若殿の気ままな独り言

日常生活で見聞きしたこと感じたこと、はまってるマカオ/Macau/澳門のことなど、勝手気ままに書き綴ります。毎日更新!

モヤイ像って、渋谷だけじゃないんですね

2010-04-14 12:31:27 | 日々の出来事
今週月曜日の12日、雨降る中、所用を済ませて蒲田駅に帰ると、東口駅前広場になにやら見慣れた風貌の石像があるのに気づきました。最近蒲田に出かける機会が多いんですが、これまでこの石像があることを全く知らなかったんです。

 髪の毛ロングな女の顔?
 この「モヤイ」は、昭和59年に、なんと伊豆諸島新島村から寄贈されたものです。新島では、ここと、イタリアの「シシリー島」ににしかないといわれる「抗火石(コーガイシ)」という世界的にもたいへん珍しい石が産出されます。軽くて、彫刻刀で自由に掘り出すことが出来る。この特産の石を利用して、イースター島の「モアイ」をヒントに、像を彫り、観光のPRに一役買ってもらおうと、昭和50年代に、新島から日本各地へ寄贈された石像のうちの1体です。(ウンチク)

 こっちは男か?両性具有。
蒲田には元々二体が寄贈されて置かれていたが、現在では一体のみとなっています。もう一体の行く末は後半をお読みください。

モヤイ像の隣の説明版は以下のとおり。
『新島 「モヤイ像」 の由来
 旅にはいつも“想い出”が残る。新しい風景や見知らぬ人に会いたくて旅に出る。しかしそこで待っているのは“自分自身の内側”にほかならないことを発見する。新島のモヤイ像は心の片すみに放ってある“透明な旅の日々”と同じなのではないでしょうか。
 身をひるがえして牙をむく自然を相手に私たちの祖先は、流人ともども漁に農に力を合わせてその生を生きた。流人もその要請によくこたえたという。古くから新島では「共同して仕事に当る」ことを「モヤイ」と呼ぶ。
 私たちにとって「モヤイ」とはそういう歴史とロマンを秘めた言葉である。いま大田区蒲田東口商店街と新島本村の友好の絆を記念し、私たちの島が誇る「モヤイのこころ」を本島特産の「コーガ石」に刻む。
 モヤイ合う力がそれぞれの地の平和と繁栄の担い手になることを約して母であり師である東京都のこの地に贈る。
 ここに集う人々よ、ものいわぬモヤイの像は、あなた方に何を語りかけるであろうか。
 願わくば私たちと共にその、遙かなる祖先の声をきかれることを。
以下、省略 』

モヤイ像は、都内では蒲田駅のほかにも、渋谷駅南口や、竹芝桟橋の広場にありますが、最も有名なのは、東京都渋谷区の渋谷駅南口にある「渋谷モヤイ像」でしょう。

 
これは、1980年(昭和55年)に、新島の東京都移管100年を記念して、新島から渋谷区へ寄贈されたもの。 イースター島のモアイ像に似ているが、胴体部分はなくウェーブのかかった頭髪を加えたようなデザインとなっている。東急百貨店東横店を挟んで忠犬ハチ公像の反対側にあり、待ち合わせスポットのひとつとなっています。


 ちなみに「モヤイ」とは新島の現地の言葉で「力を合わせる」とか「助け合う」「共同作業をする」という、尊い言葉。このモヤイ像、その言葉の由来と男女一対て贈られるということから、いつしか「縁結び」の意味を持つようになり、カップルにも人気となっています。


バス停側とコインロッカー側で、2種類の顔を持つのも特徴となっています。

そして最後になりますが、こちらが「WeSPa椿山(ウェスパ椿山)」のモヤイ像です。

 (イメージ)
蒲田のもう一体のモヤイ像は長らく倉庫に眠っていた。それが1998年、所ジョージが司会を務めるテレビ番組『所的蛇足講座』で取り上げられ、番組を通じて日本各地に貰い手を募集したところ、3000通もの応募があったという。抽選の結果、青森県深浦町が当選しモヤイ像は現地に運ばれた。町内の観光施設「ウェスパ椿山」に設置され、観光の目玉となっているそうです。(ウンチク)

 (イメージ)
モヤイ像は、蒲田東口商店街から800キロの長旅を経て平成11年2月17日、深浦町にやってきました。そして、新島と蒲田東口商店街、深浦町の友好の証として、今、ここウェスパ椿山を安住の地とし、世界遺産「白神山地」と雄大な「日本海」を見つめ静かに佇んでいます。(ウンチク)

待合せ場所としてだけ、利用してきましたが、モヤイ像にもいろんないわれや因縁があるんですね。勉強になりました。


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P.S.
4/12に続いて、昨日13日もランクインしました。12/3から132日間で、123回ランクインしたことになります。139万ブログ中の6,092位で、通算168度目、訪問者数213名(累積 52,202名)でした。みなさん、どうもありがとう。(目障りでしょうが、殿の記憶のためのメモです)