今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「それ者という言葉は花柳界が滅びると共に死語になった。玄人のことである。芸娼妓のことである。素人と玄人の区別がなくなったのは、何より貧乏がなくなって、皆が皆高校大学へ行くようになってからである。貧乏はいつまであったか。高度成長というより東京オリンピック(昭和三十九年)までといったほうが早分りである。それまでは早く戦前に返りたいと言ったが、以後はもう戦後ではないと言った。戦前に追いついて追いこしたからである。
戦前は貧乏人の子だくさんで、子は六人も七人もいたから、食べさせるだけで精いっぱいである。小学校は義務教育だから仕方がない、卒業を待って男の子は口べらしにすぐ奉公に出した。女の子は『おしん』のような守っこ(子守)に出した。
すこし器量がいいと芸者の下地っ子に三年か四年、百円か二百円の前借で年季奉公に出した。数え十六になると芸者にした。その時はまた改めて前借できたから、女の子が生れると喜ぶ親があった。慶(桂)庵または女衒(ぜげん)といって毎年娘を買いにくる周旋人がいたからそれに頼んだ。」
(山本夏彦著「『社交界』たいがい」文春文庫 所収)