東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

内宮

2021-08-19 23:41:01 | 日記
 安倍さんは岸信介の孫らしいけど、何も知らないわけないと思うけどなあ。
 
 岸信介は皇學館大学の総長を務めたんでしょうか?。皇學館大学は神職の資格が取れる学校みたいだけど、詳しく知らないんですよね・・・。
 
 皇學館大学は明治時代に設立された神宮皇學館が前身で、神宮皇學館は太平洋戦争の後に無くなり、昭和37年(1962年)に皇學館大学として再興されたらしい。ウィキペディアに、そう載ってる。皇學館大学の初代総長は吉田茂という人のようだけど、吉田茂の孫が麻生さんなの?。
 
 明治維新の後、久邇宮朝彦親王から皇族の人が伊勢神宮の祭主を務めるようになったらしいけど、太平洋戦争の後は天皇の娘が伊勢神宮の祭主を務めるようになったらしく、今の伊勢神宮の祭主は上皇の娘の黒田清子さんらしい。
 
 久邇宮朝彦親王の息子の梨本宮守正王は佐賀藩の最後の藩主の鍋島直大の娘の鍋島伊都子という女性を妻にしたようだ。梨本宮守正王と鍋島伊都子の娘は大韓帝国の最後の皇太子の人の妻になったようだ。梨本宮守正王は太平洋戦争の終戦前の伊勢神宮の祭主だったようだ。
 
 久邇宮朝彦親王の息子の久邇宮邦彦親王は薩摩藩の最後の藩主の島津忠義の娘を妻にしたらしく、久邇宮邦彦親王の娘が昭和天皇の皇后の香淳皇后らしい。
 
 久邇宮朝彦親王の息子の東久邇宮稔彦王はポツダム宣言の後に日本の総理大臣になって、全国民総懺悔と言ったようだ。
 
 三重県伊勢市にある伊勢神宮の内宮は皇大神宮というらしく、御神体は八咫鏡のようです。天皇の祖先は天照大神ではない気がするけど、なんで、そういうことになってるんだろう?。
 
 八咫鏡ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

神道

2021-08-19 23:30:58 | 日記
 古事記も日本書紀も嘘の気がするけど、神社に今のような祭神が祀られたのは明治時代になってからとしか思えないんだよなあ。
 
 神仏分離や廃仏毀釈の話も怪しいんだけど・・・。
 
 明治15年(1882年)に神道事務局の後継団体として皇典講究所ができて、皇典講究所は神職養成の中央機関で、國學院大學の前身の國學院が皇典講究所に設立されたみたいです。太平洋戦争の後に國學院大學になったみたいだけど、ウィキペディアの國學院大學のところを見ると、國學院は国史と国文と国法の研究機関として設立されたようだ。
 
 皇典講究所は太平洋戦争の終戦後の昭和21年(1946年)に解散し、大日本神祇会と神宮奉斎会と一緒になって神社本庁に統合されたみたいです。
 
 明治維新の後に明治天皇から神道が国の宗教になるように宣言され、大教院が設立されたようだけど、数年後に大教院は解散になり、神道事務局が設立されたようだ。本当か知らない。
 
 神道事務局ができた時に一定の条件を満たした教団は宗派として認められ、それが教派神道になってったみたいです。神道事務局は明治19年(1886年)に組織改編されて神道本局になって教派神道の一派になり、昭和15年(1940年)に神道大教という宗教になったみたいです。
 
 神社本庁ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

新宮

2021-08-19 23:18:03 | 日記
 日高火防祭か知らないけど、火と水だってさ。
 
 三重県熊野市に大馬神社があって、熊野国の総鎮守らしいけど、HPがある。大馬神社は坂上田村麻呂伝説の神社らしく、坂上田村麻呂が熊野の辺りを荒らす賊を討ち、賊の長の首を埋めたところに創建したことになってるようです。
 
 坂上田村麻呂の話は嘘の気がするけど、なぜ、熊野に坂上田村麻呂伝説が?。
 
 戦国時代の三重県熊野市には有馬氏がいたことになってるみたいだけど、海のそばの丘のようなところに鬼ヶ城という砦のような城跡があるらしく、有馬氏が築城したことになってるらしい。
 
 久留米藩の有馬氏と熊野にいた有馬氏は違うらしい。本当か知らない。
 
 三重県熊野市には花の窟神社と産田神社があって、イザナミとカグツチと関係あるようだけど、火の神のカグツチはイザナギとイザナミの息子で、イザナミはカグツチを産んだ時に亡くなったことになってるらしく、カグツチはイザナギに斬られたことになってるみたいです。
 
 花の窟神社は岩壁の下に御幣が立ってるだけみたいだし、産田神社で火の神を祀ってるか?というと、わからない。
 
 和歌山県新宮市にある熊野速玉大社の祭神の速玉大神はイザナギで、和歌山県東牟婁郡那智勝浦町にある熊野那智大社の祭神の夫須美大神はイザナミということになってるようです。
 
 イザナギとイザナミの話も嘘の気がするけど、人を呪い封じ込めるのに役割分担みたいなものでもあるんだろうか?。
 
 熊野速玉大社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

松江

2021-08-19 23:10:05 | 日記
 自分でも書いてることがわけがわからなくなってきたなあ。
 
 菅原道真公は天穂日命の子孫ということになってるらしく、京都にある北野天満宮の本殿の後ろ側には天穂日命が祀られているようだ。
 
 島根県出雲市にある出雲大社の祭祀をしている出雲国造家の祖先は天穂日命で、天穂日命は天照大神の息子ということになってるらしい。天穂日命は大国主の国譲りの話に登場して、大国主のところに国譲りのために最初に送り込まれ、そのままいて任務を果たさなかったことになっているようです。
  
 出雲国造家は千家家と北島家に分かれていて、出雲大社の祭祀を千家家が行い、出雲大社の隣にある北島国造館の祭祀を北島家が行ってるようです。千家家は出雲大社教で北島家は出雲教のようですが、宗教法人も違うみたいです。
 
 ウィキペディアで調べると、出雲大社教も出雲教も明治15年(1882年)に設立されたみたいだけど、大国主の国譲りの話も嘘の気がするけど、神社に今のような祭神が祀られたのは明治時代になってからの気がするけどなあ。
 
 出雲国造家の人は代替わりする時、松江市にある熊野大社に行って火継式という儀式を行ってくるみたいです。鑽火殿で燧臼と燧杵で火を起こし、その火で調理した食事を神前に供え、自らも食事をするみたいです。ウィキペディアで調べると、そのようなかんじです。
 
 島根県松江市にある熊野大社の祭神は櫛御気野命で、スサノオのことのようです。松江市の熊野大社のHPを見ると、日本火出初社といってるようです。
 
 熊野大社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

敦賀

2021-08-19 23:05:03 | 日記
 神社の話になると話が混乱する。よく、こんなに話が思い付くなあ。
 
 福井県敦賀市にある気比神宮は越前国の一宮で、気比神宮の祭神は伊奢沙別命で、笥飯大神や御食津大神ともいうようです。
 
 気比神宮には八幡神社の祭神の応神天皇が来て、気比神宮の祭神と名前の交換をしたらしい。気比神宮では、その話に由来する神事も行われているようです。気比神宮の摂社に伊佐々別神社があるらしく、伊奢沙別命の荒魂を祀ってるらしい。
 
 なんで、そういう話を作ったのか知らないけど、明治天皇が怪しいんだろうか?、やっぱり。
 
 気比神宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか