今日の「お気に入り」は、中野孝次さん(1925-2004)の著書「ローマの哲人 セネカの言葉」より。
「人が自分を、自分自身に喜びを覚えるに値する者に為したとき、自分とともに出来るだけ長くい
ることは楽しいことです。
『手紙』58-32」
「ですから、サルスティウスが言っているように、『胃袋に仕える』人々は、人間にでなく動物に、
いやそのある者は動物にでさえなく死者に数えるべきでしょう。大勢の人の役に立つ人は生きてい
ます。自分自身を正しく生かす人は生きています。しかしじっと隠れ住んで精神的怠惰の中にいる
人は、家にいても墓にいるのと変りません。そういう人は家の入口に自分の名を刻んだ大理石を置
くがいいのです。生きながら死んでいるのですから。
『手紙』60-4」
「老年に入る前、僕はよく生きることを心掛けていました。老年になってからはそうでなく、よく
死ぬことを心掛けています。よく死ぬとは、平然と死ぬということです。
『手紙』61-2」
「そういやいや聞かないで、僕の言うことをしっかり考えてもらいたい。これはもう君にも関係す
ることなのだ。もし老年が僕の全部を僕のために残しておいてくれるなら、ただしそれは良い方の
全部だが、僕は老年を断念しない。しかしもし老年が僕の精神をゆさぶり始め、その各部分をダメ
にし始めたら、そして僕に生命をでなく呼吸を残すに過ぎなくなったら、僕はこの朽ちて倒れかか
った建物からとび出してしまうだろう。
『手紙』58-35」
(中野孝次著「ローマの哲人 セネカの言葉」岩波書店刊 所収)
「人が自分を、自分自身に喜びを覚えるに値する者に為したとき、自分とともに出来るだけ長くい
ることは楽しいことです。
『手紙』58-32」
「ですから、サルスティウスが言っているように、『胃袋に仕える』人々は、人間にでなく動物に、
いやそのある者は動物にでさえなく死者に数えるべきでしょう。大勢の人の役に立つ人は生きてい
ます。自分自身を正しく生かす人は生きています。しかしじっと隠れ住んで精神的怠惰の中にいる
人は、家にいても墓にいるのと変りません。そういう人は家の入口に自分の名を刻んだ大理石を置
くがいいのです。生きながら死んでいるのですから。
『手紙』60-4」
「老年に入る前、僕はよく生きることを心掛けていました。老年になってからはそうでなく、よく
死ぬことを心掛けています。よく死ぬとは、平然と死ぬということです。
『手紙』61-2」
「そういやいや聞かないで、僕の言うことをしっかり考えてもらいたい。これはもう君にも関係す
ることなのだ。もし老年が僕の全部を僕のために残しておいてくれるなら、ただしそれは良い方の
全部だが、僕は老年を断念しない。しかしもし老年が僕の精神をゆさぶり始め、その各部分をダメ
にし始めたら、そして僕に生命をでなく呼吸を残すに過ぎなくなったら、僕はこの朽ちて倒れかか
った建物からとび出してしまうだろう。
『手紙』58-35」
(中野孝次著「ローマの哲人 セネカの言葉」岩波書店刊 所収)