東北発 歴史調査隊

明治維新の嘘を暴くブログです。

八幡

2021-08-25 23:12:28 | 日記
 明治天皇の前に本当に天皇はいたの?。
 
 明治天皇は孝明天皇と中山慶子という女性の息子らしい。本当か知らない。兵庫県宝塚市に中山寺という寺があって、明治天皇の母が安産祈願をして無事に明治天皇を出産したということから、日本で唯一の明治天皇勅願所らしい。
 
 中山寺は聖徳太子が仲哀天皇の先后の大中姫と息子の忍熊皇子と麛坂皇子の追善供養のために創建したといわれてるようだ。聖徳太子が物部守屋の霊を鎮めるために創建されたともいわれてるみたいです。
 
 仲哀天皇と神功皇后の息子が八幡神社の祭神の応神天皇ということになってるみたいです。本当か知りませんけど・・・。
 
 中山寺のHPを見ると、中山寺の奥の院には厄神が祀られてるらしい。中山寺の奥の院は山の中にあるらしく、磐座があって、忍熊王の御霊が厄神として磐座の岩窟に祀られてるようだ。日本で最初の厄神らしい。
 
 八幡宮の総本宮の大分県宇佐市にある宇佐神宮では応神天皇と神功皇后と比売大神を祀っていて、応神天皇は神功皇后の息子で八幡大神ということになってるみたいです。
 
 宇佐神宮の奥宮は御許山というところにあるらしく、大元神社という神社があって宇佐神宮の奥宮と大元八坂神社があるみたいです。宇佐神宮の境内にも八坂神社があるみたいです。
 
 宇佐神宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

北九州

2021-08-25 23:06:13 | 日記
 極道みたいな人たちのやることだからなあ。また遺体をバラバラにでもしてるんだろうか?。
 
 福岡県北九州市にある足立山妙見宮は和気清麻呂の創建らしい。和気清麻呂が九州に行った時に道鏡の刺客に襲われ、その時に猪の大群がやってきて和気清麻呂を救ったらしい。襲われた後に和気清麻呂は近くの温泉に入って傷を癒したらしく、それで立つことができたので足立山という山の名前になったみたいです。
 
 奈良時代に孝謙天皇(称徳天皇)という女性天皇がいて、孝謙天皇は譲位した後に称徳天皇として再即位したことになってるようです。
 
 称徳天皇が道鏡という僧に皇位を譲ろうとしたところを和気清麻呂が奈良から大分県宇佐市にある宇佐神宮まで行って帰ってきて、道鏡が天皇になるところを阻止したみたいです。皇族の人間じゃないと天皇になれないみたいな神託を宇佐神宮で得て帰ってきたらしいです。
 
 宇佐八幡神託事件の話も嘘の気がするけど、和気清麻呂だってさ。
 
 足立山妙見宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

和気

2021-08-25 23:03:50 | 日記
 疲れたなあ。
 
 福井県丹生郡越前町にある剣神社ではスサノオと気比大神と忍熊王を祀っていて、忍熊王は越前を開拓したようです。越前町の剣神社は織田氏の神社らしい。
 
 忍熊王は八幡神社の祭神の応神天皇の異母兄弟で、三韓征伐から帰還した神功皇后に反乱を起こしたことになってるようだ。
 
 岡山県和気郡和気町にある和気神社は和気氏の神社のようです。忍熊王の反乱は和気氏の先祖が鎮圧したことになってるらしい。和気清麻呂の話も嘘の気がするけど、和気清麻呂だってさ。
 
 和気神社ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

物部

2021-08-25 22:58:24 | 日記
 古事記も日本書紀も嘘の気がするけど、人を呪い封じ込めるのに役割分担みたいなものでもあるんだろうか?。
 
 福井県丹生郡越前町にある剣神社ではスサノオと気比大神と忍熊王を祀っていて、忍熊王は越前を開拓したようです。越前町の剣神社は織田氏の神社らしい。
 
 忍熊王は八幡神社の祭神の応神天皇の異母兄弟で、三韓征伐から帰還した神功皇后に反乱を起こしたことになってるようだ。
 
 愛知県名古屋市にある熱田神宮の御神体は草薙剣のようだけど、三種の神器の一つの天叢雲剣は草薙剣ともいって、スサノオがヤマタノオロチを斬った時にヤマタノオロチから出てきたことになってるようだ。
 
 奈良県天理市にある石上神宮は物部氏の神社で、石上神宮では布都御魂と布留御魂と布都斯魂を祀っているようです。石上神宮ではスサノオがヤマタノオロチを斬った剣の霊威は布都斯魂ということになってるみたいです。石上神宮にある出雲建雄神社では草薙剣の荒魂を祀ってるみたいです。
 
 物部氏という氏族が本当にいたのか知らないけど、人を呪い封じ込めるのに役割分担みたいなものでもあるんだろうか?。
 
 石上神宮ですか・・・。
 
 
 火をつけるか

四国

2021-08-25 22:52:06 | 日記
 お遍路ですか・・・。
 
 愛媛県の今治市の辺りには越智郡があるみたいだけど、越智氏の一族に河野氏がいて河野水軍ともいわれるようだけど、河野氏は戦国時代の終わり頃に途絶えたことになってるようだ。
 
 四国八十八ヶ所霊場の、お遍路の始まりには衛門三郎という人の伝説があるみたいです。衛門三郎は河野氏の一族の人のようです。
 
 衛門三郎は托鉢に来た空海上人に非礼なことをしてしまったらしく、空海上人に会うために四国八十八ヶ所霊場を何度も巡って、それでも会えなくて、逆からも巡ったらしい。衛門三郎は徳島県にある焼山寺で力尽き、焼山寺でやっと空海上人に会えたらしい。生まれ変わったら河野家に生まれたいといって衛門三郎は亡くなったらしく、「衛門三郎再来」と空海上人が書いた石を握って衛門三郎は亡くなったそうです。その後に河野家に生まれた子供が「衛門三郎再来」という石を握って生まれてきたそうです。その石が愛媛県松山市にあった安養寺に納められ、安養寺は石手寺になったそうです。
 
 こんなかんじでいいんでしょうか?。
 
 ウィキペディアで調べると、四国八十八ヶ所霊場も明治時代の神仏分離や廃仏毀釈の影響を受けたようだけど、特に高知県の辺りと愛媛県今治市の辺りが変わったらしい、たぶん。
 
 四国八十八ヶ所霊場ですか・・・。
 
 
 火をつけるか