「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

以党治国 Long Good-bye 2021・11・09

2021-11-09 05:55:00 | Weblog
   今日の「 お気に入り 」 は 、筆者が知っても何の役にも立たない「 ムダ知識 」 満載 のインターネット

  のフリー百科事典「 ウィキペディア 」日本語版から 、一般人には 、耳慣れない政治学用語「 党国体制 」。

  昨日の「 ヘゲモニー政党制 」の 関連で 。

  引用 、はじめ 。

  「 党国体制(とうこくたいせい)とは 、国民党 及び 共産党一党独裁下の中国大陸( 1928年 - )

   と台湾( 1945年 - 1996年 )において 、党のポストと両岸政府のポスト が 完全に重なり合う 政治

   体制 を指した 語
。 また 、一般に 一党制政府の政治の理想 である 政党が絶対的な権力を掌握し 、

   国家に代わって主権を行使し 、国家機関の政体を全面的にコントロールする こと を表す 政治学の

   用語 である
。 党国体制 と 憲政主義 とは 必ずしも同じものとは限らず 、前者の主権は 党組織に

   直接に属する のに対し 、憲法で国家は党組織のためにある と明示している場合においても 後者

   は 国民に直接に属している 。国民がもし政治に参加したいなら 、まずは 党員 や しばしば党幹部

   になる 。党国体制下では 、党主席 や 総書記 といった 政党の指導者 は 総統 や 国家主席 と言った

   国家元首 や 、総理 や 議長 と言った 国家元首 の 地位や権力を上回ることになる


    党国 とは 『 以黨治國 』の 略語 に由来する 。また ロシア革命のレーニン主義に 二段階革命論

   に影響を受けて 軍政 、訓政 、憲政 の 三段階論 を唱え 、前の 二段階の間 、党国体制 を 中華民国

   公式の国家政策 とした 。孫文 によれば 、国民党 は 軍閥との戦い と 国民革命の過程で 中華民国

   を最優先とし 、国民党 は すべての政府以外の団体 、そしてあらゆる個人 に対して 命令を出すべき

   だとした


    中華民国の創設者である孫文 は 、当時の中国の情勢に民主制は時期尚早である としていた 一方

   で 孫文自身はマルクス主義に共感しておらず 、また共産主義が当時の中国の問題を解決するとも

   考えていなかったが 、ソ連からの物質的援助は魅力的と考えており 、国民党が1924年(民国13年)

   1月開催した第一次全国代表大会で 、綱領 に『 連ソ 』『 容共 』『 扶助工農 』の方針を明示し 、

   第一次国共合作 が成立した 。このとき 共産党員も 個人の資格 で 中国国民党 への入党が認めら

   れた


    孫文はこの場で

   『 當俄國革命時 ,用獨裁政治 ,諸事一切不顧 ,只求革命成功 。。。 ,

            其能成功 ,卽因其將黨放在國上 。我以爲 。應重新組織 ,把黨放在國上 。』

   とも述べ 、同年の 士官学校として 政治教育を行う 黄埔軍官学校 の設立 、翌年の 党軍 としての

   国民革命軍 の 建軍 と続いた 。

    孫文自身は 1925年( 民国14年 ) 3月 世を去ったが 、7月1日 汪兆銘によって広州に最初の 中華

   民国国民政府 が開かれた
。」

   引用 、おわり 。

   100年も前の 遠い 遠い 昔の出来事 だけど、現代まで 長く 長く 尾 を 引いてます 。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする