ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔08 七五の読後〕 【蝶々はなぜ葉の裏にとまるのか】 稲垣栄洋 著 /三上修 絵 草思社

2008年07月09日 | 2008 読後の独語
【蝶々はなぜ葉の裏にとまるのか】 日本人の暮らしと身近な植物                  稲垣栄洋 著 /三上修 絵 草思社

昨年の夏から秋の菜園でモンシロチョウを追い回した。
キャベツ、ハクサイ、ブロッコリーにたくさんの菜虫がついて、採取するのにおおわらわ。
そこで、今回この本を読んでみた。

□ 蝶 □

●おみ足で触ってチヨウは卵生む

●葉の裏に残す卵はひとつだけ  
チョウたちは子孫繁栄のため、餌場に多くの卵を産まないそうだ。  
昨夏、私は畑に虫網をたてかけモンシロチョウを見つけると親のかたきのように追った。
なかなか彼女たちはすばしこく「キャーッ、やめといて」とひらりひらりと体をかわして飛廻りやがて隣家の垣根内に消えてゆく。  
かくて、その子の菜虫はキャベツ、ハクサイ、ブロッコリーでいやになるほど生ま れた。  
チョウの生態を知りたくてこの本を読んでみたが、菜の花などは他の害虫を寄せ付けないためにカラシ油配糖体を出して虫を追っ払うのだが、皮肉にもそれがチヨウをひきよせる匂いになっているそうだ。

●菜の花をサクラにされたチヨウのうた
 菜の花にとまっていた蝶々がいつのまにか桜にもとまってこちらが歌では本流になっている。
 「ちょうちょう」で歌われているモンシロチョウは、実際には桜にはなかなかとまらない。
それに見ていると菜の花ではなくて菜花の裏の葉にとまることが多い。
 そこで卵一つだけを産卵してゆくわけだ。
 ところが唱歌のちょうちょうは桜の花にとまるべきとなっている。

蝶々

 作詞 野村秋足
 ちょうちょう ちょうちょう。   菜の葉にとまれ。   
 菜の葉に飽いたら、桜にとまれ。   
 さくらの花の、さかゆる御代に、とまれよ 遊べ、遊べよ とまれ。

戦前の小学校唱歌にあえてとり入れられた「桜花国策」という匂いがしなくもない。

□ 松 □

● めでたさや平安後期にまつ飾り  

 松の歴史は永いがまつ飾の歴史も古いことがわかった。鎌倉時代の前にはその風習があった。

★ 松枯れて竹だくびなきあしたかな  
三方ヶ原の戦い後、武田側からの挨拶句が徳川方に届いた。
 是に対して酒井忠次は
「松枯れで竹だくびなきあしたかな」とやりかえした。
徳川はこうして頭を落とした竹を松で包い囲って門松として祝った。
この名残りが正月の松飾伝承となった、とこの本にあった。

● 植物に4億年余の知恵はあり
● 針葉樹 時代遅れのかっこよさ
厳寒でも松のみどり失わず、凛然としたただずまいに人は魅かれる。 不老長寿のめでたさをそこに感じる。
 針葉樹は歴史的にもっとも永く生きぬきながら、極寒の地を生きてぬいてきた昔のままの機能だけで不器用に今も生きている。

□ 早春 □

●早春に先駆けて咲けカタクリ花  

今春、栃木佐野のミカモヤマで見たカタクリは野にして凛として、そして可憐だった。 はじめて見た花だった。

●ザゼンソウ 暖かくして虫を呼ぶ
●ザゼンソウ 腐肉の匂いでハエ誘う  
雪の中でもこの花の”お堂”の中は20度だそうだ。
 僧堂といわれるものの、なんとなくなまぐささもある。
 江戸の土手出没のヨタカの感じがなくもない。

●アブ誘う 浮気封じの黄花原
アブはあまり頭が良くないから他の種類の花のところへ花粉を運んでいってしまう。
そうなっては困るからあたり一面に同じ黄色の花が咲くとのこと。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿