのに何故紀伊天満駅まで行ったかと言うと、駅前に天満神社という神社が有ると聞いていたから、確か天満から勝浦にかけても大辺路が通っているとイラストマップに書いてあった筈ですが、そのマップが見つかりません。ひょっとすると、コピーしようと思って大阪に持って帰ったのかも知れませんが、大阪でも見かけたような記憶がありませんから、私のアルツハイマー症も進んだものです。

             

紀伊天満駅前にあると言われる天満神社、天満神社と呼ばれる神社は姫の家の前にもあるし、田並でも見かけたし、全国津々浦々にあるのでしょうが、天満にある天満神社って珍しいかも知れません。境内から駅を見ることが出来ます。確かに駅の真ん前に神社は鎮座していますが、駅前に神社を建てたのではなく、神社の裏に駅を造ったのですよね。駅には大きな看板が立っており、“祝 紀伊天満駅開業百周年”の大書きが目立ちます。駅の沿革が記載されており、新宮鉄道により1912年(大正元年)12月4日、那智口として開業、1917年(大正6年)天満と改称、1934年(昭和9年)国有化により紀伊天満と改称とあります。百周年というのは那智口として開業以来ということになるのです。どちらでもいいことなのですが、紀伊天満駅開業というなら1934年ということになりますから、2034年にはまた百周年記念の催しがなされるという可能性があります。

             

駅に車を停めておこうと考えたのですから、当然、駅正面のこの鳥居が目に付きます。天満神社の鳥居の横には大津波の碑が建っているという記憶があったので、この鳥居を見て、ひょっとしたら天満神社ではないかもと思ってのでした。でも、まぁ最初の写真には『大津波記念の碑』と彫られた石碑が目立っているので、そういう考迷いはすぐに解消。

            

訝しき鳥居を潜り、階段を登って境内を見回します。幹が太く、背が高い木がたくさん有り、夏なら涼しい所なんだろうと思うけど、もう朝夕は涼しくなった今日この頃、特別の恩恵に授かり合えたわけではありませんでした。

ここは那智山の末社でもあります。

                       

私が所謂電々公社に入社したころは、電報の受付業務をしていたのですが、この那智勝浦町天満という行ったこともない地名を頻繁に受け付けたことを今でもよく覚えています。当時は大阪からこの地に電報を打つ人が多くいたということなのでしょう。昔からここ天満は良港として知られていたといいます。今ではどの船も無線を積み、携帯電話の普及もあってもう役に立つこともないでしょうが、当時は漁業無線電報という電報も未だたくさん受け付けていました。

私が最後に働いていたNTTにしても入社した電々公社にしても、皆さんはあまり関心を持っておられないと思いますが、NTTは日本電信電話株式会社、電々公社は日本電信電話公社という名称であり、電話より電信(電報)の方が前に来ていたのです。今や電信はおろか、電話の業務も主として扱ってないような“名は体を現さない”会社になり下がってしまいました。

             

ところでこの天満神社は菅原道真を祀った神社なのか、それとも天満という地にあるから天満神社というのか、どちらなんだろうと思いませんか。三つ並んだ祠の真ん中が菅原道真を祀った祠だそうで、つまり天満宮と同じ考えだということが分かりました。もう一方は考え方が逆、天満神社があったからこの地を天満と呼ぶようになったようです。境内を一周して入って来た方とは逆の出口に行くと、この神社の正面、最初の写真の場所に行きつきます。

             

パノラマ写真が撮れるカメラを手にしたので、そういう写真を撮ってみたくて仕方がありません。神社の南西の角からカメラを振ってみました。正面の道を北へ行くと神社正面に行くことが出来ます。

           

神社の由来などは書かれていませんでしたが、境内の木々、特にこの石垣の横から突き出している3本の木を見ると、この神社の古さがよく解ります。昭和19年12月の東南海大地震による津波にも耐えて残ったのでしょう。

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熊野比丘尼の絵解き列車

2013-10-04 05:00:00 | 田舎

近々何かイベントが無いのかと串本駅や観光協会でネタ探しをしていると、和歌山で来年デスティネーションキャンペーンが開かれ、そのプレキャンペーンとして『熊野比丘尼の絵解き列車』というのが運航されているというポスターを見つけました。9月1日から12月8日までの土・日・祝の開催だとか、でも時間限定、朝一便しかありません。それも紀伊勝浦駅8時22分発の電車に乗らなくてはならないのです。紀伊姫駅から乗車すると6時31分発が最も朝早い電車で7時10分に紀伊勝浦駅に着きます。あまりにも早く着き過ぎるのでこれには乗る気がしません。次が紀伊姫駅7時1分、勝浦には7時40分に到着、これに乗ると勝浦の駅で40分以上待つことになります。その次が8時5分発、これなら勝浦駅着が8時40分なので間に合いません。

                   

あれこれ考えて愚車で行くことに、勝浦に停めておこうと考えていましたが、途中で紀伊天満駅に停めて勝浦まで電車で戻り、新宮から戻る時に天満で降りればいいと考えたのでした。そして行ったことも無い紀伊天満駅を目指します。42号線を何処で曲がるか判らなかったけど、適当に曲がったら駅に着いてしまいました。

                           

この駅も無人駅ですが、乗車駅証明書を発券するのではなく、乗車券を発券しています。他の駅の発券機はことごとく潰れているので、この発券機も潰れているのかと思いきや、ちゃんと動いたので勝浦までの切符を買いました。

             

新宮からやってきた電車は勝浦止まり、8時22分紀伊勝浦駅発の電車は串本方面から来る電車ではなく、勝浦駅が始発だったのです。何故そんな電車でイベントをするのか、勝浦で泊った人にだけのサービス、たくさんの人に参加して貰おうという企画ではなさそうです。何故串本駅にポスターが貼ってあり、チラシを置いていたのか、利用者のことは放ったらかしで、キャンペーンを行うことだけを考えていると指摘されるのは目に見えています。まぁ串本駅にポスターが貼ってあったから私は参加できたのですが・・・

                       

現に参加者は私を含めて3人、朝早くから新宮からやって来た比丘尼さん(私が紀伊天満駅から乗った電車に乗っていた)に失礼じゃないですか。

       

勝浦~新宮駅間の所要時間が26分ですから、詳しい話は聞けませんが、熊野曼荼羅の話より新宮の丹鶴城にまつわる話や徐福の話が多かった。最初の自己紹介で普段は新宮案内をしていると言われていました。新宮市内の案内もこの姿でやっているのか、どちらでも構いませんが、是非一度この方に新宮の街を案内して頂きたいものです、時間が短かったので、いろんな疑問があったけど何も尋ねることが出来ませんでしたから。

             

最後に貰ったナギの木の葉っぱと熊野比丘尼のシール、ナギの葉っぱは引っ張っても千切れないとか言って、縁を結ぶものと信仰されているとか言ってたけど、だいたいの広葉樹って引っ張っても千切れないですよね。

             

新宮で40分近く待たねばなりません。待っていると40分も有りますが、外へ出て散策すると時間は足りません。かと言って次の電車に乗れなかったら、その次の電車なんて何時来るのか分からないほど待たされるのです。ホントに電車では回り難い南紀の観光地です。
駅構内に那智・速玉・本宮の熊野三山の絵馬が飾られていました。

             

さすが新宮駅、構内は広く、三重方面からの電車も発着しています。

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波の高さ

2013-10-03 05:00:00 | 田舎

安倍首相が来年の4月から消費税を8%に上げることを宣言しました。法律で決まっていたとは言え、経済動向を見ながら決めると言っていたにも拘わらず、どうやらそれはポーズだけだったようで、労働者の賃金は少しも上がる兆しも、上がったという結果も無いまま、少しばかりの企業(それも相場で儲けた)の業績が上がったと言う理由での決断のようです。奴は法人も個人もどちらも見ていないと嘯きますが、向いてる方は企業であることに間違いありません。貧乏人ほど負担が大きい消費税なのに、いとも簡単に税率UPを宣言したのですから、その決断はどちらを見ていたのかは明らかです。10月1日の演説では「我が故郷・長州藩の財政逼迫から明治維新が生まれた」などと、私には到底理解できかねるようなことを平気で言っていましたが、長州藩と現代の日本国の置かれている状況は全く違うでしょう。よほど橋下率いる維新の会がお気に入りなのかとも取れますが、どちらも過去の日本国の犯した罪は認めたく無いと言う点で共通している人達ですから、でも現実に苦しい国民の置かれている状況は、歴史認識で解決できるわけがありません。

賃金を上げた企業には減税するという首相、賃金を上げるとはどういうことを指しているのか、アベノミクス(安倍が考えたことではないのでしょうが)を提案した本人ですから、自分で解っているのでしょうね。新自由主義経済では市場原理・競争が基本ですから、賃金が上がるも下がるも労働者個人に責任転嫁されているのです。企業は労働者全体として賃金を下げることを目的としているのであって、一人の労働者の賃金が上がる、下がるということは端からどうでも良いことなのです。そんなことを以って賃金を上げたから減税するなどと言うのはもってのほか、労使の話し合い、或いは闘争の経緯で賃金が上がったと言うなら、その企業にはそれ相応の見返りがあっても良いとは言いませんが、そうするならそうしてあげてもいいのかなとは思います。賃金が上がる・上がらないのはあくまで労使の力関係であって、減税が有るからではないと言うことだけははっきり覚えておかなければなりません。

串本地方の波は、前夜の天気予報で波の高さを予測してくれるので、私はそれを参考にしていますが、実は風向きも多いに関係しているのです。磯釣りしている頃から教わっていたことですが、潮岬の西と東、大島の表と裏では風がどちらから吹くかということで波の状況が違います。西の風が吹けば西側が荒れ、東の風が吹けば古座方面が荒れるのです。

私はたいがい釣りに出る時は、串本方面へ向かいますから、この大島裏の状態を先ず見ることになりますが、大概は鏡のように静かで波一つない日なら、釣りはOKなのです。この大島裏で鏡のようであれば、沖磯では丁度良い波具合になっていることが今までの経験で判るのです。

               

今回は来た日が台風18号の影響が残っていたし、以降ずっと波の予報は2m~2,5m、姫と大島の間の波もずっとこういう状態が続いていました。

               

たいしたことが無いように見えますが、ここでこれくらいの波があると沖ではもっと大きな波がうねっている場合があるのです。今回は誰も来ないので一人で船を出すのは慎重にならざるを得ません。一人だと操縦席に座りながら(周りを警戒しながら)釣りをすることは出来ませんし、何よりも船を係留する時が厄介なのと、ずっと波が高めだったので船は動かせませんでした。

               

ここは浅いので波が立っているのがよく判りますが、遠い海だけを見ていると風波が立っていない限り、素人にはどれ位の波なのかは見ただけでは判らないものです。ここはコメリの裏からの眺めです。

             

新しいカメラにはパノラマ機能が付いています。昔パノラマ用のインスタントカメラが売られていましたから、モードをパノラマにしてシャッターを押すだけかと思ったら、パノラマモードにして、シャッターを押して、カメラを撮りたい方へ回転させ、終わったところでもう一度シャッターを押すという作業をしなくてはなりません。カメラをゆっくり回転させていくと速度が遅すぎますと怒られます、何度も撮り直させられました。どんな風に写るのかもよく判ってなかったし、ヘンな写真になってしまいました。

シャッター音がカシャーッという前のカメラでしたが、新しいのはゲームのシューティング音のようなプシュッという感じ、音は替えられるのでしょうが、未だ全く新しいカメラに慣れていません。

海の波も世の中の波も、一向に収まる気配が無い今日この頃の日本国です。

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