今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「 タバコの害についてこのごろ威丈高に言うものが増えたのは不愉快である。いまタバコの害を言うものは、
以前言わなかったものである。いま言う害は全部以前からあったものである。それなら少しはそのころ言う
がいい。
当時何にも言わないで、いま声高に言うのは便乗である。人は便乗して言うときは声を大にする。ことに正
義は自分にあって相手にないと思うと威丈高になる。これはタバコの害の如きでさえ一人では言えないものが、
いかに多いかを物語るものである。
私は戦争中の隣組を思いださないわけにはいかない。隣組の正義は耐えがたいものだった。電車で靖国神社の
前を通ったら車内からお辞儀しよう、英霊に黙祷をささげようと言えば正義は隣組にあるから抵抗できない。
けれどもこの連中はのちに首相が靖国神社に参拝するなんてもってのほかだと言った。風向き次第でこんどは
何を言いだすか分らない。
タバコの害はよく承知している。それでもすいたければすうがいい、自分はすわないが――というのがこれま
ですわぬ人の態度だった。私は日に八十本すったがふとしたきっかけがあってやめた。やめたというより縁が
切れた。あれは縁が切れないかぎりやめられないからやめよと人にはすすめない。
こんなことを言うのは勢いの赴くところ、『禁煙法』が提案されやしまいかと思われるからである。アメリカ
ではむかし『禁酒法』が提案されたことがある。諸悪のもとは酒にある。酒さえ禁じれば世の中はよくなると、
今ではとても信じられないことがまじめなアメリカ人には信じられ、その案は通過して一九二〇年から三三年
までの十四年間実施されたのである。
そして酒の密輸密造によってアル・カポネ以下のギャングたちが生れ、生れたからは今もその子孫がいるので
ある。
ヨーロッパ人や日本人はアメリカ人を笑ったが、まじめ人間というものは恐ろしいもので何をしでかすか分ら
ない。こんどはまじめな日本人が禁煙法を提案して通過させる番かもしれない。」
(山本夏彦著「世はいかさま」新潮社刊 所収)
腰折れを一つ二つ。
環境にやさしい企業演じても
むなしく響く煙産業
たばこマリファナ目くそ鼻くそ
けむりぐさアメリカのあと追いかけて十年先のピーエル訴訟