国道122号沿いの音楽喫茶 『ドルフィン』

さぁ、音楽を聴け!
コーヒーは自分で沸かして用意して…
そんな仮想の音楽喫茶

ジャズ界のレジェンド、『いーぐる』に現る!

2012年02月26日 | 他店訪問
最近いろいろなことがあったり、心境の変化もあり、
ブログの更新がつぶやきでのみ更新される日々が続いた。
僕は確かにジャズを中心とした音楽生活を送っているのだが、
もちろん全てがジャズ漬けというわけではない。
追求を続けていけば、必ず壁に当たる時があるし、
多ジャンルに目を向けることでジャズに対する多面的な見方も生まれてくると思う。
実はそれというのはマイルスとコルトレーンの相対する生き方にも見えてくると思う。

昨日、『いーぐる』で文藝別冊の『ジョン・コルトレーン』出版記念講演があった。
そこに登場したのが今は無き伝説のジャズ喫茶『DIG』のマスター、中平穂積さんと
新宿にある『PIT-INN』で司会を務めていた
音楽評論家の相倉久人さんである。

まず『Dig』のマスターと会うことができるというのが何よりもスゴイ。
中平さんは多くのジャズ・ミュージシャンと出会い、その姿をカメラに残している。
1966年7月2日のニューポート・ジャズ・フェスティバルに
コルトレーンが参加をしているのだが、
その8mmで撮影をしているのが中平さんである。
おそらくカラーで動くコルトレーンの映像はこれ一本だけだと言われている。
知っている人は知っていると思うが1966年7月にコルトレーンは
最初で最後の来日を果たし、その後対外ツアーには出ていない。
加えて言うなら1967年7月に40歳でこの世を去ってしまった。
つまり最後の演奏の貴重な記録なのだ。

音楽がかかったわけではない。
だが、中平さんと相倉さんの話は、まさにその時の空気を吸った人にしか語れない
いわゆるジャズ黄金時代の重みがあった。
来日公演の際に相倉さんは司会を務めている。
それまでのコルトレーンの演奏からファラオ・サンダースが加わったことで
急激に演奏は変化をした。
そのことを当時の日本人たちはまだ知らなかった。
どう感じたのか相倉さんは語らなかったが、
意外にコルトレーンとはしゃべらなかったと言っている。
これは中平さんもニューポートでコルトレーンに話さず、
写真も演奏時以外には取らなかったエピソードを語っていた。
それはピアニストでコルトレーンの奥さんでもあった
アリス・コルトレーンに寄りそうコルトレーンを見ていたら話せなかったという。

2人とも映像に残そうとしたり、司会をしたりと仕事のような感じで
演奏の印象はないという。
それはそうかもしれないと思った。
何せ一瞬で音は燃え尽きていってしまうのだ。
それを再構築できるのは記録媒体があるからであって、
きっとその場ではどんな演奏だったかなんて誰も語り尽くせないだろう。
だが、コルトレーンの印象はやはり演奏の凄みを感じたという。
映像でも大きなテナーサックスを上下に大きく揺すり、汗を垂らしている姿を見ると
どれほど懸命に音を出していたのか分かる。

まさにお二人はジャズ界のレジェンドである。
今でこそジャズはオシャレなジャンルになってしまっているが、
そう思っている人ほどコルトレーンを聴いてみて欲しい。
そこには燃え尽きようとする巨星の演奏があり、
それに陶酔していった数多くのジャズファンがいて、
ジャズ喫茶があったという歴史が隠されているのだ。

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