ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

こぉったま Ⅲ

2012-08-17 05:00:00 | 田舎

昨年の台風12号がもたらした奈良県南部から和歌山県にかけての被害は甚大なものがありました。もうそろそろ1年が経ちますが、大まかに景色を見ていると回復したのかなと思われるのですが、生活上は未だ放ったらかしにしてあった部分も多いらしく、知人の電気屋さんに聞くと、今頃になってクーラーを付け替えてくれという依頼がとても多いらしい。

ここ、こぉったまでも新たに作った土手が崩れていましたが、それはそれで私は余計なことをしたからだと思っていましたが、今頃になって修復工事が行われています。

             

何をどのようにするのか私には分かりませんが、黄色いショベルカーは川底をさらって土砂を岸に積み上げていますし、あずき色の車は岸に鉄板の杭を打っています。

                       

道路側はこんな風ですが、台風でここまで崩れたのではありません。土手を修復するためにわざわざ道路を半分人為的に壊してしまったのです。ここらは以前は壊した所の向こうに見えている竹藪がずっと続いていて、人工的な土手など無かった筈、何のために竹藪を壊して土手など築いたのか、予算を使い切るためと言うなら言語道断です。

             

岸の少し高い所にはこんなコンクリートで作られた箱が並べられていました。人間と言うのはお金を使うために、妙なことを考えるものですね。

             

私たちは通ってはいけませんが、工事用の車両が出入りできる道も造られています。

             

脇に置かれてたもの、一体何じゃ?と思いますが、明らかに大きなカニカゴでは無いことは分かります。

             

答えは河原にありました。大きな石を入れて沈めておくのですね。沈めたものを引き上げていますが、こんなカゴに石を詰めて沈めたり、引き上げたりするのは、何のためなのでしょう?

             

河内橋の上から撮った工事現場、又もやあの黒いビニールに入れたものが並んでいます。こんなものがあると言うことは工事が終わってこの平坦になった場所は私たちは使えないということなのでしょう。

             

こちらは河口側ですが、水の流れも少し帰られています。河内橋の下は右岸側でも左岸側でもカヌーは通れていたのですが、今は左岸側の方しか通れそうにありません。

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こぉったま Ⅱ

2012-08-16 05:00:00 | 田舎


今日の記事を書く際にジャンルを選ぼうとしてハタと困ってしまいました。選びたいと思っていた“公害”というジャンルが無いのです。日本国では高度成長期に水俣病やイタイイタイ病などのいろんな公害を垂れ流して、問題を起こしてきました。現在では企業倫理やコンプライアンスと言ったような言葉が横行するようになり、今や公害を垂れ流しても良しとする企業は無いといっても過言ではないでしょう。だから“公害”というジャンルは無いのかと納得するほど私もバカではありません。今でも当時の病状を引きずって苦しんでいる人がいるのですから、公害と言う言葉は残らざるを得ないのです。

             

一方そういう歴史を踏まえて今の日本国があるのに、「中国は今でも公害垂れ流しをやっている」というような言い方は二通りの意味で適切ではないと思うのです。中国が公害を垂れ流していることを肯定しているのではありませんが、一つは日本で経験してきたことを(愚かな経験など止めておけばいいのですが)今中国が経験しようとしているのです。公害を防止する手立ては既に日本にはあるので、それを中国お得意のマネをすればいいのですが、そういうことを他国から強要することは主権侵害と言われる恐れがあります。二つ目は「今でもやってるじゃないか」という発言は過去の日本国の企業が行ってきた愚行を免罪する意図があるとも受け取れるのです。

             

こぉったまの河原、一段高くなっているのが分かりますかね。高くなった部分は踏み固められたように(足で踏んだのではないと思う)硬くなっていて、河原にしては不自然、とっても歩き易いのです。私が立っている辺りは昔は草が茫々と生えていました。

             

昨日、その草が無くなったので上流の方へ歩いて行った話をしましたが、とんでもないものを見つけてしまったのです。この流れているものは何だと思います?私も何だか分かりません。
             

             

中央の煙の立っている工場のような建物から流れてきているようです。

             

清流・古座川に何かを垂れ流しているではありませんか。乳白色をしているので単なる泥水では無いと思いますね。なのでジャンルを公害にしたかったのです。

             

川に沿って道があるので、その原因を探ってみることに、5分ほどで何か積まれたものが見えてきました。これは河原からも見えました。

             

こんなものが積まれているのですが、枯葉や枯れ枝だけではなさそうです。

             

建て物も見えてきました。工場かなとも思えるのですが、そうではないかも知れません。

             

“伝染病予防の為関係者以外立入禁止”の立て札がやたらと多く立ててあります。ここはそんなに恐ろしいところなのか。ここに入れば伝染病に罹るのか?

             

先ほどの煙を立てている社屋、伝染病菌のあるところからの垂れ流しなのか?

             

更に奥へと進むと、牛舎がありました。屋根にスプリンクラーで水を撒いて涼しさを保っているようです。

             

ホルスタインという種類のものか、あまり動きませんが、この牛は私が通ると牛舎の中を私と同じように歩いてきました。

             

道は続いているようですが、ここで行き止まりです。伝染病予防のためというのは、人間が罹ることを恐れてじゃなくて、牛にうつるのを恐れているようですね。人より牛が大事?ちょっと胡散臭いですね。

カドミウムや有機水銀といいうような鉱物を扱ってるんじゃないことは解ったけど、垂れ流しているものは何なのか?ここは串本町内ではなくて古座川町内になると思うけど、役場の人は知ってるんでしょうね。

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こぉったま

2012-08-15 05:00:00 | 田舎

今年の夏の姫の家の朝晩は涼しい。全くエアコンなど要らないのですが、その分窓は開けています。それは風情があると言えばあるのですが、一晩中カエルがゲッゲッゲと鳴き、朝方になると鳥がさえずり、7時を回るとセミがジッジッジッジ・・・・・ギャンギャンギャンギャン・・・と煩く鳴き始めるのです。セミの鳴き声だけで暑く感じてしまうほど、車の騒音よりはマシかも知れませんが、セミやカエルが鳴かなければ静かなんですけどね。静かと言えば冬、エアコンをつけなくてもいいほど暖かくはありませんが、テレビもラジオも無い家は独りでいると気味が悪いくらいなのです。

             

紀三井寺で使用後デジカメのバッテリーが使えなくなってきたので、今は2年前の春に彦根で買った予備のバッテリーを利用していますが、これも元から調子の悪い電池で、LUMIXのオリジナル電池と比べると持続時間が雲泥の差、買った時は高かったけど、電池切れになったから仕方ないと思って買ったたのに、充電しないと使えないとは知りませんでした。こちらに来たあくる日(土曜日)ネット通販を調べているとオリジナルバッテリーが1680円で販売されていたので、すぐに申し込みしましたが、届いたのは1週間以上経った日曜日の午後。一向に届かないので配送受付番号という奴で調べてみると、居所不明で木曜日に持ち帰っているとのこと。どうやらヤマト便は私の家が分からなかったらしい、他の配送業者は見つけているのに妙な話です。ゼンリンの住宅地図にも名前は載っている筈です。

             

こちらにやって来た頃、土・日・月曜と天気がおもわしくなかったのですが、火曜日からは晴れ渡ってきたので、家に居ても仕方ないし、それにしてもデジカメの電池が心配なので遠出も出来なくて、先週末に三男たちと昼間バーベキューをしようと計画していた河内さんへ下見に行ってみることにしたのです。

タイトルにある『こぉったま』とは古座で使われている清暑島周辺のことで、漢字で書くとおそらく河内魂なのでしょう。私は大阪に住んでいるので、河内は「かわち」と発音しますが、こちらでは「こうち」と発音します。でもどうやら「こうち」と発音する方が多いかも知れません。大河内伝次郎とか超有名(若い人は知らんか)でしたもんね。

             

着いてみて驚いたのは、きれいに整地されている場所が広くなったということ、ここでは毎年河内祭が行われ、獅子舞が奉納される場所なので、大きなゴロタ石があると踊りにくいし、見ている人も躓き易いからなのでしょう。それはいいとして、島の前の岸部が以前より切り立っているのが気になります。以前はもう少しなだらかな傾斜だったと思います。島のまん前は急に深くなっているので岸に着いた時にこれだけ傾斜がきついと上に登りにくい、危ないなぁと思うのです。
写真の中央の黒いところは去年の台風で浸水した時、崩落した現場、今でも道路は治ってなくて、片側通行の信号が置かれています。僅か10mも無いほどの間隔なのですから、さっさと修理してほしいものです。

             

2~3年前までは清暑島の前の岸は上流へ10mも歩けば草が茫々と生えていて、その先はどうなっているのか分からなかったのですが、今はすっかり草は刈り取られ、いや抜き取られています。なので上流の方へ歩いてみました。

すると大きなコイが泳いでいます。15匹ぐらいいたでしょうか。
             
             

清暑島の前までは海からほぼ一直線で海水も含まれており、汽水域でも生息できるスズキやチヌの泳いでいる姿が見られます。でもコイは汽水では生きられない筈、考えてみれば清暑島の少し上流は左へと90度カーブしており、海水はもう溯ってこれないのかも知れません。

             

もうそろそろこの辺りで終わりです。14~5分は歩いたでしょうか、ここからは清暑島の姿は全く見えません。

             

この写真で岸の角度が分かるでしょうか。清暑島の真ん中あたりから泳ぎだしたとすると、ゆっくり泳げば川の流れでこの辺りに到着することもあるのです。川の流れは結構強いので、精一杯泳がなければまっすぐに進むことは難しいのです。

             

この写真の方が角度がよく分かりますね。まぁ、ここは清暑島の端からは遠いので、通常誰も使わない場所ですがね。

しかし大阪は暑い、大阪と言うより都会は暑いのです。大阪で最高気温が36℃でも潮岬の最高気温は30℃ほど、潮岬の方が赤道に近いのに暑くないと言うのは自然の摂理に合いません。きっと昔は大阪も潮岬も同じような気温だったのだろうと思います。大阪が暑いのは人口の集中化、高くて大きなビルが林立するようになり、緑を奪ってきた結果なのだろうと思います。そういうことに何の反省も無く利潤や便利さばかりを追求する体制が変わらなければ、自然との歯車が狂ったまま突き進んで行き、原発問題もそうなのですが、人類の思うような世界とは無縁の環境へと変わってしまうのではないかと危惧するのです。

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紀三井寺 Ⅳ 新仏殿

2012-08-14 05:00:00 | 田舎

7月19日の紀三井寺の話が今日で4回続いたことになります。「串本古座高校の応援に行ったんと違うんか!」と突っ込まれそうで、苦笑しています。串本古座高校の試合があるからこそ、早朝から始発電車に乗って紀三井寺くんだりまで行ったのですよ。単に紀三井寺へ行くのなら大阪の家から行った方が近いのです。

             

これが新しくできたと言う仏殿、楼門で拝観料を払う際、本堂は200円、新仏殿(大観音像拝観)が200円、合同券が300円と厚かましいのか・控えめでしおらしいのか解らんような料金設定が掲示されていました。まぁ急に大観音像を見たくなって合計400円払うよりは、先に300円で手を打っておく方が得策だと思い合同券を買ったのでした。

             

高さが11mもある総漆金箔寄木観音立像が中に入っていますが、館内は撮影禁止です。おまけに丁寧に話を聞かせてくれる人が付き纏うので、カメラを取り出すわけにもいきません。木造では日本最大の千手観音立像だとか。

             

階段で3階まで上って、外の景色でも写しましょう。境内からの風景よりは少し高いのと、木に邪魔されないので眺めが良いようです。左端の細長い建て物のやや右側に和歌山マリーナシティが見えています。

右端から海の手前に突き出している緑色の線は片男波海岸、左手沖に浮かぶのは沖の島。

             

こちらは正面、中央の茶色っぽい建物は県立医大、左端は新和歌浦方面で、山は章魚頭姿山だそうですが、タコの頭に見えますか?快晴ならこの山の向こうに淡路島が見えると言います。

             

県立医大の右手の山が秋葉山、その右の山との挟間に住金和歌山製鉄所が見えるそうです。秋葉山の西に(写真で言えば奥に)1回戦で当たった星林高校があり、更に200mほど北西へと行くとこの日対戦相手の和歌山工業高校があるのです。

             

3階の廊下を一周、窓から観音様の顔が見えるので、ここからなら撮影禁止ではありませんから、撮っておきました。有難いと思う人には有難い尊顔なのでしょうね。

             

もう少し高ければ良いのですが、3階から見渡す境内、六角堂、大師堂、鐘楼、本堂と続く屋根が見えています。左手にクスノキ。

             

真下に見える樹木群。

             

電車が来たので正面の写真をもう一枚。片男波海岸がハッキリと見てとれます。

             

正面に何か妙な建物が見えているのでズームして撮りました。肉眼にはこれ位の大きさで見えます。後で地図を見るとここは島になっているようで、勿論橋で繋がっています。何重かは分かりませんが塔が見えているのでお寺でしょう。海龍寺とありました。

この奥に塩竃神社、そのまた奥に有名な玉津島神社があるのです。ブログのネタ探しならこのお寺や神社にも立ち寄ったことでしょうが、この日の目的はあくまで高校野球観戦だったのです。

             

新仏殿を後にするとすぐ右に柵で囲まれた4つの碑が目に付きます。1番右が『尾高城之介君の碑』誰だか知りませんが、個人的なものなのでしょうか?次が『表勇碑』“義を見てせざるは勇無きなり”という論語からのものなのか、そうだとしたらたいしたものですが、空勇気はダメですね。この論語の“義を見て・・・”というのは、義理の義ではなくて、正義の義という意味なのです。3番目が『馬頭観世音菩薩』とだけ彫られたもの。一番左は何が書いてあるのやら分かりませんでした。

この後、歩いてなら途中の若宮八幡宮で必勝祈願でもしようと思っていたのですが、長男が車でやって来たので直接紀三井寺球場まで赴いたのでした。

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紀三井寺 Ⅲ 多宝塔

2012-08-13 05:00:00 | 田舎

本堂の右横、昨日の賓頭慮尊者の写真を見ると分かりますが、階段があります。誰も登って行かないし、降りても来ないので、何があるのか、何も無いのかも分かりませんが、興味津々で登ってみることにしました。楼門からの階段のように長くはありません。楼門からの階段は所々にお堂や庵があり、そちらに気を取られて段数を勘定できていませんが、231段あるそうです。紀伊国屋文左衛門は貧乏な時代、母親を背負って登ったという話も有ります。

家の2階へと上がる階段よりは高いでしょうが、30段ぐらいだと思います。

             

登ってみると二つのお堂がありました。何も書いてないので上がった時は分からなかったのですが、こちらは開山堂。こういうネーミングですから約1200年前の建立かと思いそうですが、そんなに古いものではありません。

                       

こちらが多宝塔、国指定重要文化財です。この塔も朱色が鮮やかです。紀三井寺の国指定重要文化財の建て物の中は知る由もありませんが、皆塗り替えをしているのです。多宝塔と名前が付いていますが、紀三井寺の重要文化財の指定を受けている仏像はこの建物の中にあるのではありません。

             

ここからは真横に入母屋造りの本堂の屋根が見えます。

             

この一段高いところには二つの建物しか無く、奥の階段から降りようとすると、山の方へ登って行く階段がありましたが、あまり関係なさそうなので登りませんでした。

             

多宝塔の奥の階段を下りると、大師堂の横に出てきました。

                       

境内にあったいくつかの碑を紹介しておきましょう。この碑には“奉修開創壱千弐百年大法要者為令法久住利益人天也”と書かれてあり、左側はサンスクリット語で同じことが書かれているのかと思ったけど、どうやら全然違うようです。

                       

この碑は面白い、最初の行に象形文字で“戦争犠牲者○霊供養”と書かれています。○のところにある字はは読めません。次の行からは四字熟語“天下泰平 万民豊楽 五穀豊穣 工業発展 令法久住 利益人天 世界平和 公害追放 交通安全 家門繁栄 福寿増長 如意円満”令法久住や利益人天は先の碑と一緒ですが、工業発展や公害追放はなどが盛り込まれているのは珍しく面白いと思ったのですが、これが高度成長期なら矛盾と言ってもいいほど、今は工業を発展させても公害は出さないようにはしていますからね。中の丸い切り抜きは円ではなくてモモのような形をしています。          

                       

これは比較的最近のもののようです。仏足石ですが、ここの解説では仏像というものが出来るまでは、専らこの仏足石が礼拝の対象となっていたとありました。

             

高台にある紀三井寺の境内ですから、西側を眺めるとなかなかいい景色です。こちらは正面やや右側、新和歌浦が望めます。

             

左の方は海南の和歌山マリーナシティが見えるそうですが、ここからは高い木に遮られて見えません。

             

階段を登りきったところにあった六角堂、次は新仏殿に向かいます。

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紀三井寺 Ⅱ 本堂

2012-08-10 05:00:00 | 田舎

楼門から続く階段を登りきると右には赤く大きくたいそうな建物、「これが新しく建てられた新仏殿か」と思いつつ、逆の左へと進みます。矢印とか案内板とかは無いのですが、自然と足は左へと向くのです。

昨日載せた楼門も朱が塗りかえられたばかりなのか、派手な色をしていました。             

             

この鐘楼も同じように朱色が目立ちます。楼門もこの鐘楼も国指定の重要文化財だそうです。

             

こちらは大師堂、紀三井寺は旧来真言宗のお寺でしたが、昭和26年に創宗し“救世観音宗”というような聞いたことの無い宗派の総本山になっています。救世観音と言うと法隆寺・夢殿の救世観音立像を思い起こしますが、紀三井寺と法隆寺とは共にお寺(Temple)という意味では同じですが、宗派上は何の関係も無さそうです。

             

大師堂と本堂の間にある池、拝観料を払った時に貰ったパンフレットにもホームページにも何の説明もありません。池に架かる橋はごくらく橋、その先で右腕で頬杖をして居眠りしている観音像が座っていました。

             

本堂が見えてきて人がちらほらいます。JR紀三井寺駅で降りた人で、この紀三井寺方面へ歩いてきた人は私の他にいなかったので、来ている人は皆車で来たのかと思ったのですが、よくよく考えてみると、確かに私は串本駅初発の電車に乗ったけど、紀伊田辺駅以北ならもっと電車が出ているし、大阪方面からならもっと早く来れるはずです。

             

未だ9時半ごろ朝早いので少ないですが、参拝客が後を絶ちません。

             

誰もいないシーンが撮れないのです。

赤い長提灯に書かれている十一面観世音菩薩の像は国の重要文化財、本堂自体は江戸時代に建立されているので県の重要文化財になっています。その仏像は秘仏になっていて見ることはできません。

                       

その代わりかどうか、本堂の外に賓頭慮尊者像が置かれています。昭和59年の春に失火から本堂消失の危機に、この像が身代わりとなって焼身したそうですが、本堂が消失するほどの勢いのある火なら、この賓頭慮像が焼け焦れたぐらいでは済みますまい。

             

本堂の対面に建つ水子地蔵と弘法大師像、真言宗を見限ったお寺が何故弘法大師像を建てているのか疑問ですが、こういう像を見ると弘法大師だと思い込んでいる私が間違っていて、紀三井寺は弘法大師ではないと言うかも知れません。何処にも弘法大師とも大師とも書かれていませんが、紛らわしいことはしないでほしいものです。

             

境内には約500本ものサクラの木が植わっているそうですが、このクスノキも見事なものです。樹齢約400年と言われ、後白河法皇が植えたクスノキの代替わりしたものだとか、後白河法皇ってNHKの大河ドラマ『平清盛』を見ていても曲者ですね。今の時点で親密な関係にある清盛と後白河上皇ですが、後白河は自らの手を汚さずして平家を滅亡させてしまいます。

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紀三井寺

2012-08-09 05:00:00 | 田舎

夏の高校野球予選・和歌山県大会、串本古座高校の試合を観るために7月19日早朝、串本駅発5時54分発の始発電車に乗って紀三井寺球場へ行ったのは既報ですが、昨日からはもう甲子園球場で開会式が行われ、熱戦の火蓋が切られていまます。話が昨今のことや一月も前のことなどが入り混じり、心苦しい限りです。

串本駅を始発電車に乗るためには、家のある紀伊姫駅からは一つ新宮側の駅なので乗れません。バスも未だ走っていませんから、自分で歩くなり、自転車に乗るなり、自家用車やタクシーに乗って何とかしなければならないのです。串本駅は紀勢線の始発・終着駅ではないのにJRのこのサービスの不徹底振りはどういうことなのか、新宮~紀伊姫の間に住む人々は公平なサービスを受けなくてもいいのだとでも思っているのか、こういう仕打ちは串本駅以北の人には分かりますまい。

串本駅から始発に乗れば、途中紀伊田辺駅で和歌山へと向かう電車に乗り換えるのですが、白浜駅からは特急も走らせており、それに乗ると途中再び湯浅駅で普通電車に乗り換えて8時53分に紀三井寺駅に着きます。私はそのまま田辺から普通列車に乗って行きましたが、紀三井寺駅に着いたのが9時5分、12分しか違いがありません。僅か12分早く着くためには特急料金1650円が必要になるのですが、こんなサービスも無茶な設定でしょう。前夜串本駅の駅員に尋ねるとそういう列車を案内するのですよ。全く利用者のことなど頭に無い、金の亡者としか言いようがありません。

             

紀伊田辺駅からの電車には私と反対の窓側に座っていた人も紀三井寺駅で降りたので、この人も応援かと思ったのですが全く逆方向へと歩いて行ってしまいました。11時半から始まる試合を観るために9時12分に駅に着くのは早過ぎます。そんな人は他にはおりますまい。でも私には目的があります、サクラの名所と言われる紀三井寺に未だ行ったことが無かったのです。名所と豪語しても勿論今頃サクラが咲いているわけではありませんが、西国三十三ヶ所巡りの第2番の札所としても有名です。因みに私の放浪記には1番の青岸渡寺、5番の葛井寺、9番の興福寺、24番の中山寺を載せていますが、何も西国巡礼を意識してのことではありません。

                       

紀三井寺とは通称、みんなが呼んでいるので紀三井寺と思っていましたが、本当は『紀三井山護国院』というらしい。でも貰ったパンフレットにも紀三井寺と書かれていました。
楼門前の参道ですが、晴天なのに道が所々濡れています。

             

こうやってスプリンクラーのようなもので散水しているのです。暑い時期に打ち水に変わるこういう自然の涼しさ(スプリンクラーは人工ですが)は、JRなんかと違い、なかなかいいサービスだと思います。

             

本堂へと行くまでに長い階段があり、左右にお堂が並んでいます。このお堂には七鈴観音と書かれていました。

             

こちらには地蔵菩薩とか聖徳太子とか書かれた提灯が吊られていました。関連性が不明ですが、時間もないので寄ってはいません。

                       

長い階段でしょう。これでも少し登ったところから撮影しています。この紀三井寺に来て私のカメラで最初の方に撮った写真です。上の写真とは鮮度が違いません?上の写真は長男のCASIOのデジカメ、私のはLUMIX、ライカのレンズとの違いでしょうか。

             

こちらは波切不動尊、不動明王が祀られているようです。

             

これは応同樹と呼ばれる木、学術的にはクスノキの一種、この寺の開祖の唐僧・為光上人が竜宮から持ち帰った7つの宝物のうちの一つで、どんな病にも効くのだとか・・・それならもっと地球上に植わっていても良い筈です。今はその孫木が育っているらしく、この樹は昭和44年の案内板には樹齢推定約150年とありますから、今なら約200年、そろそろ案内板も書き変えなければなりません。

             

ここのお寺には三つの井戸があるそうで、それぞれ清浄水、吉祥水、楊柳水と名付けられていますが、そんなことはこの時知りません。

             

これはそのうちの清浄水、紀州の地で三つの井戸があるお寺なので紀三井寺と言われるようになったと言います。案内板をよく読んでいれば3つの井戸を探してここに載せたかったものです。こういう案内板は古くなっていて読み難いし、前に木が茂ったりして読めなくなってしまっているので、取り替えて欲しいものです。

             

身代わり大師と書かれたお堂、“南無大師遍照金剛”の旗が見えますから、ここは真言宗のお寺だと思っていました。

             

楼門を潜って階段を登り、一段落した所から振り返って撮ったもの、これがこの時私のカメラで撮った最初の写真です。この紀三井寺の境内で50枚ほど撮って電池が無くなってしまいました。いつ電池が無くなるかとヒヤヒヤして撮っていたのですが、案外たくさん撮れたと思います。でも以降電池はいくら充電しても少しも機能しなくなりました。

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串本の花火

2012-08-08 05:00:00 | 田舎

昨日は7月の姫の家の話でしたが、先週の金曜日から姫の家に来ているので、今日はもう8月の串本の話です。大阪を出た金曜日は晴天でしたが、翌土曜日は曇り空、昼過ぎからは時折激しい雨が降り出し、土曜日から始まる予定の串本祭りは日曜日に延期となりました。
串本祭りが目的で金曜に来たのではありませんから、延期になろうが中止になろうが知ったことではありませんが、雨のお陰で夜中は涼しくて、エアコンなど要りません。大阪の我が家では朝6時を回ると暑くなってきてエアコンが要りますが、こちら姫の家ではじっとしていればエアコンなど要らないのです。でも日中は外へ出て動くと暑く、部屋に入っても自分自身が熱を持っているので、エアコンで体を冷やさないと我慢できません。

             

日曜日は朝まで雨が降り続き、朝になって雨は止んだものの、役場からの放送ではこの日予定されていた大掃除は中止すると言っていました。暫くしてまた放送があり、串本祭りも中止するとのこと、体育館で行うアユのつかみ獲りなどの行事は予定通り行い、花火だけが延期になり、月曜の8時からということでした。

日曜の花火なら見にも行かなかったでしょうが、月曜に延期になったので古谷魚店で夕食がてらに行ってみようと、いつもの紀伊姫発6時11分の電車に乗ろうと駅まで歩きます。家を出た時は「家の中より外の方が涼しいやん」と思ったけど、家から駅まで5分もかからないのに、駅に着くころには汗がにじみ出てきます。駅には珍しく4人の若い客が待っていました。

             

そして電車が来てビックリ、いつもは10人ぐらい、しかも殆どが学生しか乗ってないのに、この日は立錐の余地もないほどいっぱい乗っているのです。降りる人も困ってしまうほど(こんな駅で降りる人もおったものですが)混雑しているのです。乗客と言えば浴衣姿の女性ばかり、たまに男性も乗っていますが、皆高校生ぐらいの子、何処から乗って来たのでしょう?聞こえてくる雑談には「通学時間帯みたい」だとか。2時間に1本しかない電車ですから、乗らなければならない電車は決まっているのです。8時から始まる花火大会に間に合わすには6時のこの電車に乗るほかは無いのです。

去年も串本祭りの花火を撮っていますが、この時は三男の運転する車で来ていたので、電車がこんなに混むとは知りませんでした。

             

8時過ぎまで古谷魚店で飲んでいて、花火が始まったので見に行こうと思ったのではありません。そろそろ帰りましょう、8時24分発の電車に乗れなかったら9時36分まで待たなアキません。それに間に合わないと歩いて帰る羽目になってしまうのです。ですから今日の写真の花火は串本駅からのもの。

             

帰りの電車、私の他には誰も乗っていません、これがいつもの車内の風景です。きっと次の電車は来た時よりも満員になるのでしょうね。早目に帰って正解です。

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虫刺され

2012-08-07 05:00:00 | 田舎

先月は14日が第二土曜だったのでソフトボールの練習があり、翌日も第二日曜なのが普通なのですが、翌15日は第三日曜なのでソフトボールは何も無く、その日から串本へ帰れるはずが、甥の結婚祝賀会があったので1日延ばして16日に帰りました。第一日曜が朔日の月は土曜と日曜の回りが違っていて、21日の第三土曜は何も無いのに、翌22日は第四日曜になるのでソフトボールの試合があるのです。なのでいつもは串本に帰れば2週間程度は滞在するのですが、前回は1週間足らずで大阪に戻らなければなりませんでした。

6月は旅行に行ったので、串本にはあの忌々しい軽バンを運んだ3日間だけでしたが、1ヶ月以上経って紀伊姫の家の庭に着くと庭は雑草だらけ、前に帰った時に目ぼしい草は抜いて帰った筈だったのに・・・この時期の草の成長は稲もさるところながら他の草類も成長が著しいのです。

どれだけ雑草が生えていたのかは写真には撮っていませんが、背丈の高くなったものは一応抜いておこうと思い、火曜日の朝、陽が高く上がらないうちに作業を済ませようと一大決心をして草を引きにかかったのでした。姫の家では朝夕はとても涼しいと思っていたのですが、30分も作業をすると汗だくだくです。見知らぬ人が犬の散歩をしながら「草引くのも大変やなぁ」と挨拶しながら山の方へ通り過ぎていきます。

1時間ぐらい作業して、もう限界と中途半端に止めてしまって家に入って気が付いたのですが、左腕を何かに噛まれていました。ヘビとか動物ならば気が付くので、おそらく虫でしょう。いったい何時噛まれたのか、どんな虫が噛んだのか、全く分かりませんが、噛まれた跡に0.5mm以下の小さい穴が開いていて、少し血が見えていたので蚊ではないことは分かります。大したことはないと思って、その時の写真は撮っていません。一応虫刺され全般に効くと言うムヒαEX塗っておきました。いや他に塗るものなど無いのです。

             

翌日になると噛まれた跡はプックリと水膨れになってしまいました。蚊ならこんなことはありません。横から見ると乳首のようです。サッカーをやってた頃は、靴擦れなどで出来た水膨れならさっさと針で穴を開けて水を出したりしていましたが、それをやっても良いのかどうか分かりません。

1枚目の写真のように噛まれた跡の周りが赤くなっています。別に陽に焼けたわけではありませんし、痛みも痺れもなく、ただ時々痒くなるのです。そんな時はムヒαEXを塗るだけ、少し気味が悪かったので病院で見てもらった方が良いのかと思いましたが、保険証など持って来ているはずがありません。

翌日からは虫除けスプレーをして作業にかかるようにしました。

そして時間が経つに連れて、水膨れは小さくなっていき、だんだん固くなっていきました。大阪へ帰るころには針で穴を開けて水を出すなどということは出来そうもありませんでした。

             

一週間後の朝、気付いてみると瘡蓋になっていました、前日は瘡蓋になるような様子は全くなかったのですよ。血も出てないのに瘡蓋になるなんて・・・瘡蓋は血の固まったものではないのか、今まで60年間もの長い間ずっと瘡蓋は血が固まったものだと思っていました(60年間はオーバーですね、小さい頃はそんなこと思ってる筈がありません)。2~3日して例外に漏れず、誰でもがするが如く、ゆっくりと瘡蓋を外しにかかります。やはりきれいに外れました。

それにしても今夏は虫に刺されることがもう2度目です。2度あることは3度あるらしい、さて今度は何時、何処で、どんな虫に刺されるのやら・・・

今は瘡蓋の跡が少し残っているだけ、腕にも何の障害も残っていないようです。でもどんな虫が私の腕を襲ったのでしょう、それが知りたい。

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トラッキーの面

2012-08-06 05:00:00 | スポーツ

梅雨に入り、旅行から帰ると一足違いで九州に豪雨が降り、梅雨が明けて、真夏日が続き、ロンドンではオリンピックまで幕開して、僅か7日間の旅行記を28項目綴っているうちに、あの鬱陶しい季節から、晴天ですが毎日猛暑日が続くようになりました。今頃旅行に出かければ、暑さはともかく、きれいな写真がたくさん撮れただろうと思ってはいますが、熱中症に罹っては大変です。やはり旅行は春の彼岸を過ぎて5月いっぱい、秋の彼岸を過ぎて11月いっぱいといった時分が良いのではないかと思います。

確か旅行の記事の前日は雨の甲子園の記事でした。旅行に行く前に、旅行から帰ってくるまでの期間の記事を全部綴っておいたのでした。そうしておかないと旅の途中でブログを記していけるほど私は器用ではありません。

旅行の記事から明けるとまたタイガース、でも決して私はトラキチではありません。プロ野球ではジャイアンツと同程度にタイガースは嫌いな球団、関西のスポーツ新聞は勝っても負けても、大したことのない記事でも、いつも一面扱いで、とても公正・公平とは言えないスポーツ新聞というメディアに甘んじている球団が許し難いのです。ジャイアンツなどはスポーツ新聞ばかりか自らが大手商業新聞の傘下ですから、その偏向ぶりは目に余ります。でも偏っているという意味では同じ穴のムジナなのですよ。ジャーナリズムが今日のように堕落してしまったのは、ジャーナリストの思想性の問題もさることながら、こういうプロ野球という小さなジャンルからでも不公平が大手を振って罷り通っているからかも知れません。

             

それは置いといて、今日は試合の記事では無くて、トラッキーの面のお話し、入場門で手渡されたこの面は、ラッキーセブンの攻撃の初めに被れということでした。ファンでもない私がこんなものを被るなんてことは出来ませんが、貰えるものは貰っておきましょう。後のブログのネタになるかも知れません。

全然知らんよその子ですが、近くにいたので撮りました。写った写真をよく見ると面を4枚も重ねて持っていました。

             

この『ぼんくら放浪記』をいつまで残すのかは私の意思、或いは財力次第ですが、もし10年・20年後にも残っていて、この子がたまたまこの写真を見つけたら、撮った私・見つけたこの子は凄い偶然なのですが、成長したこの子はどんな風に思うのでしょうね。コメントをくれても私はもうこの世にはいないかもしれません。

こんな風に思うと、時々はこのような知らない子供を撮っておくのも楽しみかも知れません。

             

う~ッ、誰じゃ?この二重顎のトラッキーは!

             

皆さん熱心にトラッキーの面を付けたり持ったりして、応援しています。結構気に入ってるようです。

             

オッ!グランドの中にもトラッキーの面を被った奴が走ってると思ったら、本物のトラッキーでした。

             

ジェット風船にトラッキーの面を付けてる奴も・・・ということは、ジェット風船って膨らませると、人の顔ほどの大きさがあるということですね。

             

試合は苦手ドラゴンズ相手に1-0で勝ちましたが、8回を終了してもう9時半近くになっています。甲子園駅で電車に乗るのは10時を回るでしょう。

ところで、家に帰った翌日、この面を付けて我が家の飼い犬モモの前に立つと、最初は喜んで飛びかかってきましたが、2回目以降は知らん顔、面を取って顔を見せてますから「何じゃ、おまえか!」とでも思われたのでしょうか、以後誰が被っても知らん顔です。モモももう壮年、いろんなことに興味を示さなくなりました。

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