東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

藤原

2021-08-28 23:42:20 | 日記
 久留米藩の有馬氏は本当に明治時代の前に日本にいたのか?ってことだよなあ。あんまりハッキリいなかったんじゃないか?って書くのもなあ。
 
 佐賀藩の最後の藩主の鍋島直大の妻は鍋島榮子という女性で、広橋家の出身らしい。広橋賢光という人と藤波言忠という人は兄弟らしい。
 
 藤波言忠は広橋家から藤波家に養子にいったみたいだけど、藤波家は江戸時代は伊勢神宮の祭主を務めていたようだ。本当か知らない。
 
 藤波氏は中臣氏の系統の氏族らしく、中臣氏が大中臣氏になって、大中臣氏から藤波氏になったようだ。
 
 奈良県桜井市に談山神社という神社があるらしく、藤原氏の祖の藤原鎌足(中臣鎌足)を祀ってるみたいです。談山神社のHPを見ると、談山神社の場所は中臣鎌足と中大兄皇子が大化の改新の談合をした場所らしいです。本当か知りませんけど・・・。
 
 談山神社は江戸時代は妙楽寺という寺だったみたいだけど、嘘なんだろうか?、やっぱり。
 
 談山神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

久留米

2021-08-28 23:29:10 | 日記
 神社の話になると話が混乱する。古事記も日本書紀も嘘の気がするけど、神社に今のような祭神が祀られたのは明治時代になってからの気がするけどなあ。
 
 福岡県久留米市に味水御井神社があって、高良大社の境外末社で筑後国総社らしい。池があって水が湧いてるらしく、祠が祀られてるだけみたいだけど、ここの気がするんだけどなあ。
 
 茨城県鹿嶋市にある鹿島神宮では建御雷命を祀ってます。鹿島神宮に行ったことあるけど、正面の鳥居をくぐって真っ直ぐ伸びてる参道の脇に本殿があって、そのまま進むと奥宮に着く。奥宮には別の入口から入ったほうが近くて、こちらには御手洗池がある。なんとなく、似てるんだよなあ。
 
 福岡県久留米市にある高良大社は筑後国の一宮で、高良大社では高良玉垂命と八幡大神と住吉大神を祀っているようです。久留米市には大善寺玉垂宮があって、祭神は高良大社と同じようだけど、高良玉垂命は藤大臣ということになってるみたいです。
 
 大善寺玉垂宮では鬼夜という祭りが行われるらしく、藤大臣が久留米市の辺りを荒らしていた賊を討ち取った話に由来するようです。日本三大火祭りともいわれるらしい。
 
 岩手県の金ヶ崎町に鳥海柵跡があって、安倍貞任の兄弟の安倍宗任がいたことになってる。福岡県久留米市に永福寺という真宗大谷派の寺があるようだけど、HPがある。永福寺は九州に流された安倍宗任の子孫の人が出家して開いた寺らしい。
 
 明治維新の頃に阿部という名字を阿に変えたと書いてある。高良山にあった仏像は明治時代の神仏分離の後は永福寺に移されたとも書いてある。高良山は江戸時代は天台宗だったらしく、奥の院には戒壇があったらしい。本当か知りませんけど・・・。
 
 高良大社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

三輪

2021-08-28 22:42:08 | 日記
 蛇に首を絞められてるみたいに苦しい。
 
 新天皇の即位の時も感じたけど、三輪山に誰かを封じ込めて、その人と天皇が入れ替わってる気がしたけど、だんだん自信が無くなってきたなあ。
 
 能の三輪という演目には「思えば伊勢と三輪の神、一体分身の御事。いわくらや。」というセリフがあるらしい。能は明治時代に復興のようなことが行われたみたいだけど・・・。
 
 奈良県桜井市にある大神神社の祭神は大物主らしい。大神神社には本殿が無く、拝殿から三輪山を拝むようになってるらしい。三輪山には摂社の狭井神社から登っていくようだけど、三輪山の山頂付近には高宮神社があって、大神神社の祭神の大物主ではなく、日向御子神が祀られてるらしい。
 
 大神神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

天皇

2021-08-28 20:45:06 | 日記
 疲れたなあ。
 
 令和になって新天皇の即位で大嘗祭も行われたようだけど、ウィキペディアで調べると、大嘗祭は天皇が即位して初めて行われる新嘗祭で、新嘗祭は収穫祭のような儀式らしく、その年に収穫した米を神に捧げ、食事をするみたいな儀式らしい。詳しいことは知らないけど・・・。
 
 明治天皇の前に本当に天皇が日本にいたのか知らないけど、日本を食い物にしてる人たちでしょ?、この人たちは。
 
 天皇ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

外宮

2021-08-28 20:44:12 | 日記
 このブログを誰が読んでるのか知らないけど、意味不明だよなあ。
 
 明治維新の話も怪しいし、日本の歴史は嘘の気がするけど、じゃあ、どうなってるんだ?と言われても、それがわかれば、こんな苦労はしないよなあ、たぶん。
 
 岩手県の金ヶ崎町に永徳寺という曹洞宗の寺があって、永徳寺は南北朝の時代に創建された寺で、往時は末寺が400以上あったともいわれ、関東のほうや静岡県や新潟県のほうにも末寺があったらしいです。本当か知りませんけど・・・。
 
 永徳寺は道叟道愛禅師が開いたことになってます。道叟道愛禅師は久米氏の出身で、秋田県の美郷町の辺りの出身といわれてるみたいです。道叟道愛禅師は東北各地を布教して歩いたらしく、青森県の鰺ヶ沢町に道叟道愛禅師が開いた高沢寺という寺があるみたいです。
 
 永徳寺は平成になって再建された本堂があって、行っても、特に何も無い。金ヶ崎町の街からも離れてるし。往時は立派な寺があったんだろうか?と思わせるような広い敷地や杉の巨木は有るけど。
 
 秋田県由利本荘市にあった本荘藩の藩主は六郷氏で、本荘の街の中にある永泉寺という曹洞宗の寺は六郷氏の菩提寺だそうです。永泉寺は道叟道愛禅師が開いた寺らしいです。永泉寺は永徳寺の末寺だったみたいですが、今は知りません。
 
 秋田県にかほ市の象潟は小島がたくさん浮かぶ景勝地だったみたいだけど、文化元年(1804年)の地震で土地が隆起して陸地になったそうです。陸地になった土地を本荘藩は開拓しようとしたみたいだけど、蚶満寺の僧が蚶満寺を閑院宮家の祈願所にして土地開発に反対したらしい。本当か知りませんけど・・・。
 
 ここが豊受大神ということになってる女性の墓所の気がするけど、自信が無いなあ。
 
 伊勢神宮の外宮の祭神の豊受大神は内宮の祭神の天照大神の食事のために丹波から勧請されたことになってるようだ。
 
 三重県伊勢市にある伊勢神宮の内宮は皇大神宮というらしく、御神体は八咫鏡のようです。伊勢神宮の内宮で本当に天照大神を祀ってるのか知らないし、天皇の祖先が本当に天照大神か知らないけど、日本を食い物にしている人たちでしょ?、この人たちは。
 
 天皇ですか・・・。
 
 
 火をつけるか