信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。
神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
ヘブル 11: 6
このみことばは、教会の今年度(2009年度)の聖句です。
信仰によって生きるとは、どういうことでしょうか。
新改訳聖書では、「信仰によって」となっていますが、詳訳聖書では「信仰に迫られ、信仰に促され、信仰にかられて、信仰の目をもって、信仰にめざまされて、信仰に動かされて、信仰の助けによって」となっています。
信仰の先輩たちは、すべての判断、行動、思考、選択の基準に「信仰」を置いていました。
自分の利益、安楽、賞賛、認められること、プライド、生きがい、自己実現、将来性を優先させなかったのです。
( )書きが詳訳聖書です。
信仰(に迫られて、促されて、かられて)、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。
ヘブル 11: 4
信仰(のゆえに)、エノクは死を見ることのないように移されました。
ヘブル 11: 5
信仰(に促されて)、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。
ヘブル 11: 7
信仰(に励まされて)、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。
ヘブル 11: 8
信仰(に促されて)、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。
ヘブル 11: 9
信仰(のゆえに)、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。
ヘブル 11:11
信仰によって、アブラハムは、試みられたときイサクをささげました。
ヘブル 11:17
信仰(の目をもって)、イサクは未来のことについて、ヤコブとエサウを祝福しました。
ヘブル 11:20
信仰(に促されて)、ヤコブは死ぬとき、ヨセフの子どもたちをひとりひとり祝福し、また自分の杖のかしらに寄りかかって礼拝しました。
ヘブル 11:21
信仰(にかられて)、ヨセフは臨終のとき、イスラエルの子孫の脱出を語り、自分の骨について指図しました。
ヘブル 11:22
信仰(に促されて)、モーセは生まれてから、両親によって三か月の間隠されていました。
ヘブル 11:23
信仰に(目ざまされて)、モーセは成人したとき、パロの娘の子と呼ばれることを拒み、 はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。
ヘブル 11:24~25
信仰(動かされて)、彼は、王の怒りを恐れないで、エジプトを立ち去りました。目に見えない方を見るようにして、忍び通したからです。
ヘブル 11:27
信仰(神に対する単純な信頼と確信)によって、初子を滅ぼす者が彼らに触れることのないように、彼は過越と血の注ぎとを行ないました。
ヘブル 11:28
信仰(に励まされて)、彼らは、かわいた陸地を行くのと同様に紅海を渡りました。
ヘブル 11:29
信仰(のゆえに)、人々が七日の間エリコの城の周囲を回ると、その城壁はくずれ落ちました。
ヘブル 11:30
信仰(に促されて)、遊女ラハブは、偵察に来た人たちを穏やかに受け入れたので、不従順な人たちといっしょに滅びることを免れました。
ヘブル 11:31
彼らは、信仰によって、国々を征服し、正しいことを行ない、約束のものを得、ししの口をふさぎ、火の勢いを消し、剣の刃をのがれ、弱い者なのに強くされ、戦いの勇士となり、他国の陣営を陥れました。
ヘブル 11:33~34
信仰によって、勝利を得たり願いがかなった信仰の勇者がいます。
しかし、信仰によって願ったものを手に入れることができなかった信仰の勇者もいます。
女たちは、死んだ者をよみがえらせていただきました。
またほかの人たちは、さらにすぐれたよみがえりを得るために、釈放されることを願わないで拷問を受けました。
また、ほかの人たちは、あざけられ、むちで打たれ、さらに鎖につながれ、牢に入れられるめに会い、 また、石で打たれ、試みを受け、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊ややぎの皮を着て歩き回り、乏しくなり、悩まされ、苦しめられ、 ――この世は彼らにふさわしい所ではありませんでした。――荒野と山とほら穴と地の穴とをさまよいました。
この人々はみな、その信仰によってあかしされましたが、約束されたものは得ませんでした。
ヘブル 11:35~39
どちらにしても、信仰によって歩むことが大切です。
イエス様に信頼してイエス様の喜ばれる道を歩むことです。
こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。
信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。
ヘブル 12: 1~ 2
神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。
ヘブル 11: 6
このみことばは、教会の今年度(2009年度)の聖句です。
信仰によって生きるとは、どういうことでしょうか。
新改訳聖書では、「信仰によって」となっていますが、詳訳聖書では「信仰に迫られ、信仰に促され、信仰にかられて、信仰の目をもって、信仰にめざまされて、信仰に動かされて、信仰の助けによって」となっています。
信仰の先輩たちは、すべての判断、行動、思考、選択の基準に「信仰」を置いていました。
自分の利益、安楽、賞賛、認められること、プライド、生きがい、自己実現、将来性を優先させなかったのです。
( )書きが詳訳聖書です。
信仰(に迫られて、促されて、かられて)、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。
ヘブル 11: 4
信仰(のゆえに)、エノクは死を見ることのないように移されました。
ヘブル 11: 5
信仰(に促されて)、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。
ヘブル 11: 7
信仰(に励まされて)、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。
ヘブル 11: 8
信仰(に促されて)、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。
ヘブル 11: 9
信仰(のゆえに)、サラも、すでにその年を過ぎた身であるのに、子を宿す力を与えられました。
ヘブル 11:11
信仰によって、アブラハムは、試みられたときイサクをささげました。
ヘブル 11:17
信仰(の目をもって)、イサクは未来のことについて、ヤコブとエサウを祝福しました。
ヘブル 11:20
信仰(に促されて)、ヤコブは死ぬとき、ヨセフの子どもたちをひとりひとり祝福し、また自分の杖のかしらに寄りかかって礼拝しました。
ヘブル 11:21
信仰(にかられて)、ヨセフは臨終のとき、イスラエルの子孫の脱出を語り、自分の骨について指図しました。
ヘブル 11:22
信仰(に促されて)、モーセは生まれてから、両親によって三か月の間隠されていました。
ヘブル 11:23
信仰に(目ざまされて)、モーセは成人したとき、パロの娘の子と呼ばれることを拒み、 はかない罪の楽しみを受けるよりは、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。
ヘブル 11:24~25
信仰(動かされて)、彼は、王の怒りを恐れないで、エジプトを立ち去りました。目に見えない方を見るようにして、忍び通したからです。
ヘブル 11:27
信仰(神に対する単純な信頼と確信)によって、初子を滅ぼす者が彼らに触れることのないように、彼は過越と血の注ぎとを行ないました。
ヘブル 11:28
信仰(に励まされて)、彼らは、かわいた陸地を行くのと同様に紅海を渡りました。
ヘブル 11:29
信仰(のゆえに)、人々が七日の間エリコの城の周囲を回ると、その城壁はくずれ落ちました。
ヘブル 11:30
信仰(に促されて)、遊女ラハブは、偵察に来た人たちを穏やかに受け入れたので、不従順な人たちといっしょに滅びることを免れました。
ヘブル 11:31
彼らは、信仰によって、国々を征服し、正しいことを行ない、約束のものを得、ししの口をふさぎ、火の勢いを消し、剣の刃をのがれ、弱い者なのに強くされ、戦いの勇士となり、他国の陣営を陥れました。
ヘブル 11:33~34
信仰によって、勝利を得たり願いがかなった信仰の勇者がいます。
しかし、信仰によって願ったものを手に入れることができなかった信仰の勇者もいます。
女たちは、死んだ者をよみがえらせていただきました。
またほかの人たちは、さらにすぐれたよみがえりを得るために、釈放されることを願わないで拷問を受けました。
また、ほかの人たちは、あざけられ、むちで打たれ、さらに鎖につながれ、牢に入れられるめに会い、 また、石で打たれ、試みを受け、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊ややぎの皮を着て歩き回り、乏しくなり、悩まされ、苦しめられ、 ――この世は彼らにふさわしい所ではありませんでした。――荒野と山とほら穴と地の穴とをさまよいました。
この人々はみな、その信仰によってあかしされましたが、約束されたものは得ませんでした。
ヘブル 11:35~39
どちらにしても、信仰によって歩むことが大切です。
イエス様に信頼してイエス様の喜ばれる道を歩むことです。
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こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。
信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。
ヘブル 12: 1~ 2