今日の「お気に入り」は、久世光彦さん(1935-2006)のエッセー「父の影、子の影」より。
「終戦の年の秋の暮れ、復員してきた父を見て、私たち家族は驚いた。文字通り落魄していたのである。軍服は着ていたが、その襟に階級章がなかった。腰の辺りがどこか頼りないと思ったら、見慣れた軍刀がない。何よりも体が一回り小さく見える。恰幅のよかった体からも、人懐っこく明るかった人柄からも、突然空気が抜けてしまい、目が定まらず、影が薄かった。私は小学校の四年生だった。労わる気持ちより先に情けないと思ってしまった。父にしたって、すすんで家族に見せたいと思って見せた姿ではなかったに違いないが、ほとんど家を留守にしていて久々に帰った父を、私はこんなにうらぶれた姿では見たくなかったのである。
いま思うと、それからの日々、私は父への失望を表情や態度に表したのだと思う。それを察したのか、父も口が重くなった。大人の目ならともかく、わずか十歳の末っ子にそんな目で見られた父の情けなさを考えるほど、私は大人ではなかったのだ。公職追放された父は、することもなく、家から二キロほど離れた小さな畑に、毎朝リヤカーを曳いてでかけ、日の暮れまでたった一人で耕し、種を蒔き、痩せた野菜を作った。私はそんな父をさえ冷たい目で見ていた。
それから三年経った夏の日の午後、父は突然倒れ、担ぎこまれた市民病院で数時間後にあっけなく死んだ。中学生になっていた私は、少し離れたところから父の死を見ていた。取りすがることも、泣き叫ぶこともしなかった。苛立つような蝉時雨が夜になっても止むことのない、異様に暑い日のことだった。」
(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫所収)
「終戦の年の秋の暮れ、復員してきた父を見て、私たち家族は驚いた。文字通り落魄していたのである。軍服は着ていたが、その襟に階級章がなかった。腰の辺りがどこか頼りないと思ったら、見慣れた軍刀がない。何よりも体が一回り小さく見える。恰幅のよかった体からも、人懐っこく明るかった人柄からも、突然空気が抜けてしまい、目が定まらず、影が薄かった。私は小学校の四年生だった。労わる気持ちより先に情けないと思ってしまった。父にしたって、すすんで家族に見せたいと思って見せた姿ではなかったに違いないが、ほとんど家を留守にしていて久々に帰った父を、私はこんなにうらぶれた姿では見たくなかったのである。
いま思うと、それからの日々、私は父への失望を表情や態度に表したのだと思う。それを察したのか、父も口が重くなった。大人の目ならともかく、わずか十歳の末っ子にそんな目で見られた父の情けなさを考えるほど、私は大人ではなかったのだ。公職追放された父は、することもなく、家から二キロほど離れた小さな畑に、毎朝リヤカーを曳いてでかけ、日の暮れまでたった一人で耕し、種を蒔き、痩せた野菜を作った。私はそんな父をさえ冷たい目で見ていた。
それから三年経った夏の日の午後、父は突然倒れ、担ぎこまれた市民病院で数時間後にあっけなく死んだ。中学生になっていた私は、少し離れたところから父の死を見ていた。取りすがることも、泣き叫ぶこともしなかった。苛立つような蝉時雨が夜になっても止むことのない、異様に暑い日のことだった。」
(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫所収)