なんと!胸に「KYOSHO」と入ったしかも背番号「14」の
勝負羽織とKマークのCAPがボクに届きました!!
この背番号は京商出身の大投手沢村栄治先輩が、東京読売巨人軍時代付けて
おられた番号で日本プロ野球初の永久欠番となった特別な番号なのです。
温かいメッセージが入っていて、感激に胸が震えました。
涙が出る寸前でしたが後輩の前なのでこらえ・・・
皆さんを代表してその役をになってくれたのは
京都商業野球部OB会事務局長の奥野正彦さんです。
当時監督をされておられた藤川先生はボクを憶えて
おられないでしょうねー
と・・ところが奥野さんによると憶えていて下さるそうで
ボクのピッチングの事まで伝言をして貰い嬉しい驚きでした。
あの年はキラ星のごとく大型選手が入学して来たので
期待が大きくワクワクなさったそうです。
特待生を受け入れ3年目だったと聞きました。
それなのに残念ながら京商のユニホームを着て甲子園のマウンドに
立つことなく音楽の道に向かったボクは後に志した音楽の道で歌手として
マウンドに立った事を後輩の奥野さんに伝えることが出来ました。
阪神タイガースと縁が有って応援歌を歌う機会を貰ったのです。
シーズンオフにファンのために神戸・大阪で放送されていたサンTV
の阪神タイガースの番組にレギュラー出演し「燃えろタイガース」
を毎週歌っていた訳です。
そしていよいよシーズンが始まる直前キャンプから戻った選手も参加して
甲子園球場でのファン感謝デーがやって来て・・・
あのマウンドでボクは「燃えろタイガース」と「六甲おろし」を歌ったのです!!
京商のユニホームこそ着ていなくても「京商魂」と「藤川魂」を胸に・・・
この度京都でのライヴが決まってからボクは京商野球部とどうしても
連絡を取りたい気持ちが高まり思い切ってホームページに書き込みをしました。
ホームページの管理を任されている白井久也さんが丁寧に対応して下さり
こんな素晴らしい機会が実現したのです。
白井さんは京都府KB野球連盟の広報担当の理事と云う立場で京商野球部に
貢献してくれている方でボクのライヴに駆けつけてくれたのです。
大感激をもたらしてくれた彼も大切な仲間になりました。
約半世紀の時を経て10代の野球少年に戻って京商への熱い想いを聞かせて頂く事が出来、私も感動させて頂いたと同時に人と人との縁の大切さを勉強をさせて頂きました。
野球人は幾つになっても年中無休=年中夢球です。
素晴らしい時間をありがとうございました。