今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。
「私は人が真実だのまごころだのと言うのをうろんだと思っている。第一、人前で言われる真実だのまごころだのは、にせものにきまっている。それは本来含羞を帯びるべきもので、白昼堂々と言ってよいものではない。それにそもそも、めったに存在しないものである。
たとえば、社員が社長の新築祝いにまねかれて、徹頭徹尾まごころこめた祝辞が述べられようか。社長の新居は社員を搾取して成ったとは、組合員がかげで言ううわさで、まさかこれを祝いの席で言うものはあるまいから、その席の祝辞の半ばは嘘である。
その社の部長の頓死は、課長の喜びである。課長の定年退職は次席のチャンスである。愁傷のふりをして頓死のくやみを述べれば、遺族は謹んで承るふりをする。悲しいから泣くのではない。泣きまねするから悲しくなるとは私の説ではない。名高い西洋人の説である。
ボオマルシェいわく、婚礼はまじめの極にして道化の極なり、と。新郎新婦、宴はててのち何するものぞと思えば笑止だろうが、それは口には出さぬものだ。
個人と個人の交際、会社と会社の交際はまずこんなものである。真実だのまごころだのというのなら、まずそれを見せてくれ。熱誠あふれる新築祝いの祝辞を述べてくれ。」
(山本夏彦著「二流の愉しみ」講談社文庫 所収)
「私は人が真実だのまごころだのと言うのをうろんだと思っている。第一、人前で言われる真実だのまごころだのは、にせものにきまっている。それは本来含羞を帯びるべきもので、白昼堂々と言ってよいものではない。それにそもそも、めったに存在しないものである。
たとえば、社員が社長の新築祝いにまねかれて、徹頭徹尾まごころこめた祝辞が述べられようか。社長の新居は社員を搾取して成ったとは、組合員がかげで言ううわさで、まさかこれを祝いの席で言うものはあるまいから、その席の祝辞の半ばは嘘である。
その社の部長の頓死は、課長の喜びである。課長の定年退職は次席のチャンスである。愁傷のふりをして頓死のくやみを述べれば、遺族は謹んで承るふりをする。悲しいから泣くのではない。泣きまねするから悲しくなるとは私の説ではない。名高い西洋人の説である。
ボオマルシェいわく、婚礼はまじめの極にして道化の極なり、と。新郎新婦、宴はててのち何するものぞと思えば笑止だろうが、それは口には出さぬものだ。
個人と個人の交際、会社と会社の交際はまずこんなものである。真実だのまごころだのというのなら、まずそれを見せてくれ。熱誠あふれる新築祝いの祝辞を述べてくれ。」
(山本夏彦著「二流の愉しみ」講談社文庫 所収)