東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

京都

2021-08-04 20:40:32 | 日記
 ユダですか・・・。
  
 ウィキペディアで調べると、山形県にあった天童藩の織田氏は天童藩の前は高畠藩にいて、天保元年(1830年)に天童に移って天童藩の藩主になったみたいです。
 
 高畠町に高畑城跡があるらしく、高畑城は平安時代に奥州藤原氏の一族の樋爪氏の人が築城したらしい。
 
 奥州藤原氏は4代目の藤原泰衡の時に源頼朝に攻められて滅ぼされたことになっていて、岩手県の紫波町には奥州藤原氏の一族の樋爪氏がいたらしい。
 
 天童藩の最後の藩主は織田信敏で、次の織田氏の織田信恒は福島県にあった相馬藩から来た人で、相馬誠胤の息子らしい。
 
 相馬藩の最後の藩主の相馬誠胤は明治維新の後に精神の病を発症し、自宅監禁されたみたいです。相馬家が不当に監禁としてるということで裁判になったらしく、相馬事件というみたいです。相馬事件の話も怪しいんだよなあ。
 
 山形県天童市に織田信長を祀る建勲神社があって、ウィキペディアで調べると、天童市の建勲神社は天童藩の最後の藩主の織田信敏が東京の邸宅に織田社を祀って、明治2年(1869年)に神祇官から織田社に健織田社という神号が与えられ、明治3年(1870年)に天童市に祀られて建勲社になったみたいです。
 
 京都の船岡山にある建勲神社は明治13年(1880年)に東京から遷され、明治43年(1910年)に船岡山の今の場所に社殿が建てられたみたいです。
 
 本能寺という寺は今でも京都にあるらしく、法華宗本門流の大本山らしいです。本能寺の変の話も嘘の気がするけど、赤十字の人たちが関わってるんだろうか?。
 
 本能寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

南部

2021-08-04 20:31:20 | 日記
 ユダですか・・・。
 
 奥州藤原氏は4代目の藤原泰衡の時に源頼朝に攻められて滅ぼされたことになっていて、岩手県の紫波町には奥州藤原氏の一族の樋爪氏がいたらしい。
 
 紫波町にある陣ヶ岡歴史公園のそばに藤原泰衡の首を洗ったといわれる井戸があります。藤原泰衡は平泉から逃げて、秋田県大館市のあたりで家臣の裏切りにあって亡くなったらしいです。
 
 平泉町にある中尊寺の金色堂には藤原泰衡の首が納められていて、ウィキペディアで調べると、藤原泰衡の首は昭和25年(1950年)に調査が行われたらしく、何ヶ所もの切傷や刺傷があって、眉間と頭の後ろのほうに釘が打たれたような跡があるらしい。鼻と耳が削がれてるようだ。
 
 藤原泰衡の首は藤原泰衡の兄弟の藤原忠衡の首と中尊寺では言い伝えられてきたらしく、首桶が入っていた箱にも忠衡公と書いてあるみたいです。
 
 日本赤十字社のもとになった博愛社の創設の目的は西南戦争の時に敵味方関係無く医療に当たるみたいなことだったみたいだけど、嘘なんだろうか?。
 
 日本赤十字社の創始者の佐野常民という人は佐賀藩の出身らしい。佐野常民の息子の佐野常羽はボーイスカウトに関わってたようだ。佐野常羽の息子の佐野常光は一条家から来た人で、一条実輝の息子らしい。
 
 明治維新の後の南部氏にも一条家から来てるらしく、南部利英という人は一条実輝の息子のようだ。今の南部氏は一条氏から来た人の系統で続いてるようだけど、南部氏の人も日本赤十字社やボーイスカウトに関わってるみたいだし、岩手県の各種団体の要職も務めてるようだ。
 
 盛岡にある聖寿寺という臨済宗の寺に南部氏の墓所があるようです。明治維新の話も怪しいんだけど、殺人鬼みたいだなあ、この人たちは。
 
 聖寿寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

赤十字

2021-08-04 20:13:21 | 日記
 日本赤十字社のもとになった博愛社の創設の目的は西南戦争の時に敵味方関係無く医療に当たるみたいなことだったみたいだけど、嘘なんだろうか?。
 
 日本赤十字社の創始者の佐野常民という人は佐賀藩の出身らしい。佐野常民の息子の佐野常羽はボーイスカウトに関わってたようだ。佐野常羽の息子の佐野常光は一条家から来た人で、一条実輝の息子らしい。
 
 佐野常羽という人もボーイスカウトイギリス連盟の最高位の功労賞のシルバー・ウルフ章をもらってるらしいけど、日本人でもらってるのは昭和天皇と佐野常羽だけらしい。本当に日本人か知らないけど・・・。
 
 大正11年(1922年)にボーイスカウト日本連盟が創設され、後藤新平がボーイスカウト日本連盟の初代総長に就任したようだ。後藤新平はフリーメイソンらしい。
 
 後藤新平の次のボーイスカウト日本連盟の総長は斎藤実らしい。斎藤実は昭和11年(1936年)の2.26事件で暗殺されたみたいです。
 
 第一次近衛内閣の時の昭和12年(1937年)に日中戦争が始まったようだけど、第一次近衛内閣では国家総動員法が成立したようだ。第二次近衛内閣と第三次近衛内閣では近衛文麿は大政翼賛会の総裁になって独裁政権を目指し、大東亜共栄圏を掲げ、日独伊三国同盟や日ソ中立同盟を締結したようだ。
 
 第三次近衛内閣の退陣前後にゾルゲ事件というスパイ摘発事件があったみたいです。ゾルゲ事件ではゾルゲという人をリーダーにしたソ連のスパイと日本国内にいる協力者の人たちが捕まったようだ。近衛文麿の側近の人も捕まったようだ。
 
 昭和16年(1941年)に太平洋戦争が始まり、近衛文麿は独自に和平工作に動き、天皇にも上奏文を提出したようだ。近衛文麿は太平洋戦争の終戦の後にA級戦犯に指定され、自殺したみたいです。近衛文麿の息子の近衛文隆は戦後にシベリアに抑留され、亡くなったみたいです。
 
 近衛文麿の娘は熊本藩の藩主だった細川氏の人の妻になったみたいだけど、近衛家は細川氏の人が継いでいて、日本の総理大臣にもなった細川護熙という人の兄弟みたいです。
 
 ウィキペディアを見ると、細川護熙という人の兄弟の近衛家の人は日本赤十字社の社長を務め、今は名誉社長なんだろうか?。国際赤十字赤新月社連盟という国際機関の会長も務めたようだ。
 
 日本赤十字社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

田村

2021-08-04 20:06:49 | 日記
 なんか、頭が痛いなあ。
 
 岩手県の平泉町に達谷窟毘沙門堂があって、坂上田村麻呂が悪路王を退治したという伝説があります。達谷窟毘沙門堂には達谷西光寺という別当寺があって、達谷西光寺は天台宗の寺だけど、今のようになったのは明治以降の気がするけどなあ。
 
 平泉町の隣の一関市にあった田村藩の田村氏は坂上田村麻呂の子孫ということになってるけど、坂上田村麻呂の話も嘘の気がするけどなあ。
 
 ウィキペディアで調べると、明治維新の後の田村氏の田村邦栄という人は宮城県角田市にいた石川家から来た人らしい。戊辰戦争の後に弟の田村崇顕に家督を譲ったみたいだけど、明治15年(1882年)に再び家督を継いだようだ。
 
 田村邦栄の次の田村氏は田村邦栄の息子の田村丕顕が継いだようだ。田村丕顕はアメリカのアナポリス海軍兵学校を卒業した海軍の軍人らしい。
 
 田村丕顕という人は日本赤十字社の創始者の佐野常民の娘を妻にしたみたいだけど・・・。
 
 一関市にある祥雲寺という臨済宗の寺に田村藩の田村氏の墓所があります。カルト密教の呪いは凄まじいなあ。頭に何か刺さってるような頭痛がする。
 
 祥雲寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

右翼

2021-08-04 19:56:05 | 日記
 明治維新の話も怪しいんだけど、政治家と財界の癒着なんて、この頃から当然のようにあったんでしょ?。
 
 明治維新の後に岩手県奥州市の水沢の街には胆沢県庁が置かれたらしい。安場保和という人が大参事という役職に就いたみたいだけど、安場保和は熊本藩の出身で、水沢の地元の少年から選んで仕事をさせてたみたいだ。その中の1人が後藤新平で、後藤新平は安場保和の娘を妻にしたみたいだ。
 
 安場保和という人は本当に奥州市に来たんだろうか?。
 
 杉山茂丸という人は玄洋社の財政基盤確立のための資金調達のため、安場保和を福岡県知事に就かせたようだ。福岡県令が福岡県知事になったようだけど、ウィキペディアで調べると、安場保和が福岡県知事だった期間は明治19年(1886年)から明治25年(1892年)のようです。
 
 日清戦争は明治27年(1894年)から明治28年(1895年)にあって、日清戦争の後に台湾は日本の統治になって、台湾総督府が置かれたみたいです。昭和20年(1945年)まで台湾総督府があったみたいです。
 
 後藤新平は台湾総督府の民政長官に就任してアヘンの撲滅も行おうとしたらしいけど、その一方で、杉山茂丸という人とアヘン利権に関わってたようだ。ウィキペディアに、そんなかんじで載ってる。
 
 明治維新の後に玄洋社という右翼団体ができたようだけど、黒龍会という玄洋社の海外工作機関といわれる右翼団体もあったようだ。玄洋社も黒龍会も太平洋戦争の終戦の後にGHQによって解散させられたみたいです。
 
 当時の日本にはアジア主義といわれる人たちがいて、世界情勢によって主義主張が変わるみたいだけど、軍や官僚や政治家や財閥など、いろんなところに繋がりを持ち、日本が関わった戦争で情報工作や裏工作をしてたようだ。
 
 玄洋社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか