ジッタン・メモ

ジッタンは子供や孫からの呼び名。
雑読本の読後感、生活の雑感、昭和家庭史などを織り交ぜて、ぼちぼちと書いて見たい。

〔09 七五の読後〕 【人生後半戦のポートフォリオ】 水木 楊 文春新書

2009年06月23日 | 〔09 七五の読後〕
【人生後半戦のポートフォリオ】水木 楊 文春新書

著者は元日経のベテラン記者。
私が懇意にしていた社の経済部記者にS・Yがいた。
北海道育ちの彼が定年でスパッとやめ、屋久島へ移住し農業をはじめた。
読後、人生後半戦の2人の生き方、その説くところが似ているような気がした。

● 時給なく 自給でやるのが定年後
自分の分給を計算してみて、「オッ意外に貰ってたんだと思い、よしッもう一丁やってみるか」と五十代の時に出向社に赴いた。
はじめての社長室という仕事や営業開発という職分も無理に惚れるように自分を仕向けてなんとかこなせた。
でも満期で退職していまや年金暮らし。
野菜作りで自給している。

● 年収を2000で割れば出る時給
1年は12ヶ月。標準労働日数を22日として 12×22×8=2112 
あなたの年収÷2122 
で、あなたの時給が算出されるとこの本にあった。  
主婦の時給は805円で、1分あたり13円40銭だそうだ。
この800円というのが数字の曲者で何年間も私の住む町の時給と同じ水準になっている。
一方で、あなたは自由な時間1時間が手に入るとするならば、いくらまでなら払っていいかと設問があり、1000円以上が53%。 その中に1万円以上出しても欲しい人が人が3.5%いた。
 そんな自由時間にあこがれて、私は1000日前から逆算時計を回した。
 「リタイアまで あと ○○日です」のあれだ。
我々の時は、62歳から厚生年金が出る仕組みだったから お偉いさんから「定年後も残って仕事をしませんか」とお誘いを受けたがこれは、丁重にお断り申し上げた。

●後半戦 金もいらなきゃ、名もいらぬ
人生後半戦の生活の場は職域より地域だ。
金よりも、モノよりも、自由な時間が欲しい。
還暦をもって即退職したのは、やったことのない野菜作り、碁・将棋精進、テニス、読書、小さな旅を十分に楽しみたかったからだ。 この1000日はあっという間だった。
だが、「あと何日」は逆にサラリーマン最後のご奉公時間としてむしろ仕事には、一段のヤル気も生まれたような感じだった。

● 気をつけよう家が倉庫になっていく
働かないのだから、正味資産を食い潰し他人時間を減らす生活となった。
資産が少なければ愛着も湧く。
だけどその逆も生まれてくる。
子どもが独立し出ていった家は広くなる。
広くなれば物を置く。
物を買う、また置くが繰り返されると家がだんだん倉庫化してくる。
捨てられない、もったいないという人が女性に多いようだ。
カミさんも同居していたおふくろもそうだった。
大切なものを空き箱に入れる。それを重ねる。
中身が見えない箱を高い場所に 置く。
それを何段にも積む。
おふくろさんは90歳で逝ったのだがあとの整理で、どうしてこんなものがここにと思うケースが多々あった。

● 一、囲碁 次(ジ)、野菜 三、整理

後半戦は自分への投資がだいじだ。
へこたれない体を作り、上手いビールを飲む為にテニスをし厨房にも入る。
テニスは会費は月額7000円。 
公民館での囲碁と将棋はそれぞれ年間2000円。
碁石だけはふんばった。 銀座の専門店で大枚5万円をはたいて蛤石を買った。
鋤、鍬、小型管理機、肥料なども野菜作りのための必要投資だ。
NPOを通じて農する仲間とも知り合った。
簡明に生きたいからいろいろ整理をしてゆく。
整理の理には料理の理を含む。
喜んで厨房入りをするのは、脳トレになることを実感しているからだ。

● 長野県 PPKが合い言葉

PPKとはピンピンコロリのこと。
老人医療費が全国でいちばん低いのが長野県。
死ぬ直前まで元気でいようということで食生活と体操に各地域が力を注ぐ。
予防運動がすすんでいるそうだ。

「モノを買うことは消費者の本来の目的ではなく手段である。最も重要なのは一日二十四時間をどう過ごすか、やりがいのある仕事をし、楽しい食事や余暇を楽しみ、適度な休息をとる。その実現のために必要なのがモノである」
ノーベル賞 ゲーリ・S・ベッカー(労働経済学) の言葉が引用されていたからそのまま抜いておく。

時間は無形資産の最たるもの。
いくらモノをもっても楽しい時間は過ごせない 時間という無形資産を使い込めば価値が出る。
私の相方の無形資産は木彫りと折り紙とかな文字にヨガ。
折り紙で作った立体傘、薔薇が日々ちいさく飾られている日だ。

● 嫁の家事 昔とくらべりゃ2時間減
昭和20~30年代の母たちは、一日中こま鼠のように働いていた。
あれから50年。
全国友の会の調査によれば主婦が家事につかう時間は、この40年間で2時間以上も減った。
白モノ家電で取り囲まれた結果だ。
かくて女性85歳、男78歳という数字の違いにも現れてくる。
この本の夫婦2人での生活費月額25万5000円のバランスシートの内訳は大変参考になった。

● たっぷりの時間を前にたじろいて
テレビの前にゴロ寝しているリタイア後の男たちの日々。
だが、一つの城に2人の城主はいらないのが非情な現実だ。
オレがアルジと思っていても、いままでは亭主を送りだした人が実は城の主だったのだ。
 「メシだ、風呂ッ、寝るっ! オレは働き疲れて帰って来るんだ」 私の先輩たちのこの言葉と理屈はもはや利かない、通らない。
かくて昼間に自由時間があった主婦に新たな負担が襲う。
ゴロ寝の我が君は料理などにはとんと無縁の人生だった。
どこかへ出かけたらと言われても、内心は人見知りタイプのほうだから出たがらない。
ならばと主婦同士が旅に出て、亭主元気で留守番がいいの構図が生まれてくる。
時間はたっぷりあるのだが、使い道がわからない。
なんとなく気分が落ち込んできて鬱模様になってくる。
真面目なタイプにアルコール依存症になるケースも多い。
 これは、旧友と「ところで、あいつ、今どうしてる」という情報交換のなかでの、一部の仲間たちにある悲しい現実なのだ。

昔、給与振込みが会社から提案されて組合委員会で討議されたことがあった。
それまでは札束が詰まった給料袋やボーナスを家族一同の前で渡すこともあってか、親父は偉い!すごい!感謝!立派だ!という観念がどの家にもあった。
そこへ給与振り込みの提案だ。
議場で若いジッタンはこう提案した。
 「これは男の威厳、亭主の威厳が失われるかも知れない歴史の一こまだ。
提案そのものにうなづくわけにもいかないが、同じ総務局の仲間が袋詰め作業の大変さもまた理解できる。
よって拍手でシャンシャンと承認する形よりキチンと無記名投票をやり我々の意思を記録に残したい」
結果は振込み案は了承されたが、なんと反対票は三分の一強の数を数えた。
男たちの思いは同じだったのだ。

あれから40年 
その後、男はだんだん弱くなってきて、カミさんはだいぶ強くなってきた。
最近では「草食系男子」とか「肉食系女子」のことばさえ生まれている。  
親父の居場所がテレビに変られ、給料袋のありがたみと父親の存在が軽んじられてきた歴史だ。
その親父が家庭に帰ってくる。
そこでどうなる。
たっぷりの時間をこれからどう過ごす?

●後半戦 時間こそ君 わがいのち
他人に使う時間の時代は終わった。
余分の時間が生み出された。
カネとモノの獲得のために費やす時間は終わったのだからそこに忙しくなるのはあほらしい。
いままでは仕事こそがいのちの時代もあった。
好きでない仕事もくふうして好きになるように心がけている内、いつしかあばたもえくぼに変って熱を入れてやり遂げたこともあった。
だが他人時間に使う時間はもう卒業したのだ。
後半戦に社の就業規則などに縛られた生活はない。
あこがれの君とは、たっぷりの自分時間だ。

●自分こそ 自由時間の主人公
自由時間とは自分に由る時間だ。
その時間こそいのち。
君こそいのち、わが命で後半戦を行こうではないか。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿