今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「 旧臘三十一日『テレビ評伝犬養毅』(NHK総合)を見た。こんな番組があるとは知らなかったから、一時間で
五・一五事件早わかりとはありがたいと、幸い掃除もすんだので坐りこんだがやはりいけなかった。
これでは犬養がなぜ殺されたか、かんじんのことが分らずじまいである。犬養を殺した海軍将校の一人山岸宏は、
いまだに存命で写経して冥福を祈っているとこれはテレビで初めて知った。それならこの事件で死刑になったもの
は一人もないことを番組は言わなければいけない。
死刑の求刑はあったが重すぎると海軍側が圧力をかけ、最も重い判決が十五年(二人)山岸宏は十年、あとは執行
猶予だった。十五年なんて実は五、六年で出てくることご存じの通りである。判決文は憂国の至情を諒とすると言っ
たから、憂国の至情さえあれば許されるとこれがのちの二・二六事件を誘発した。新聞は彼らに同情的で、したがっ
て減刑嘆願書が集まって、なかには血書まであると写真入りで報じたから嘆願書はいよいよ集まって、いわゆる『世
論』になった。
犬養は『話せば分るまあ坐れ』『靴ぐらいぬいではどうか』と将校たちをうながしたという。見ればいかにも土足
だから彼らは一瞬ひるんだ。かくてはならじと『問答無用うて』と命じたのがこの山岸だそうで、これは誰でも知っ
ていることだから画面で再現するには及ばない。大事なのはなぜ殺されたか、である。
総理大臣犬養毅は満州事変を一刻も早く終らせようと尽力したのである。満州国の建国にも反対で、それを公言して
憚らなかったのである。当時の少壮軍人は満州を植民地にして極貧の農民を入植せしめ、『王道楽土』にするつもり
だったのである。
蔵相高橋是清は犬養が殺されてもなおひとり屈しなかった。高橋はすでに八十に近く身命を賭している。昭和九年度
の陸軍の予算の六割、海軍のそれの四割しか高橋は認めなかった。海軍は軍縮条約の解消をひかえて大海軍にすべく、
当時の金で四億四千万円を要求して一億七千万円に削られたのである。蔵相も海相も互に辞表を懐ろにしてわたりあっ
たという。
高橋はこの時ばかりでなく昭和十一年度の陸軍の予算も大幅に削った。無謀でばかばかしい要求だと一蹴したから二・
二六事件でまっさきに血祭にあげられたのである。そんなことなら知っていると笑うならマスコミよそれをまず言え。
文字で書いて五行、口で言って一分とかからない。
これらを百も承知なら同じ二・二六で斎藤(実)内大臣 鈴木(貫太郎)侍従長 岡田(啓介)首相 渡辺(錠太郎)
教育総監がなぜ殺されたか(鈴木岡田は助かる)一人当り一分間で言えるはずである。」
「 プロならかいつまんで一分で言えるはずである。あら筋を言えない事件なんてこの世の中にはない。」
(山本夏彦著「美しければすべてよし」-夏彦の写真コラム-新潮文庫 所収)