国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

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そんな仮想の音楽喫茶

無駄のない演奏=「オッカムの剃刀」?

2010年04月24日 | マスターの独り言(アルバムのこと)
「オッカムの剃刀」なる言葉がある。
初めて知ったのは昨年のNHKの正月ドラマ『福家警部補の挨拶』の副題でだ。
(主役を務めた永作博美が特別の愛らしかった)
村上春樹の『1Q84 BOOK3』のある章にも使われている。
早速ウィキさんで調べてみた。

「必要が無いなら多くのものを定立してはならない。
 少数の論理でよい場合は多数の論理をたててはいけない」

という指針のことをいうそうだ。
まぁ、「最低限必要なことだけ考えろ」ということだろう。
ある意味当たり前のことだが、
その当たり前のことがなかなかにできないものだ。

今日ビル・エヴァンスの『ザ・パリ・コンサート』を聴いていたら
ふとこの「オッカムの剃刀」が頭の中を過ぎった。
なるほど、エヴァンスの演奏はこの言葉を表しているのではないか。
エヴァンスの演奏には無駄なところがない。
まぁ、厳密に聴いていって、
プロなら「ここはこうした方がいいんじゃないか?」と思う場所もあるかもしれないが、
素人の僕にとってみれば、
その演奏はまさに音が適切な場所に、適切なように置かれ、
適切なようにまとめられていく。

特に『パリ・コンサート』では、
エヴァンスのラストトリオのライブでもある。
エヴァンスの円熟期であり、
そして薬物等でぼろぼろになった肉体を酷使しながら「死」へと
1歩1歩進みつつあるころの演奏である。
そこにははかなさ以上に鋭さがある。
バッサリと空間に力強いピアノの音がねじ込まれる。
それなのに美しい。
それこそがエヴァンスの魅力なのかもしれない。

と、ここで「オッカムの剃刀」は論理の組む立てで使用することに気づいた。
こんな論理思考時間こそ「オッカムの剃刀」でバッサリ切り取った方がいいのかも…
語るに落ちる
そんな無駄なお時間でございました…。