ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

天満神社

2013-10-07 05:00:00 | 田舎

熊野比丘尼の話を聞くのに何故紀伊天満駅まで行ったかと言うと、駅前に天満神社という神社が有ると聞いていたから、確か天満から勝浦にかけても大辺路が通っているとイラストマップに書いてあった筈ですが、そのマップが見つかりません。ひょっとすると、コピーしようと思って大阪に持って帰ったのかも知れませんが、大阪でも見かけたような記憶がありませんから、私のアルツハイマー症も進んだものです。

             

紀伊天満駅前にあると言われる天満神社、天満神社と呼ばれる神社は姫の家の前にもあるし、田並でも見かけたし、全国津々浦々にあるのでしょうが、天満にある天満神社って珍しいかも知れません。境内から駅を見ることが出来ます。確かに駅の真ん前に神社は鎮座していますが、駅前に神社を建てたのではなく、神社の裏に駅を造ったのですよね。駅には大きな看板が立っており、“祝 紀伊天満駅開業百周年”の大書きが目立ちます。駅の沿革が記載されており、新宮鉄道により1912年(大正元年)12月4日、那智口として開業、1917年(大正6年)天満と改称、1934年(昭和9年)国有化により紀伊天満と改称とあります。百周年というのは那智口として開業以来ということになるのです。どちらでもいいことなのですが、紀伊天満駅開業というなら1934年ということになりますから、2034年にはまた百周年記念の催しがなされるという可能性があります。

             

駅に車を停めておこうと考えたのですから、当然、駅正面のこの鳥居が目に付きます。天満神社の鳥居の横には大津波の碑が建っているという記憶があったので、この鳥居を見て、ひょっとしたら天満神社ではないかもと思ってのでした。でも、まぁ最初の写真には『大津波記念の碑』と彫られた石碑が目立っているので、そういう考迷いはすぐに解消。

            

訝しき鳥居を潜り、階段を登って境内を見回します。幹が太く、背が高い木がたくさん有り、夏なら涼しい所なんだろうと思うけど、もう朝夕は涼しくなった今日この頃、特別の恩恵に授かり合えたわけではありませんでした。

ここは那智山の末社でもあります。

                       

私が所謂電々公社に入社したころは、電報の受付業務をしていたのですが、この那智勝浦町天満という行ったこともない地名を頻繁に受け付けたことを今でもよく覚えています。当時は大阪からこの地に電報を打つ人が多くいたということなのでしょう。昔からここ天満は良港として知られていたといいます。今ではどの船も無線を積み、携帯電話の普及もあってもう役に立つこともないでしょうが、当時は漁業無線電報という電報も未だたくさん受け付けていました。

私が最後に働いていたNTTにしても入社した電々公社にしても、皆さんはあまり関心を持っておられないと思いますが、NTTは日本電信電話株式会社、電々公社は日本電信電話公社という名称であり、電話より電信(電報)の方が前に来ていたのです。今や電信はおろか、電話の業務も主として扱ってないような“名は体を現さない”会社になり下がってしまいました。

             

ところでこの天満神社は菅原道真を祀った神社なのか、それとも天満という地にあるから天満神社というのか、どちらなんだろうと思いませんか。三つ並んだ祠の真ん中が菅原道真を祀った祠だそうで、つまり天満宮と同じ考えだということが分かりました。もう一方は考え方が逆、天満神社があったからこの地を天満と呼ぶようになったようです。境内を一周して入って来た方とは逆の出口に行くと、この神社の正面、最初の写真の場所に行きつきます。

             

パノラマ写真が撮れるカメラを手にしたので、そういう写真を撮ってみたくて仕方がありません。神社の南西の角からカメラを振ってみました。正面の道を北へ行くと神社正面に行くことが出来ます。

           

神社の由来などは書かれていませんでしたが、境内の木々、特にこの石垣の横から突き出している3本の木を見ると、この神社の古さがよく解ります。昭和19年12月の東南海大地震による津波にも耐えて残ったのでしょう。

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