東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

吉野

2021-02-28 22:24:02 | 日記
 疲れたなあ。なんか、いろんなことが信じられなくなってきたなあ。
 
 明治維新の後に教派神道といわれる神道が興ったようだ。詳しく知らないけど、滝に打たれて禊ぎをするような修験道のような神道だったり、教祖が霊能者なのかカリスマなのか、そういう人たちの神道なんだろうか?。
 
 修験道の開祖の役行者の話も明治維新の後に作られたんだろうか?。
 
 インターネットで調べると、修験道の開祖の役行者のことは続日本紀と日本霊異記に書いてあるらしく、役行者のことは賀茂役公や高賀茂朝臣と書いてあるようです。続日本紀には奈良時代から平安時代の初め頃の歴史が書いてあるみたいだけど、嘘の気がするけど・・・。
 
 賀茂氏なのか知らないけど、一条なのか何条なのか、あの人たちが関わってるんだろうか?。
 
 奈良県の吉野は役行者が修験の山として開いたことになっているようですが、吉野には金峰山寺と大峰山寺があって、蔵王権現を本尊に祀っているみたいです。大峰山は今でも女人禁制の山のようですが、大峰山寺は大峰山にある山上ヶ岳の山頂付近にあるみたいです。
 
 奈良県吉野郡吉野町にある金峰山寺の山号は国軸山のようです。金峰山寺のHPを見ると、明治維新の後の明治7年(1874年)の修験道廃止令で廃寺になったらしく、明治19年(1886年)に天台宗の末寺として再興され、昭和23年(1948年)に金峰山修験本宗を立宗したようです。
 
 蔵王権現像が明治維新の後に作られたなんて、それもどうかと思うけど、たしかに写真とかで見ると色鮮やかだもんなあ。金峰山寺のHPを見ると、大正5年から13年かけて本堂の解体修理をしたと書いてある。
 
 金峰山寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

内宮

2021-02-28 20:45:48 | 日記
 一億総懺悔ですか・・・。
 
 久邇宮朝彦親王も伏見宮邦家親王の息子らしいけど、久邇宮朝彦親王は天台座主に就き、還俗して明治維新の後は伊勢神宮の祭主も務めたみたいです。久邇宮朝彦親王は皇學館大学を創始したみたいです。久邇宮朝彦親王の孫が昭和天皇の皇后の香淳皇后らしい。
 
 ウィキペディアで調べると、東久邇宮稔彦王という人は久邇宮朝彦親王の息子らしいけど、東久邇宮稔彦王はポツダム宣言の後に日本の総理大臣になって、一億総懺悔とか言ったの?。
 
 一億総懺悔だってさ、日本人は。
 
 明治維新の後、久邇宮朝彦親王から皇族の人が伊勢神宮の祭主を務めるようになったらしく、太平洋戦争の後は天皇の娘が祭主を務めるようになったみたいです。今の伊勢神宮の祭主は上皇の娘の黒田清子さんらしい。
 
 三重県伊勢市にある伊勢神宮の内宮は皇大神宮というらしく、御神体は八咫鏡のようです。八咫鏡にはヘブライ語が刻まれてるという説があるらしい。
 
 八咫鏡ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

伊勢

2021-02-28 20:29:59 | 日記
 隠れキリシタンですか・・・。
 
 三重県伊勢市にある伊勢神宮の内宮は皇大神宮というみたいだけど、伊勢神宮の内宮の御神体の八咫鏡にはヘブライ語が刻まれてるという説があるらしく、モーセの前に現れた神が言った言葉が刻まれてるという説があるみたいです。
 
 モーセの前にイスラエル人の先祖の神が現れ、エジプトにいるイスラエルの人たちを連れ出すように言ったみたいだ。モーセはイスラエルの人たちにイスラエル人の先祖の神の名はなんというのか伝えなければいけないみたいに言って、自分の前に現れた神に名を尋ねてみたようだ。モーセの前に現れた神は「わたしはある。わたしはあるというものだ。」と答えたらしい。
 
 モーセは聖書に登場する人物の中でも最重要人物の一人で、イスラエルの人たちを率いてエジプトから逃げたり、神から十戒を授かったり、神から祭祀の仕方をいろいろ教わったみたいです。詳しいことは知りませんけど。
 
 伊勢神宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

フランス

2021-02-28 20:21:24 | 日記
 疲れたなあ。
 
 朝鮮半島には巫俗というシャーマニズムみたいな民間信仰があるみたいだけど、この人たちは祈祷師とか霊媒師とか占い師とか、そういう人たちで、いいんだろうか?。
 
 韓国ではキリスト教の信者が多いらしいけど、カトリックよりもプロテスタントのほうが多いらしい。韓国のキリスト教は巫俗と融合してるみたいだけど・・・。
 
 ウィキペディアで調べると、李氏朝鮮では1845年に朝鮮人初のカトリックの司祭が誕生したようだ。当時の李氏朝鮮ではキリスト教は邪教とみなされてたらしく、処刑されたみたいです。
 
 1866年には丙寅教獄という大規模なキリスト教の弾圧があって、フランス人神父と8000人近い信者が虐殺されたみたいです。その後にフランスと李氏朝鮮で戦争が起こったみたいです。当時の李氏朝鮮にはキリスト教の信者が23000人近くもいたんだろうか?。
 
 清では1840年にアヘン戦争があって、1856年にはアロー戦争があったみたいです。1851年から1864年の間の頃には太平天国の乱があって、カルト化したキリスト教の人たちの反乱があったみたいだ。
 
 幕末の頃の日本にはカトリックの中のパリ外国宣教会というところが来てたみたいだけど、李氏朝鮮にもパリ外国宣教会が来ていたようだ。
 
 長崎県長崎市にある大浦天主堂は元治元年(1864年)に建てられ、次の年に隠れキリシタンの人が大浦天主堂を訪れたようだ。信徒発見というみたいです。明治維新の後も、日本では、しばらくキリスト教は禁教だったようだけど、明治6年(1873年)にキリスト教の禁教が解かれたみたいです。
 
 島原の乱は寛永14年(1637年)から寛永15年(1638年)にあって、島原の乱から200年以上経って、元治2年(1865年)に隠れキリシタンの人が大浦天主堂を訪れて信徒発見ということになってるみたいです。
 
 日本のキリスト教の歴史は嘘としか思えないんだけど、そういうことができるのはキリスト教の関係者しか考えられないんだけど、どうなんだろうなあ?。
 
 パリ外国宣教会ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

細川

2021-02-28 19:54:14 | 日記
 イエス・キリストの茨の冠みたいな頭痛がする。
 
 天皇は天照大神ということになってる女性の息子と入れ替わってる気がするんだけど、古事記も日本書紀も嘘の気がするし、さっぱりわからん。
 
 福岡県田川郡添田町にある英彦山神宮は日本三大修験といわれるようだけど、天忍穂耳命を祀っていて、天忍穂耳命は天照大神の息子で、日子山が彦山になって、英の字を賜って英彦山になったみたいです。本当か知りませんけど・・・。
 
 英彦山神宮の近くに高住神社があって、高住神社では豊日別命を祀っていて、豊前や豊後の開拓神らしい。添田町には鷹巣山があるらしく、近くに高住神社があるんだろうか?。
 
 福岡県にあった小倉藩の最初の藩主は細川忠興で、細川忠興の息子の細川忠利の時に小倉藩から熊本藩に移って、細川忠利の時に島原の乱があったみたいです。本当か知りませんけど・・・。
 
 細川忠興は明智光秀の娘の珠という女性を妻にしたようですが、本能寺の変の後、明智光秀の味方にはならなかったみたいです。珠という女性はキリシタンだったらしく、明治時代になってから細川ガラシャと呼ばれるようになったみたいです。
 
 京都にある臨済宗の寺の大徳寺の塔頭で高桐院というところがあるらしく、熊本藩の細川氏の菩提寺のようです。高桐院には細川忠興の墓があるようです。日本のキリスト教の歴史は嘘の気がするけど、どうなんだろうなあ?。
 
 大徳寺ですか・・・。
 
 
 火をつけるか