東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

高千穂

2024-06-30 18:59:16 | 日記
 神社の人が中国人や朝鮮人なのか?って俺に言われても・・・。たぶん、そうなんじゃないの?。
 
 すべての神社の人がそうではないのかもしれないけど、結局、神職の資格を取るには、そういう資格が取れるところに行って学んだりするみたいだし、そういうところで教わったことをしてるんでしょ?、神社の人たちって。
 
 日本の歴史は嘘の気がするけど、戦国時代の福岡県には高橋氏がいて、高橋氏は高橋紹運と高橋元種の2つの家系に分かれたらしい。高橋紹運の息子の立花宗茂は柳川藩の初代藩主で、立花宗茂の兄弟の立花直次の息子の立花種次は三池藩の初代藩主らしい。高橋元種は宮崎県にあった延岡藩の初代藩主らしいけど、高橋元種は秋月氏から来た人らしい。秋月氏は戦国時代は福岡県朝倉市にいて、江戸時代は宮崎県にあった高鍋藩の藩主だったらしい。
 
 宮崎県にあった延岡藩は廃藩置県の頃は内藤氏が藩主で、延岡藩の内藤氏は延岡藩に来る前は福島県いわき市にあった磐城平藩にいて、いわき市にあった湯長谷藩の藩主も内藤氏だったらしい。本当か知らないけど・・・。
 
 延岡藩の最後の藩主の内藤政挙は静岡県にあった掛川藩の太田氏から養子で入った人らしい。内藤政挙は昭和2年(1927年)に亡くなったようだ。次の内藤氏の内藤政道は内藤政挙の息子のようだけど、ウィキペディアを見ても、それ以上わからない。
 
 戊辰戦争の頃の湯長谷藩の藩主は内藤政養で、湯長谷藩は奥羽越列藩同盟に加わって新政府と戦って強制隠居させられ、明治44年(1911年)に亡くなったらしい。湯長谷藩の最後の藩主の内藤政憲は大炊御門家から養子で入った人で、内藤政憲は明治14年(1881年)に家督を譲って隠居して、大正8年(1919年)に亡くなったらしい。内藤政憲の息子の内藤政潔が継いだようだけど、それ以降、わからない。
 
 延岡藩の内藤氏の墓所も湯長谷藩の内藤氏の墓所も、神奈川県鎌倉市にある光明寺という浄土宗の寺にあるらしい。光明寺の山号は天照山のようだ。天照山蓮華院光明寺とHPに書いてある。延岡藩の最後の藩主の内藤政挙の墓は延岡市にある台雲寺という曹洞宗の寺にあるらしい。
 
 宮崎県西臼杵郡高千穂町には天岩戸神社があって、西本宮は天岩戸といわれる洞窟が御神体らしい。天岩戸神社のHPを見ると、西本宮は大日霊尊を祀っていて、東本宮で天照大神を祀っているらしい。大日霊尊は天照大神の別名らしい。天岩戸神社の近くには天安河原というところがあるらしい。
 
 天照大神はスサノオの悪事を怖れて天岩戸の中に閉じこもったことになってるみたいだけど、天皇の祖先は天照大神ではない気がするし、伊勢神宮の内宮で天照大神を祀ってるのか知らないけど、呪われた人生だったなあ。
 
 天皇ですか・・・。
 
 
 火をつけるか
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