夏の高校野球予選・和歌山県大会、串本古座高校の試合を観るために7月19日早朝、串本駅発5時54分発の始発電車に乗って紀三井寺球場へ行ったのは既報ですが、昨日からはもう甲子園球場で開会式が行われ、熱戦の火蓋が切られていまます。話が昨今のことや一月も前のことなどが入り混じり、心苦しい限りです。
串本駅を始発電車に乗るためには、家のある紀伊姫駅からは一つ新宮側の駅なので乗れません。バスも未だ走っていませんから、自分で歩くなり、自転車に乗るなり、自家用車やタクシーに乗って何とかしなければならないのです。串本駅は紀勢線の始発・終着駅ではないのにJRのこのサービスの不徹底振りはどういうことなのか、新宮~紀伊姫の間に住む人々は公平なサービスを受けなくてもいいのだとでも思っているのか、こういう仕打ちは串本駅以北の人には分かりますまい。
串本駅から始発に乗れば、途中紀伊田辺駅で和歌山へと向かう電車に乗り換えるのですが、白浜駅からは特急も走らせており、それに乗ると途中再び湯浅駅で普通電車に乗り換えて8時53分に紀三井寺駅に着きます。私はそのまま田辺から普通列車に乗って行きましたが、紀三井寺駅に着いたのが9時5分、12分しか違いがありません。僅か12分早く着くためには特急料金1650円が必要になるのですが、こんなサービスも無茶な設定でしょう。前夜串本駅の駅員に尋ねるとそういう列車を案内するのですよ。全く利用者のことなど頭に無い、金の亡者としか言いようがありません。
紀伊田辺駅からの電車には私と反対の窓側に座っていた人も紀三井寺駅で降りたので、この人も応援かと思ったのですが全く逆方向へと歩いて行ってしまいました。11時半から始まる試合を観るために9時12分に駅に着くのは早過ぎます。そんな人は他にはおりますまい。でも私には目的があります、サクラの名所と言われる紀三井寺に未だ行ったことが無かったのです。名所と豪語しても勿論今頃サクラが咲いているわけではありませんが、西国三十三ヶ所巡りの第2番の札所としても有名です。因みに私の放浪記には1番の
青岸渡寺、5番の
葛井寺、9番の
興福寺、24番の
中山寺を載せていますが、何も西国巡礼を意識してのことではありません。
紀三井寺とは通称、みんなが呼んでいるので紀三井寺と思っていましたが、本当は『紀三井山護国院』というらしい。でも貰ったパンフレットにも紀三井寺と書かれていました。
楼門前の参道ですが、晴天なのに道が所々濡れています。
こうやってスプリンクラーのようなもので散水しているのです。暑い時期に打ち水に変わるこういう自然の涼しさ(スプリンクラーは人工ですが)は、JRなんかと違い、なかなかいいサービスだと思います。
本堂へと行くまでに長い階段があり、左右にお堂が並んでいます。このお堂には七鈴観音と書かれていました。
こちらには地蔵菩薩とか聖徳太子とか書かれた提灯が吊られていました。関連性が不明ですが、時間もないので寄ってはいません。
長い階段でしょう。これでも少し登ったところから撮影しています。この紀三井寺に来て私のカメラで最初の方に撮った写真です。上の写真とは鮮度が違いません?上の写真は長男のCASIOのデジカメ、私のはLUMIX、ライカのレンズとの違いでしょうか。
こちらは波切不動尊、不動明王が祀られているようです。
これは応同樹と呼ばれる木、学術的にはクスノキの一種、この寺の開祖の唐僧・為光上人が竜宮から持ち帰った7つの宝物のうちの一つで、どんな病にも効くのだとか・・・それならもっと地球上に植わっていても良い筈です。今はその孫木が育っているらしく、この樹は昭和44年の案内板には樹齢推定約150年とありますから、今なら約200年、そろそろ案内板も書き変えなければなりません。
ここのお寺には三つの井戸があるそうで、それぞれ清浄水、吉祥水、楊柳水と名付けられていますが、そんなことはこの時知りません。
これはそのうちの清浄水、紀州の地で三つの井戸があるお寺なので紀三井寺と言われるようになったと言います。案内板をよく読んでいれば3つの井戸を探してここに載せたかったものです。こういう案内板は古くなっていて読み難いし、前に木が茂ったりして読めなくなってしまっているので、取り替えて欲しいものです。
身代わり大師と書かれたお堂、“南無大師遍照金剛”の旗が見えますから、ここは真言宗のお寺だと思っていました。
楼門を潜って階段を登り、一段落した所から振り返って撮ったもの、これがこの時私のカメラで撮った最初の写真です。この紀三井寺の境内で50枚ほど撮って電池が無くなってしまいました。いつ電池が無くなるかとヒヤヒヤして撮っていたのですが、案外たくさん撮れたと思います。でも以降電池はいくら充電しても少しも機能しなくなりました。