「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

健康で良心的 2005・08・03

2005-08-03 05:50:00 | Weblog
   今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

  「わが国の軍人が、中国の人民を虐殺した記事を、写真を見ることがある。

   わが国の軍人といえば、壮年にとっては自分たちのことである。少年にとっては父祖のことである。骨肉同然のものが、

  海外で無辜の民を殺したと聞くのはいい気持のものではない。

  よしんばそれが本当でも、本当だと思いたくないのが人情である。だからこのたぐいの記事を読むものは少なかろうと

 思っていたら、存外読むものが多くて、たちまち本になってよく売れているそうである。

  いうまでもなく日支事変は侵略戦争で、ついでに日露戦争も日清戦争も侵略戦争で、それを子供たちに教えたいと、

 教科書中に書いて、文部省から削除を命じられたと、ながながと裁判で争っている編集者がある。

  どこの国でもその国の政府は、その国の体制を守ろうとする。それは当然のことで、国は守る義務がある。たとえば、

 ソ連はソ連の社会主義体制を守って、反体制の言辞を許さない。まして教科書中にそのたぐいの言葉を挿入したら、

 ただではすまないから、そもそも挿入しようという発想が生じない。わが国でそれが生じるのは、わが国が体制を守ること

 にかけて、ソ連より怠慢だからである。

  またたとえば、イギリスの教科書には、イギリス人の『非』は書いてない。むかしイギリス人が世界中に植民地を持った

 のは、南アフリカでは首長に懇望されたからであり、エジプトでは王様の苦しい財政を助けるためであり、インドでは

 インド人の幸福を願ったためだという。

  どの教科書にもそう書いてあるから、イギリスの青少年は今でもそう信じている。

  だれが自分の非を、子供たちに伝えたがるだろう。伝えないでかくすのが自然で、したがってイギリスの教科書は自然で、

 健康なのである。自然で健康なことは、しばしば片腹いたいことである。個人がそうだから、国家もそうなのである。だから

 私はこの健康というものをなが年見て、ほとんど憎んでいる。

  自分の非をあばくのは、自分ではなく他人である。南京で日本人は中国人を殺した。それは戦闘員ではなかった。ここに

 証拠がある。証人がいる。夥しい死者を返せ。弁償せよと、中国人が言うならおかしくない。日本人は抵抗すればいいので

 ある。言を左右にしてその非を認めまいとすればいいのである。それが自然で健康なのである。

  ところが、あばくのは中国人でなく日本人である。日本人が日本人の非をあばいて、非が少ないより多いのを喜ぶのである。

 世界中の国民は健康なのに、ひとり日本人だけ健康でないのだろうか。

  そんなことはない。げんに日本人の大半は、この種の記事と写真に目をそむける。見るともなしに見て、それがついこの間の

 ソンミ村の虐殺でなく、三十なん年前の南京の虐殺だと知ると、あわてて二度と読まなくなる。読まないのは健康な証拠である。

 ところが、進んで読むものがある。

  読むものは、我々はこれだけの悪事を働いた。中国人が告発する前に、せめて自分から告発したい。それが良心あるものの

 義務だと、読み終るが否や読みたがらないものを非難する。

  この種の本は、他を非難するためにある。そこには良心と正義が売られている。買い手はたちまち自分は正義の権化になった

 気で、他をとがめる資格を得る。どこから得るか考えもしないで得るのである。けれどもこんなに無反省な老若が、健康でない

 道理がない。

  私は衣食に窮したら、何を売っても許されると思うものである。女なら淫売しても許される。ただ正義と良心だけは売物に

 してはいけないと思うものである。これを売物にすることは、最も恥ずべきことだと私は教わったが、近ごろは教えぬようだ。

 これこそ教科書に明記していいことである。

  この種の本の筆者は、はるばる中国へ行って、各地を調査して、生き残りに会って、話を聞き写真をとり、たちまち何冊かの

 本を書く精力的な人物である。心身共に健康である。」


   (山本夏彦著「二流の愉しみ」講談社文庫 所収)





                 
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