今週のお休みは中山道桶川宿散歩と、その近隣の板碑のあるお寺めぐりをしていました。
一か所目は再訪になります川島町の廣徳寺。
廣徳寺はあの北条政子縁のお寺らしいのですが、そんな事を派手にアピールすることも無くひっそりとしていました。
ここの板碑は重要文化財である大御堂後ろの墓地、そのまた後ろの小さな山の上に建っています。
この山は古墳らしいです。
次は吉見町の観音寺。ここの板碑はグーグルマップに"観音寺板碑群"と表示されるくらいは有名のようです。
埋め込まれちゃって…初めて見る補修方法。元々板碑は裏側には何も掘られていないのでこれでいいと言えばいいのですが。
この欠けて傷んだ板碑は本来の角度で建てられていなかったので本来の角度になるように斜めに写してみました。
三ヶ所目の次も吉見町の"文永弥陀浮彫大板碑"と名前のついた大きな板碑です。
ここは板碑だけでお寺のような建物はありません。元々はここにお寺があったのか(廃寺になった)、他所から持ってこられた物なのか、遺棄された物が土中から出てきた物か、定かではありません。
文永十二年(1275)となかなか古いものですね。阿弥陀如来の浮彫が見事です。上部が折れていなければ3メートルオーバーの大きな板碑でした。
足元にも板碑が。
最後は鴻巣市の龍昌寺の板碑群です。
凄い数ですね。数えたら87基ありました。これだけの数がまとめてあるのは初めてです。
説明板にも書いてありますが、これらは元荒川の改修工事や近隣の土中から出土したものをここに集めたもののようです。板碑が顧みられなくなった時代にたくさんの板碑が破棄されていったのだろうとは思っていましたが、明治期の廃仏毀釈政策も影響しているだろうと言う説は初めて聞きました。
こちらのお寺の大奥様はとてもお話し好きで色々な事を教えてくださったのですが、何も無い地面を指差し『ここにもうひとつ独立して建っていた長野善光寺縁の板碑も有ったんだけど…』となんとも心もとない話しも。
(ググってみたら本当に有ったみたいですね。今どこに有るんだろう? 最近あの大量の板碑の設置場所を今の所へ移動したらしく、更にその時十数基板碑の数が増えたらしいので、あの87基の中に混ざってないのかな?)