東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

佐倉

2021-08-10 23:19:39 | 日記
 広島県にあった福山藩の藩主だった阿部正弘は幕府の政治の改革を行ったみたいだけど、安政の改革というみたいです。この頃に黒船が来たみたいだけど、ペリーさんもフリーメイソンらしいからなあ。
 
 千葉県にあった佐倉藩の藩主だった堀田正睦は天保の改革に関わった後に老中を退いていたようだけど、黒船が来た後に再び老中に起用され、老中首座だった阿部正弘から老中首座を譲られたみたいです。阿部正弘は、その後に亡くなったみたいです。堀田正睦はアメリカ総領事のハリスと交渉して、日米修好通商条約の調印のために孝明天皇の勅許を得ようとしたみたいですが、無理だったみたいです。井伊直弼が幕府の政治の権力を握り、堀田正睦は幕府の政治から追い出されて家督を譲って隠居したみたいです。
 
 滋賀県にあった彦根藩の藩主だった井伊直弼は大老になり、天皇の勅許を得ないで日米修好通商条約に調印し、徳川幕府の13代目の将軍の徳川家定の後継ぎ問題で南紀派と一橋派が対立してたところに南紀派の推す徳川家茂を幕府の将軍にして、反対派の人たちを粛清したようです。安政の大獄というようです。井伊直弼は桜田門外の変で暗殺されたみたいです。
 
 公文書のようなものまで嘘とか、有り得るんだろうか?。
 
 福島県にあった磐城平藩の藩主だった安藤信正は井伊直弼が桜田門外の変で暗殺された後、幕府の政治の最高権力者になったみたいです。安藤信正は坂下門外の変の後に失脚したみたいです。
 
 桜田門外の変も坂下門外の変も、どうなんだろうなあ?、本当に。
 
 堀田正睦は蘭学を奨励し、順天堂を開かせたようだけど、順天堂が順天堂大学になったんでしょうか?。
 
 林董という人がフリーメイソンらしいけど、マスターメイソンらしいので、階級が上の人なんだろうか?。明治36年(1903年)に入会したようだ。
 
 林董は蘭学者で医者の佐藤泰然という人の息子らしい。佐藤泰然は順天堂の開祖のようだけど・・・。
 
 林董は林洞海という蘭学者で医者の人の養子になったようだ。林洞海の息子は西周の養子になったらしく、西紳六郎と名乗ったようだ。西周という人は日本で最初のフリーメイソンらしい。
 
 フリーメイソンですか・・・。
 
 
 火をつけるか

福岡

2021-08-10 23:00:28 | 日記
 疲れました。
 
 明治維新の話も怪しいんだけど、明治維新の後の日本の近代化というんだろうか?、西洋の人たちが関わってたみたいだけど、中国人とグルだったんだろうか?。
 
 明治維新の後に岩手県奥州市の水沢の街には胆沢県庁が置かれたらしい。安場保和という人が大参事という役職に就いたみたいだけど、安場保和は熊本藩の出身で、水沢の地元の少年から選んで仕事をさせてたみたいだ。その中の1人が後藤新平で、後藤新平は安場保和の娘を妻にしたみたいだ。
 
 この人は本当に奥州市に来たんだろうか?。
 
 安場保和は東北や北海道の開拓に携わっていて、福島県令にも就いたようだけど、安積疎水の工事のためにオランダ人技師を雇ったりしたようだ。
 
 明治維新の後に玄洋社という右翼団体ができたようだけど、黒龍会という玄洋社の海外工作機関といわれる右翼団体もあったようだ。玄洋社も黒龍会も太平洋戦争の終戦の後にGHQによって解散させられたみたいです。玄洋社は福岡藩の藩士だった人たちが中心になって結成されたことになってるみたいです。
 
 杉山茂丸という人は玄洋社の財政基盤確立のための資金調達のため、安場保和を福岡県知事に就かせたようだ。福岡県令が福岡県知事になったようだけど、ウィキペディアで調べると、安場保和が福岡県知事だった期間は明治19年(1886年)から明治25年(1892年)のようです。
 
 杉山茂丸という人は筑豊炭田の取得のために安場保和を福岡県知事に就かせたみたいだけど、九州に行ったことないし、九州のことについて詳しく知らないんですよね、
 
 三池炭鉱は明治時代に三井財閥に払い下げになったみたいだけど、ウィキペディアで調べると、明治22年(1889年)に払い下げになり、明治25年(1892年)に三井鉱山が創立されたようだ。
 
 玄洋社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

三島

2021-08-10 22:43:33 | 日記
 江戸時代の藩も怪しいんだけどなあ。
 
 平安時代に岩手県にいた安倍氏の安倍貞任の息子が津軽に逃げて安藤氏(安東氏)の祖になり、安藤氏(安東氏)は戦国時代は秋田県にいたらしいです。安藤氏(安東氏)は江戸時代は秋田氏を名乗っていて、福島県にあった三春藩の藩主だったみたいです。本当か知りませんけど・・・。
 
 福島県にあった白河藩の藩主は阿部氏で、白河藩の阿部氏は幕末に福島県にあった棚倉藩に移ったみたいだけど、戊辰戦争があって、移動がゴタゴタしていたようだ。
 
 ウィキペディアを見ると、白河藩の阿部氏は大正時代に鹿児島県にあった佐土原藩の島津氏の人が継いだようだけど、こういうのを御家乗っ取りっていうの?。
 
 白河藩の阿部氏と広島県にあった福山藩の阿部氏は同族らしい。福山藩の阿部氏は幕末に広島藩の浅野氏の人が継いだみたいだけど、こういうのを御家乗っ取りっていうの?。
 
 福島県いわき市にあった磐城平藩の藩主は安藤氏だったみたいだけど、磐城平藩の安藤氏は大正時代に久留米藩の有馬氏の人が継いだみたいだけど、こういうのを御家乗っ取りっていうの?。
 
 福島県も怪しくなってきたなあ。
 
 福岡県にあった久留米藩では明治維新の後に明治政府への反乱未遂事件があって、その後に久留米藩から福島県の郡山市の辺りに集団移住した人たちがいたようだ。福岡県久留米市と福島県郡山市は姉妹都市になってるみたいです。
 
 江戸時代の郡山の辺りは荒れた原野だったらしく、明治時代に開拓が行われ、安積疎水といって猪苗代湖から水が引かれたみたいです。安積疎水は明治12年から約3年かかって完成したようだ。
 
 三島通庸という人は薩摩藩の出身で、ウィキペディアで調べると、明治維新の後に酒田県令と山形県令に就いて、山形県から宮城県や福島県に抜ける道を作ったり、山形県に洋風建築の建物を建てたようだ。県令は後に県知事になったようだけど、鶴岡県と山形県と置賜県が合併して今の山形県になったようだ。三島通庸という人は福島県令と栃木県令にも就いて、福島県と栃木県の開拓にも携わったようだ。
 
 安積疎水の通水式は明治15年(1880年)だったようだけど、この時の福島県令が三島通庸のようだ。
 
 三島通庸の息子の三島弥太郎という人は外国留学して農業を学んだみたいだけど、金融業に進み、銀行の頭取になったり、日銀の総裁にも就任したようだ。三島弥太郎の息子が三島通陽という人のようだ。
 
 三島通陽という人はボーイスカウト日本連盟の4代目の総長で、ボーイスカウト日本連盟の初代副理事長らしい。三島通陽という人は戦後のボーイスカウトの普及に貢献した人で、ブロンズ・ウルフ賞をもらってるらしい。三島通陽という人もフリーメイソンのようだ。
 
 フリーメイソンですか・・・。
 
 
 火をつけるか

福山

2021-08-10 22:33:51 | 日記
 疲れたなあ。疲れました。
 
 平安時代に岩手県にいた安倍氏の安倍貞任の息子が津軽に逃げて安藤氏(安東氏)の祖になり、安藤氏(安東氏)は戦国時代は秋田県にいたらしいです。安藤氏(安東氏)は江戸時代は秋田氏を名乗っていて、福島県にあった三春藩の藩主だったみたいです。本当か知りませんけど・・・。
 
 三重県伊賀市にある敢國神社は伊賀国の一宮のようだけど、大彦命を祀ってるみたいです。敢國と書いて「あえくに」と読むみたいだけど、敢國神社は「あべ」という名字と関係あるらしい。
 
 秋田県秋田市にある古四王神社では大彦命と建御雷命を祀ってます。大彦命が建御雷命を祀り、その後に阿倍比羅夫が来て自分の祖先の大彦命を祀って古四王神社を創建したことになってたはず。
 
 広島県にあった福山藩の藩主は阿部氏で、インターネットで調べると、広島県福山市に備後護国神社があって、備後神社と阿部神社が合併したらしい。備後護国神社では阿部氏の祖神の大彦命も祀ってるみたいです。
 
 福山藩の藩主だった阿部正弘は幕府の政治の改革を行ったみたいだけど、安政の改革というみたいです。この頃に黒船が来たみたいだけど、ペリーさんもフリーメイソンらしいからなあ。
 
 福山藩の阿部氏は幕末に広島藩の浅野氏から養子を迎えたみたいだけど、江戸時代の藩も怪しいんだけど、そうやって御家乗っ取りのようなことをしてるの?。
 
 蘇民将来の話は備後国風土記にあるようです。インターネットで調べると、広島県福山市にある素盞嗚神社が蘇民将来の話の舞台の場所といわれてるみたいです。
 
 蘇民将来の話では蘇民将来と巨旦将来の兄弟が登場して、巨旦将来は武塔神が旅の宿を借りたいといったのに断って、蘇民将来は泊めてあげて、おもてなしをしたようだ。後になって武塔神は巨旦将来の一族を滅ぼし、自分をスサノオと名乗り、蘇民将来の子孫の目印に茅の輪を付けとけと言ったみたいだ。
 
 素盞嗚神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

阿波

2021-08-10 22:23:27 | 日記
 疲れたなあ。
 
 明治時代に神社の合祀が行われたみたいだけど、ウィキペディアで調べると、明治39年(1906年)の第一次西園寺内閣の時に勅令が出され、次の内閣の第二次桂内閣の時に強行されたようだ。特に三重県が凄かったらしく、和歌山県や愛媛県も凄かったようだ。
 
 三重県鈴鹿市にある椿大神社は伊勢国の一宮で、猿田彦大神を祀っていて猿田彦大本宮といってるようだ。椿大神社の本殿には猿田彦大神じゃなく、天狗がいる気がするけど、天狗はユダヤっぽいんだよなあ。
 
 三重県伊賀市にある敢國神社は伊賀国の一宮のようだけど、大彦命を祀ってるみたいです。敢國と書いて「あえくに」と読むみたいだけど、敢國神社は「あべ」という名字と関係あるらしい。
 
 じゃあ、こっちなのか?というと、わからない。う~ん・・・。
 
 徳島県の阿波は忌部氏が開拓したことになってるようだけど、徳島県鳴門市にある大麻比古神社は阿波国の一宮で、大麻比古神社では大麻比古大神と猿田彦大神を祀っていて、大麻比古大神は忌部氏の祖神の天太玉命のことのようです。忌部氏の話も嘘の気がするけど、この人たちもユダヤっぽいんだよなあ。
 
 大麻比古神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか