第一次桂内閣が明治34年(1901年)から始まって、第一次桂内閣、第一次西園寺内閣、第二次桂内閣、第二次西園寺内閣、第三次桂内閣と続いて、第三次桂内閣は大正2年(1913年)まで続いたようだ。桂太郎と西園寺公望が交代で総理大臣に就いてた時代を桂園時代というらしい。
福岡県にあった久留米藩の最後の藩主は有馬頼咸で、明治7年(1875年)に息子の有馬頼匡に家督を譲って隠居したらしいけど、有馬頼咸は明治14年(1881年)に亡くなったらしい。明治10年(1877年)に有馬頼匡の弟の有馬頼萬が家督を継いだようだけど、有馬頼萬は昭和2年(1927年)に亡くなったらしい。次の有馬氏の有馬頼寧は有馬頼萬の息子で、有馬頼寧の時に太平洋戦争の終戦を迎えて華族制度が廃止になったようだ。
有馬頼寧は農商務省に入って農政に関わり、東京帝国大学の講師や助教授にもなって社会活動に関わっていたようだ。その後に衆議院議員選挙に立候補して当選し、衆議院議員だった時に家督を継いで貴族院の議員になったようだ。有馬頼寧は第一次近衛内閣で農林大臣に就き、近衛文麿の側近として大政翼賛会の設立に関わったようだ。その後は政界を退いてプロ野球チームのオーナーを務めたり、太平洋戦争の終戦後には日本中央競馬会の第2代理事長に就いたようだ。
平安時代に岩手県にいた安倍氏の人たちは奥六郡といわれる岩手県にあった6つの郡に勢力を広げてたことになってる。金ヶ崎町に鳥海柵跡があって、安倍貞任の兄弟の安倍宗任がいたことになってる。安倍宗任は鳥海三郎というらしい。
安倍宗任は前九年の役で敗れて京都に連れていかれ、伊予に流され、更に宗像の大島に流されたらしい。福岡県宗像市の大島にある安昌院という曹洞宗の寺に安倍宗任の墓があるらしい。安昌院の山号は東寧山らしい。
福岡県久留米市に永福寺という真宗大谷派の寺があるようだけど、山号は光壽山のようだ。HPがある。永福寺は九州に流された安倍宗任の子孫の人が出家して開いた寺らしい。永福寺のHPを見ると、明治維新の頃に阿部という名字を阿に変えたと書いてある。高良山にあった仏像は明治時代の神仏分離の後に永福寺に移されたとも書いてある。
明治維新の頃の永福寺の住職は大寧で、明治10年(1877年)に亡くなったらしい。次の永福寺の住職は大解で、大寧の長男で、自由民権運動に加わって、明治22年(1889年)に山口県で亡くなったらしい。次の永福寺の住職は現英で、大寧の次男で、現英は太平洋戦争の後の昭和24年(1949年)に亡くなったらしい。
福岡県久留米市にある高良大社は筑後国の一宮で、高良玉垂命と八幡大神と住吉大神を祀っているらしい。高良大社の境外末社に味水御井神社があって、池があって水が湧いてるらしく、祠が祀られてるだけみたいだけど、高良大社は久留米市の御井町にあるらしい。
高良大社のHPを見ると、高良山には蓮台院御井寺という寺があったらしく、今は久留米市の違う場所に復興されてるらしい。御井寺の山号は高良山のようだ。
高良大社ですか・・・。
火をつけるか
。