「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2013・08・22

2013-08-22 10:10:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、久世光彦さん(1935-2006)のエッセー「家のあちこちにあった薄明り」より。

「私がニ・ニ六を想って突然涙がこぼれるのは、その日の未明、帝都に牡丹雪が降っていたと聞くからである。その中を、兵たちが粛々と行ったというからである。それは薄明りの世界だったはずである。迷いもあったろう。怖れもあったろう。何も考えまいと、ただ唇を噛んだ者もあったろう。指導者の将校たちにしたところで、自分の命の行方を知らぬ者があったとは思えない。彼らは、舞い散る雪片の向うにほめく薄明りだけを見つめて、歩いていったのである。私は、あの朝、雪が降っていなかったら、ニ・ニ六は汚辱の事件になり果てていたのではないかと思う。薄明りの中――彼らも雪を見ていた。天皇も、雪を見ていた。」

(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 所収)

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