今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「世の中には笑われておぼえることが多いのである。」
「教えるということは才能である。または技術である。その才能のないものが教えると、教わるものは迷惑する。」
「非は常に他人にあって、みじんも自分になければ、経験が経験にならない。」
(山本夏彦著「毒言独語」所収)
「いきり立つものと争うのは無益である。」
(山本夏彦著「変痴気論」所収)
「小学生のホームルームと、大学生のディスカッション(討論会)との間に、差別があろうか。そこにあるのは、八百長だけではないか。弁論討議のたねは、みんな今朝の新聞に出ていた。彼らはこれを思想の交換、または言論の自由と称している。私は『ぱくぱく』と称している。」
「人は言論の是非より、それを言う人数の多寡に左右される。」
(山本夏彦著「日常茶飯事」所収)
「私には耳から聞いた言葉を、口から吐く悪いくせがある。だからそれを自ら禁じようとして、そのせいか、自ら禁じようとしない人を見るとかッとなる。
この世は自分で考える一握りの人と、その力がなく、すべて他人の考えを自分の考えだと勘違いする大ぜいの人とから成っている。」
(山本夏彦著「変痴気論」所収)
「何事によらず、この目下大流行のもの(筆者注:民主主義の思潮のこと)ならうろんである。はやりものはすたりものである。」
「昨是今非という。昨日までよかったことが、今日からは悪いことになるというほどのことである。昔から世間によくあることだと、先生は生徒に教えればいいと私は思うが、先生は思わない。」
(山本夏彦著「二流の愉しみ」所収)
「世の中には笑われておぼえることが多いのである。」
「教えるということは才能である。または技術である。その才能のないものが教えると、教わるものは迷惑する。」
「非は常に他人にあって、みじんも自分になければ、経験が経験にならない。」
(山本夏彦著「毒言独語」所収)
「いきり立つものと争うのは無益である。」
(山本夏彦著「変痴気論」所収)
「小学生のホームルームと、大学生のディスカッション(討論会)との間に、差別があろうか。そこにあるのは、八百長だけではないか。弁論討議のたねは、みんな今朝の新聞に出ていた。彼らはこれを思想の交換、または言論の自由と称している。私は『ぱくぱく』と称している。」
「人は言論の是非より、それを言う人数の多寡に左右される。」
(山本夏彦著「日常茶飯事」所収)
「私には耳から聞いた言葉を、口から吐く悪いくせがある。だからそれを自ら禁じようとして、そのせいか、自ら禁じようとしない人を見るとかッとなる。
この世は自分で考える一握りの人と、その力がなく、すべて他人の考えを自分の考えだと勘違いする大ぜいの人とから成っている。」
(山本夏彦著「変痴気論」所収)
「何事によらず、この目下大流行のもの(筆者注:民主主義の思潮のこと)ならうろんである。はやりものはすたりものである。」
「昨是今非という。昨日までよかったことが、今日からは悪いことになるというほどのことである。昔から世間によくあることだと、先生は生徒に教えればいいと私は思うが、先生は思わない。」
(山本夏彦著「二流の愉しみ」所収)