東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

松江

2021-08-31 22:22:47 | 日記
 それにしても、凄いよなあ。一人の人を呪い封じ込めるのに、ここまでするのか?ってかんじだよなあ。
 
 それに、明治維新の後の国学者というんだろうか?、よく、こんな壮大なストーリーが考えられるよなあ。
 
 島根県出雲市にある出雲大社の祭祀をしている出雲国造家の祖先は天穂日命で、天穂日命は天照大神の息子ということになってるらしい。天穂日命は大国主の国譲りの話に登場して、大国主のところに国譲りのために最初に送り込まれ、そのままいて任務を果たさなかったことになっているようです。
 
 出雲国造家は千家家と北島家があるようだけど、出雲大社の祭祀を千家家が行い、出雲大社の隣にある北島国造館の祭祀を北島家が行ってるようです。千家家は出雲大社教で北島家は出雲教で、ウィキペディアで調べると、出雲大社教も出雲教も明治15年(1882年)に設立されたらしい。
 
 出雲大社教は設立時は神道大社教だったみたいだけど、千家尊福という人が神道大社教の設立者で初代管長らしい。千家尊福は埼玉県知事や静岡県知事や東京府知事を務め、第一次西園寺内閣の司法大臣に就任したようだ。
 
 明治維新の後に国家神道が形成される時に伊勢派と出雲派の対立があったらしいけど、嘘なんだろうか?、やっぱり。それに、江戸時代の国学者の平田篤胤の話も嘘の気がするけど、平田篤胤が秋田県にあった久保田藩の出身というのがなあ・・・。
 
 出雲大社の祭祀をしてる出雲国造家の祖先は大国主ではなく天穂日命みたいだし、伊勢派と出雲派の対立って意味不明なんだけど・・・。
 
 島根県松江市にある熊野大社の祭神は櫛御気野命で、スサノオのことのようです。松江市の熊野大社のHPを見ると、日本火出初社といってるようです。
 
 出雲国造家の人は代替わりする時、松江市にある熊野大社に行って火継式という儀式を行ってくるみたいです。鑽火殿で燧臼と燧杵で火を起こし、その火で調理した食事を神前に供え、自らも食事をするみたいです。ウィキペディアで調べると、そのようなかんじです。
 
 火継式というぐらいだから、火を受け継ぐんだろうなあ、たぶん。
 
 熊野大社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

天皇

2021-08-31 20:40:17 | 日記
 神社に今のような祭神が祀られたのは明治時代になってからの気がするけどなあ。
 
 三重県伊勢市にある伊勢神宮の内宮は皇大神宮というらしく、御神体は八咫鏡のようです。天皇の祖先は天照大神ではない気がするし、伊勢神宮の内宮で天照大神を祀ってるのか知らないけど、天皇は日本を食い物にしてる人でしょ?。
 
 令和になって新天皇の即位で大嘗祭も行われたみたいだけど、ウィキペディアで調べると、大嘗祭は天皇が即位して初めての新嘗祭で、新嘗祭は収穫祭のような儀式らしく、その年に収穫した米を神に捧げ、食事をするみたいな儀式らしい。詳しいことは知らないけど・・・。
 
 天皇ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

外宮

2021-08-31 20:26:45 | 日記
 どうなってんすかね?。
 
 岩手県の金ヶ崎町に永徳寺という曹洞宗の寺があって、永徳寺は南北朝の時代に創建された寺で、往時は末寺が400以上あったともいわれ、関東のほうや静岡県や新潟県のほうにも末寺があったらしい。本当か知りませんけど・・・。
 
 永徳寺は道叟道愛禅師が開いたことになってます。道叟道愛禅師は久米氏の出身で、秋田県の美郷町の辺りの出身といわれてるみたいです。道叟道愛禅師は東北各地を布教して歩いたらしく、青森県の鰺ヶ沢町に道叟道愛禅師が開いた高沢寺という寺があるみたいです。
 
 永徳寺は平成になって再建された本堂があって、行っても、特に何も無い。金ヶ崎町の街からも離れてるし。往時は立派な寺があったんだろうか?と思わせるような広い敷地や杉の巨木は有るけど。
 
 秋田県由利本荘市にあった本荘藩の藩主は六郷氏で、本荘の街の中にある永泉寺という曹洞宗の寺は六郷氏の菩提寺だそうです。永泉寺は道叟道愛禅師が開いた寺らしいです。永泉寺は永徳寺の末寺だったみたいですが、今は知りません。
 
 江戸時代の秋田県由利本荘市には本荘藩と矢島藩と亀田藩があって、本荘藩の藩主は六郷氏で、矢島藩の藩主は生駒氏で、亀田藩の藩主は岩城氏だったみたいです。本当か知りませんけど・・・。
 
 山形県飽海郡遊佐町にある大物忌神社では大物忌神を祀っていて、秋田県側の由利本荘市の矢島町にも大物忌神社があるみたいです。大物忌神は豊受大神と同じということになってるらしく、大物忌神は倉稲魂命と同じや豊岡姫ともいうみたいです。
 
 伊勢神宮の外宮の祭神の豊受大神は内宮の祭神の天照大神の食事のために丹波から勧請されたことになってるようだ。
 
 三重県伊勢市にある伊勢神宮の内宮は皇大神宮というらしく、御神体は八咫鏡のようです。天皇の祖先は天照大神ではない気がするし、伊勢神宮の内宮で天照大神を祀ってるのか知らないけど、天皇は日本を食い物にしてる人でしょ?。
 
 天皇ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

敦賀

2021-08-31 19:55:50 | 日記
 う~ん・・・。何を書いていけばいいんだ?、俺は。
 
 明治維新の話も怪しいんだけどなあ。
 
 岩手県の金ヶ崎町は江戸時代は伊達藩で、諏訪小路武家屋敷には白糸城という要害があって、大町氏がいたそうです。インターネットで調べても、大町氏について、でてこない。
 
 諏訪小路武家屋敷に大町氏の菩提寺の泰養寺という曹洞宗の寺があって、山号は小白山です。岩手県の寺の本を見ると、大町氏は福岡県の三池郡にいた氏族らしく、鎌倉幕府の滅亡後、東北に来て伊達家に仕えたようだ。大町氏の家臣団は南部藩との藩境の警護に当たってたみたいです。
 
 諏訪小路武家屋敷というからには、諏訪小路武家屋敷にあるのは諏訪神社なんだけど、今は金ヶ崎神社になってます。
 
 金ヶ崎町から北上市に入って、すぐのところに伊達藩と南部藩の藩境塚と番所の跡があるけど、伊達藩側には白山神社がある。
 
 平泉町の中尊寺に白山神社があって、平泉町の街の中にも白山神社があって、平泉町の隣の奥州市の前沢に白山神社があって、奥州市の江刺には白山皇大神宮がある。他にも、この辺りに白山神社があるかもしれない。
 
 福井県敦賀市には金崎宮があるらしく、金崎宮では後醍醐天皇の息子の尊良親王と桓良親王を祀ってるらしく、金崎宮の場所には金ヶ崎城という城があったみたいです。明治時代に南北朝の話に出てくる人を祀る神社が日本各地に創建されたみたいだけど、金崎宮もそうみたいです。
 
 南北朝の話も嘘の気がするけど、またまた・・・。
 
 福井県敦賀市にある気比神宮は越前国の一宮で、気比神宮の祭神は伊奢沙別命で、笥飯大神や御食津大神ともいうようです。
 
 気比神宮には八幡神社の祭神の応神天皇が来て、気比神宮の祭神と名前の交換をしたらしい。気比神宮では、その話に由来する神事も行われているようです。気比神宮の摂社に伊佐々別神社があるらしく、伊奢沙別命の荒魂を祀ってるらしい。
 
 熊野本宮大社の祭神が家津御子大神なのか家津美御子大神なのかわからないけど、御食津と書いて「みけつ」と読むみたいだけど、どうなんだろうなあ?。
 
 気比神宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

田辺

2021-08-31 19:45:06 | 日記
 自分で書いといて、鴨南蛮とか意味不明なことをブログに書いてるなあ、俺は。
 
 奥州藤原氏の話も明治時代に作られた気がするけど、どうなんだろうなあ?。
 
 岐阜県郡上市の白鳥町の白鳥観光協会のHPを見ると、石徹白という集落があって、白山中居神社があるらしい。石徹白というところは江戸時代は、どの藩にも属さず、石徹白の人たちは名字帯刀を許されていたようだ。石徹白の人たちは白山の道案内をしたり、宿坊を営んだり、全国各地の信者に御札を配ったりしたようだ。本当か知りませんけど・・・。
 
 石徹白というところにある大師堂には虚空蔵菩薩像があって、明治時代の廃仏毀釈を逃れるために大師堂に収められたようだ。奥州藤原氏の3代目の藤原秀衡の寄進と伝わってるようだ。
 
 たしかに、平泉町にある中尊寺の鎮守も白山神社だ。
 
 奥州藤原氏は4代目の藤原泰衡の時に源頼朝に攻められて滅ぼされたことになっていて、平泉町にある中尊寺の金色堂には藤原泰衡の首が納められていて、ウィキペディアで調べると、藤原泰衡の首は昭和25年(1950年)に調査が行われたらしく、何ヶ所もの切傷や刺傷があって、眉間と頭の後ろのほうに釘が打たれたような跡があるらしい。鼻と耳が削がれてるようだ。
 
 藤原泰衡の首は藤原泰衡の兄弟の藤原忠衡の首と中尊寺では言い伝えられてきたらしく、首桶が入っていた箱にも忠衡公と書いてあるみたいです。
 
 奥州藤原氏の3代目の藤原秀衡は熊野詣に行ってきたことになってるらしく、熊野古道にある滝尻王子というところには藤原忠衡の出産の伝説があるらしい。熊野古道の継桜王子というところの近くには秀衡桜があるようだけど、今の秀衡桜は5代目らしく、熊野那智大社にも秀衡桜があるらしい。
 
 和歌山県田辺市にある熊野本宮大社の祭神は家都美御子大神で、スサノオのことらしい。ここから頭に何か刺さってるような頭痛がしてくるんだよなあ。
 
 熊野本宮大社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか