ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

御陵から蹴上

2013-09-25 05:00:00 | 大阪にて

一五夜の月も20日に過ぎ去ったのですが、この三日月の写真は京都へ行く前夜9日のもの、夕方7時前です。6月7月なら未だ明るかった7時前も今はもう真っ暗、春分の日が近づくとウキウキした気分になり、秋分の日が近づくと寂しいような気分になってしまいます。寒さが身に凍みるわけではありませんが日照時間が短い冬より、暑くてもいつまでも明るい夏の方が楽しそうで好きです。

             


三日月の斜め下に宵の明星・金星が見えていました。ニュース番組を見ていると東の空に見えていますと言うので、確認したのですが、実は月の斜め上には土星も見えているというのですが、私の目には見えませんでした。勿論、カメラも土星を捉えることは出来ませんでした。

             

さて本題、天智天皇陵を出て蹴上を目指すのですが、地下鉄に乗って戻ろうか、歩いて行こうかと迷ったのですが、三条から東西線に乗る際に1日乗り放題切符(600円)があるのを知らずに切符を買ってしまったので、一駅分だけ地下鉄に乗るのは勿体なく思い、歩くことにしたのです。途中何か見るべきものも有るだろうと思ったことも歩くことに決めた要因の一つですし、京都の地下鉄東西線が何処まで掘ったのかと思うほど、階段が長いのに下りのエスカレーターが無いのも要因だったのですが、働いていた頃と違って、最近はめっきり歩かなくなった自分の体力がこんなに落ちてしまっていると感じさせられたのでした。

                       

地下鉄東西線は京阪三条~東山~蹴上~御陵と駅を辿るのですが、蹴上~御陵間が最も長くて、地図では三条通りとだけ書かれてあったのに、高くは有りませんが一山越えなければならなかったのです。この坂を登っていくのに疲れてしまいました。天智天皇陵から15分ほど歩くとこの大きな碑、“南無阿弥陀仏”と彫ってあります。

             

謂れはこのガムテープで補修した案内板の通りで、興味深い話はたぶんこの写真で読めると思います。木喰遺跡①と書いてありますから、きっと他にもあるのでしょう。でも京都に住んでいるわけではないので、土地柄のことはよく解らないし、探そうと言う気分にもなれません。

               

同じ一画に今度は“南無妙法蓮華経”の碑、宗派が違うというか、念仏や題目が違っても同じ区画に建てられているのが面白いと思ったのです。ここの案内板にも粟田口処刑場がここ九条山付近にあったと記されています。桓武天皇が京都に遷都して以来、明治に至る間にここ粟田口の刑場で15000人を処刑したとあり、各宗派で被処刑者1000人に一基の割合で15の供養塔を建てられていたと言いますが、木喰遺跡と同じように明治の廃仏毀釈で取り壊され、石垣や道路等いろんな工事に転用されたとあります。

                       

木喰遺跡も日蓮も蹴上に向かって三条通りの右側にあったのですが、丁度信号があったので近くに行くことが出来ました。反対側の歩道は山の影が出来ていて少しは涼しいのでそちらを登っていたのですが、少し登ると今度も反対側に細長い碑があったのですが、近くには信号が無いので近寄れません。望遠で撮ると“紀念 京津国道改良工事 昭和8年3月竣功”と彫られていました。竣功は今なら竣工と書くでしょうし、工事が完成したのですから、紀念は記念と彫るべきでしょう。何故紀州の紀を使ったのか、元になる字を書いた人の考え方が理解できません。

             

更に5分ほど登っていくと霊園があり、昔を偲ばせる米俵や荷車が配置されていますが、よく見ていると橋下と石原の顔、人権尊重のかけらも無い維新の会のポスターを貼ってある霊園など利用したくもありません。

             

御陵駅に着いて2時間、中華食堂を出て1時間、やっと山頂付近に到着しました。もう少し先からは南禅寺の瓦屋根が見えてきます。ここからは下りで15分ほどで京都市国際交流会館に到着、1時間足らず会館の中で休憩しながら、誰か知った人が通らないかと館内をぼんやり眺めていたのでした。

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