今日の「お気に入り」は 、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から 。
「 画家も文士も 、ついこの間まで政治に関心をもたなかった 。
芸術は風流韻事だった 。藤原定家は天下大動乱をよそに
『 紅旗征戎はわが事にあらず 』といって 歌を詠んでいた 。
これがわが『 敷島の道 』の伝統である 。明治になっても尾崎紅葉の
硯友社の面々は 、政治経済を論じなかった 。論じるものを『 野暮 』
と笑った 。自然主義の作家も男女のことは書いたが天下のことは書か
なかった 。
文士が国事を憂えるようになったのは 、プロレタリア文学以来である 。
つけ焼刃である 。戦後ジャーナリズムは左翼とそのシンパに占領され
たが政治的関心は知識人以外に及ばなかった 。この 八月二十日の紙面は
『 ソ連保守派がクーデター 』と大見出しを掲げたが 、こんな見出しでは
何も分らない 。保守派といえば わが国では自民党のことである 。ソ連で
は共産党のことだとは コメントがなければ分らない 。せめて 保守派( 共
産党 )とカッコ内に示せ 。
突然さかのぼるが 昭和十二年十二月十三日は 南京陥落の日 である 。南京
は当時首都である 。首都が陥落したら 日支事変は 当然終ると 国民は望み
かつ信じていた 。昭和十二年は デパートには 今と同じく物資はあふれ 、
ネオンは輝いていた 。このことを言うものがないから 何度でも言う 。
進歩的文化人は 昭和六年の満州事変から敗戦までの十五年間は まっ暗だ
ったというが 、そりゃ ひと握りの左翼は 警察に追われて まっ暗だったろ
う 。けれども 国民全員は 共産党でも シンパでも 何でもない 。連戦連勝
に酔って 提灯行列していた 。
これを『 世間知らずの高枕 』という 。いつの時代でも 人は どたん場まで
高枕なのである 。一寸さきはヤミだと知った上で 枕を高くして寝ているの
である 。今もまたそうである 。後世は これを まっ暗だというであろう 。」
( 山本夏彦 著「 世間知らずの高枕 」新潮文庫 所収 )