能率技師のメモ帳 経済産業大臣登録中小企業診断士・特定社会保険労務士の備忘録

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江田島・海軍兵学校、海上自衛隊幹部候補生学校に行ってきました!坂の上の雲を目指した日本人の気概とプライド

2023年05月05日 | 旅行

ゴールデンウイークの広島県島嶼部へのドライブ。

広島県呉市から音戸大橋を渡って倉橋島へ、そして早瀬大橋を渡って能美島、江田島へ。

潮風を感じながら走る気持ちのいいドライブを楽しむことが出来ました。

目的地は、江田島の海軍兵学校、海上自衛隊幹部候補生学校。

海軍兵学校は、明治21年(1888年)に帝国海軍の将校を養成するために設置された学校。

敗戦のため昭和21年に廃校・・・その後、この地に海上自衛隊幹部候補生学校、第一術科学校が設置されました。

海軍兵学校は、日本中からスーパーエリートが集まることで知られていました。

海兵の試験に落ちた学生は、東大や京大に入学していたそうです。

 

海軍兵学校、海上自衛隊幹部候補生学校の見学は1日4回。

海上自衛隊のOBの方にガイドしていただけます。

入口で手続きをすませて、敷地内の駐車場へ。

ガイドされた海自のOBの方・・・お話、とっても面白かったです。

まずは、大講堂。

卒業式や天皇陛下が行幸された時に使用されたホールです。

床の模様は、そこに立つと自動的に整列できるといった工夫が凝らされています。

海軍兵学校は、アメリカのアナポリス、英国のダートマスとともに「世界三大兵学校」として知られているそうです。

大講堂の隣には、幹部候補生学校。

通称「赤レンガ」と呼ばれています。

当時の大日本帝国・・・世界の7つの海を制覇した大英帝国の海軍をモデルとして、英国海軍を徹底的にマネするところから始まったとのこと。

海軍兵学校は、軍人を養成するとともに外交官を育成するための学校でもあったようです。

食事、睡眠、制服・・・すべて英国式。

午前6時に起床ラッパ・・・ベットメークして制服に着替えて3分後の6時3分には校庭に整列したそうです。

さらには成績第一主義。

勉学の成績順に席次が決まり、卒業証書も成績順に番号が振られていたそうです。

ハッモックナンバーは卒業後の出世にも影響しました。

選りすぐられたスーパーエリートを更に鍛える・・・すごい学校です。

この「赤レンガ」も英国から全て輸入・・・レンガ一個ごとに油紙で包装し、英国から輸入しました。

レンガ一個は現在の価値でいうと一個4万円。

坂の上の雲を目指した日本人の気概とプライドを感じさせます。

海上自衛隊OBのヨットの師匠から、いつも言われていた言葉を思い出しました。

「スマートで、目先がきいて、几帳面、負けじ魂、これぞ船乗り」

最後は、教育参考館。

こちらには、幕末から第二次世界大戦までの海軍関係者の遺品や遺書が展示されています。

ガイドの方の案内で、入口で一礼して入館。

館内の撮影は禁止です。

昭和天皇が行幸された時、この教育参考館に入る時、自ら靴を脱がれ靴下のまま館内を視察されたとのこと・・・陛下の英霊に対する真摯な想いがそうさせたのだと思います。

スーパーエリートたちが国を守るために自らの命を賭して敵に体当たりしていく・・・。

特攻隊員の遺書・・・二十歳を過ぎた若者たちが遺した遺書・・・涙なくして読むことが出来ません。

知覧に行った時にも思ったのですが、志を持った志士たちの達筆な文字や文章、国や親を思う心、ノブレスオブレージ・・・そのような方たちのおかげで今の日本があると言っても決して過言ではないと思います。

「人生で壁にぶつかったら知覧(鹿児島県)に行け」と言った先輩の経営者がいました。

行ってみると、確かに、そのとおりでした。

当時の若者たちがとった行動・・・その熱い想いと志・・・日本人が決して忘れてはいけない歴史的な事実。

右とか左といった思想的なことではなく、人間として、どう生きるべきかを教えていただける場でした。

海軍兵学校の裏山・古鷹山。

標高300メートル超。

普通の人が登ると2時間くらいかかるそうです。

が、当時の海兵学生は平均20分で頂上に達したそうです。

少子高齢化による人口減少、国際競争力の低下、地政学的なリスク・・・日本の未来は決して明るいものではありません。

でも、もう一度、坂の上の雲を目指して歩み始めなければならないと感じた江田島への旅でした。


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