ぼんくら放浪記

Blogを綴ることによって、自分のぼんくらさを自己点検しています。

円照寺

2014-08-05 05:00:00 | 田舎

昨日のこのブログの最後の写真で、三山冠への登り口に水の流れていない川が有り、その右側にお寺がチョコッと見えていたのに気が付きましたか?私は歩いている時には全く気が付かず、川を越えてから「エライ広い庭のある家やな」と感心しながら見つめていたのです。しげしげと見ていると奥に墓石らしきものが有り、お寺であることが分ったので、チョット寄ってみることにしました。

             

探検マップには円照寺と書かれていましたが、境内や建物の何処を見ても、そのような字は見当たりません。Googleの地図ではお寺の記号すら有りませんが、国土地理院の地図にはお寺の記号は描かれていました。尤も国土地理院の地図では何処のお寺であれ神社であれ、名前は記されていません。

             

これは忠魂碑、村のものではなく、個人のもののようです。中田某という人が明治38年5月11日日清戦争にて戦没、子の名前と孫の名前で1997年に献納と書かれていました。献納された子供さんは未だ生きておられるのでしょうか、孫という人も私より高齢だと思われます。

       

境内の外にはお墓も有りましたが、境内にはよくもこれだけ集めたものかと思うほど、石仏や板碑などがずらーっと並んでいました。

             

境内の外、川に向かって置かれた石碑や石の祠、お地蔵さん、関連があって置かれたものとは思えません。

             

お寺を出て、潤野の集落から離れるところで振り返って1枚写真を撮っておこうとシャッターを押したら、デジカメがピッピーと鳴ってレンズが閉じてしまい、それからはどんなにしても動きません。最後の写真が写っているのか心配でしたが、写っていました。バッテリー切れのレッドランプが点ってから23枚撮ったことになります。

ところで日本には原発が48基ありますが、今は1基も稼働していません。電力需要最盛期の夏でも原発など無くても電力は賄えているのです。経済界や安倍首相は原発推進に躍起となっていますが、関西電力の大飯原発3号機と4号機は2年前の夏、多くの批判を受けながら再稼働しました。しかし今年の5月に福井地裁で運転の差し止めを命じられました。判決の要旨は“原発は経済活動の自由に属するものなので、人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきで、事故の具体的危険が万が一でもあれば、その差し止めが認められるのは当然”というもの。“原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことが出来なくなることが国富の喪失である”という件は原発事故は必ず起こることを予見し、事故から国土と国民生活を守るべしという画期的な考え方だと思う上に、こんなことを考えられる裁判官もいるんだと少々裁判所を見直しました。


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