カルト密教の呪いは凄まじいなあ。
明治維新の話も怪しいんだけど、イギリスと清とインドは三角貿易をしてたみたいだけど、インドはヒンズー教の国だよなあ。
明治維新の後に河口慧海という黄檗宗の僧は日本人で初めてチベットに行ってきたらしく、チベット仏教を学んできて、帰国後にチベットの旅行記を書いたり、仏教関連の書籍をたくさん書いたようだ。後に僧籍を返上して在家仏教信者になったようだ。本当に日本人か知りませんけど・・・。
なんで、禅宗の僧がチベット仏教を学びに行くんだ?みたいに言われても、知らんよ、そんなの。
浄土真宗本願寺派の法主だった大谷光瑞は大谷探検隊でインドに行って、お釈迦様が法華経を説いた場所といわれる霊鷲山を見付けてきたようだ。ウィキペディアに、そう載ってる。当時の浄土真宗本願寺派はチベットと交換留学もしていたようだ。
浄土真宗といえば念仏なのに、なんで、釈迦が法華経を説いた場所を探しに行くんだ?とか、なんで、チベットと交換留学してたんだ?みたいに言われても、知らんよ、そんなの。
ウィキペディアで調べると、ダライ・ラマは1642年にチベット政府の長になって、1959年までチベット政府の長だったようだ。チベットのラサというところにポタラ宮という宮殿があるみたいです。今のダライ・ラマは14世のようです。
ポタラ宮ですか・・・。
火をつけるか
。
明治維新の話も怪しいんだけど、イギリスと清とインドは三角貿易をしてたみたいだけど、インドはヒンズー教の国だよなあ。
明治維新の後に河口慧海という黄檗宗の僧は日本人で初めてチベットに行ってきたらしく、チベット仏教を学んできて、帰国後にチベットの旅行記を書いたり、仏教関連の書籍をたくさん書いたようだ。後に僧籍を返上して在家仏教信者になったようだ。本当に日本人か知りませんけど・・・。
なんで、禅宗の僧がチベット仏教を学びに行くんだ?みたいに言われても、知らんよ、そんなの。
浄土真宗本願寺派の法主だった大谷光瑞は大谷探検隊でインドに行って、お釈迦様が法華経を説いた場所といわれる霊鷲山を見付けてきたようだ。ウィキペディアに、そう載ってる。当時の浄土真宗本願寺派はチベットと交換留学もしていたようだ。
浄土真宗といえば念仏なのに、なんで、釈迦が法華経を説いた場所を探しに行くんだ?とか、なんで、チベットと交換留学してたんだ?みたいに言われても、知らんよ、そんなの。
ウィキペディアで調べると、ダライ・ラマは1642年にチベット政府の長になって、1959年までチベット政府の長だったようだ。チベットのラサというところにポタラ宮という宮殿があるみたいです。今のダライ・ラマは14世のようです。
ポタラ宮ですか・・・。
火をつけるか
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/etc_fire.gif)