智の庭

庭の草木に季節の移ろいを感じる、日常を描きたい。

昨今の問題について、独との比較から考える

2013年05月17日 | 日記
昨今のH市長のE安F問題やJ党のYのS拝問題について、私見を述べます。

これは、K総理下のS拝時、C国で暮らしていた私は、C国やK国の友人から、「なぜ?」と厳しくも冷たい口調で質問を受けました。

重要な問題なので、英語文で、私は彼女達に回答しました。

彼女達は「理解した、納得した」と頷いてくれ、交流を続けてくれました。


以下、文言はぼかして書きますが、私の友人諸君なら解読可能であろう、とご容赦願います。


S拝について、

象徴の方は「S拝していない」現実を、報道では明らかに避けています。

その方は千鳥が縁の戦没者記念碑には、毎年献花を捧げられています。

その方はA犯がYに入るまでは、S拝していたと聞きます。

つまり、YのS拝は国の総論ではなく、J党の思想ですが、長期政権のため、

長期間、繰り返し報道に取り上げられて来て、あたかも主流のように目されつつある。

ではなぜか?


WWⅡの責任、裁判、後処理について

独と比較すると、問題の理解が容易になる。

独は、陸続きの仏、蘭、ポーランド等東欧諸国に進行し、英には空爆し、ユ人に対して非道行為を行った。

米が加わり連合軍が勝利。

終結後、連合軍により独は裁かれる。つまり、独から甚大な被害を受けた仏・英が、相手国独を裁いている。

ユ人も独に対して裁判を起こし、個人補償を求め、

更には、海外逃亡した独人を、近年、アルゼンチンで捕えている。

Nチスの墓を参る人物は、独ではトップになれない。


では、翻ってアジアの過去は?

JはKやCや諸国に進行した。

米のハワイにも進行したが、米一般市民に対する攻撃までは至らなかった。

米が参戦し、終結。

米によって裁判が開かれるが、CやKは混乱の最中。

つまり一般市民に直接的な被害を受けたCとKの代表者が、裁きの場に参加していない。

そこが、米だけでなく英・仏から裁かれた独と、異なる。

当時のJの指導者は、米に負けたけれど、CやKに負けたのではない、

その意識が、当時の指導者の孫の代になる、現代のJ党の根底にあるように感じる。



後にJが経済復興を遂げた頃、KのE安F問題が浮上し、

個人補償をしない代わりに、Kの軍事政権に経済援助という形で、お茶を濁してしまった。

現代に例えると、外国で交通事故に合って、その補償金は日本の役所に納めましたので、問題は終わりました、と言われて、納得する人はいない。

個人へ行われた罪は、その個人へ償われなければ、償ったことにはならない。



思うに、これは「男の業」のなせる問題であろうか・・・・

夫婦喧嘩でさえも、明らかに夫に非があるときでも「ごめんなさい」と言えない。

「男の甲斐性」とか言って、「甲斐性」の実態も無いのに開き直ったり。

「勝ち負け」に拘るのは、人間も野生の動物と同じ所以か、

雄はメスをめぐって、戦い勝ったものだけが子孫を残せる、

「闘争本能」が英知を曇らせるのか、、、

相手の立場で考え、相手の痛みを我が事として想像できるような人物は、

そもそも政治家には、ならないのか、、、


















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