シャロームチャペルからあなたへ

苫小牧めぐみキリスト教会シャロームチャペルのブログです。

苫小牧 秋の樽前山

2006-09-25 23:02:38 | エッセイ
 会社の窓から見える紅葉ちょっと前の秋の樽前山です。四季折々の樽前山が毎日手に取るように見えます。樽前山はいつもいろいろな顔を見せてくれます。自然は美しく、私たちの心を和ませ癒してくれます。聖書に「私は山に向かって目を上げる。私の助けは、どこから来るのだろうか。私の助けは、天地を造られた主から来る。(詩篇121篇1,2節)」そうです。美しい自然を見ていると、これを造られた神様の知恵とご性質を知ることができます。自然が神なのではありません。自然に神が宿っているのでもありません。自然は造られたもので、神様は創造された方です。そして、その神様とはイエス・キリスト様なのです。・・・・、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。(コロサイ1章16節)」自然が私たちを助けたり、救ったり、罪を赦してくれるわけではありません。それを造ったイエス・キリスト様が救ってくれるのです。

癒されたい人は・・・・・・・

2006-09-24 21:25:15 | 礼拝メッセージ
 ユダの罪は鉄の筆と金剛石のとがりでしるされ、彼らの心の板と彼らの祭壇の角に刻まれている。彼らの子たちまで、その祭壇や、高い丘の茂った木のほとりにあるアシェラ像を覚えているほどだ。 エレミヤ 17章1,2節

 旧約の時代、ユダの国は天地創造をされた真の神様を捨てて、人間が考えて作り出した偶像を拝むようになっていました。預言者エレミヤは神様の言葉を預かって国民に伝えましたが、だれも聞く耳を持ちませんでした。 神様はすべての人間、私たちにも語っておられます。

 
主はこう仰せられる。「人間に信頼し、肉を自分の腕とし、心が主から離れる者はのろわれよ。                     エレミヤ 17章5節

 
主に信頼し、主を頼みとする者に祝福があるように。 エレミヤ 17章7節

 神様はすべての人を愛して罪の赦しと救いと永遠の命を与えようとしておられます。しかし、すべての人を受け入れるわけではありません。神様を認め、愛し、従う人を受け入れてくださいます。イエス様の十字架の死が私のためであったことを信じて、救いと癒しを求める祈りをしましょう。次のように祈るだけでOKです。

 
私をいやしてください。主よ。そうすれば、私はいえましょう。私をお救いください。そうすれば、私は救われます。あなたこそ、私の賛美だからです。
                                  エレミヤ 17章14節

 
そして、神様・イエス様を礼拝する日を大切にするところから始めましょう。一週間のスタートをイエス様を礼拝するところからはじめることです。(聖書を正しく教えている教会に出かけましょう。)

 
また、安息日に荷物を家から出すな。何の仕事もするな。わたしがあなたがたの先祖に命じたとおりに安息日をきよく保て。   エレミヤ 17章22節

 罪を捨てて神様・イエス様に信頼する時からあなたのうちに癒しが始まるのです。

同じ結末がすべての人に来る。しかし・・・・・・

2006-09-17 22:54:36 | 礼拝メッセージ
「同じ結末がすべての人に来るということ、これは日の下で行われるすべての事のうちで最も悪い。」                (伝道者の書9章3節)

 
神様を信じていても信じていなくても、誠実に歩んでも誠実に歩まなくても、すべてのことが同じように起こるなら神様を信じなくても、誠実に歩まなくてもいいのではないだろうか。多くの人が考えるご利益宗教の考え方です。確かに、私たちの身には望まない願わないことがやってくるものです。私たちがどんな状況でもイエス様を信じ続けるのかどうか試されています。すべては主の御手の中にあるのです。自分にとって得だからとか自分にとって都合が良いから神様を信じるというのでは、私たちが神様を信じるのではなく私たちが神様になってしまっているのです。神様は私たちに死に至るまで忠実であるように求めておられます。それが私たちにとって最善最高の生き方だからです。

いつもあなたは白い着物を着、頭には油を絶やしてはならない。」
                                (伝道者の書9章8節)


 神様はここで、状況がどんなに暗くても自分自身にとって不利であっても、罪から離れた誠実な生活と聖霊様(神様)に満たされ導かれた生活をするように求めておられます。私たちの命はこの世だけで終わるのではありません。すべての人が神様の前に立って裁きを受けるときがやってきます。次に世のために罪を悔い改め、イエス様によって罪を聖めていただいて天に宝を積む生活をいたしましょう。
 窮地の時にあなたはどのように行動しますか。
 
 イエス様を信じ続けますか?
 
 投げやりになってイエス様から離れますか?

とまこまい2006たるまえサンフェスティバル

2006-09-17 20:55:47 | エッセイ
 とまこまい2006たるまえサンフェスティバルへ行って来ました。「一万人のバーベキュー」をキャッチフレーズに多くの家族連れや老若男女で賑わっていました。みなさん、美しい大自然と収穫の秋を満喫していました。ところで、神様が造って与えてくださった大自然の素晴らしさ、私たちに対する神様のめぐみを知って感謝してますか。

 「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手の業を告げ知らせる。」
                                    (詩篇19篇1節)
 「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。」
                             (マタイの福音書6章11節)

 神様とイエス様に感謝しましょう。

クラーク博士

2006-09-11 00:28:15 | エッセイ
はじめて羊ヶ丘展望台に行ってきました。秋晴れの素晴らしい天気でした。羊が黙々と草を食み、シルバーの札幌ドームが輝き、札幌の町並みが一望できました。「イエス・キリストにあって少年よ大志を抱け」と言われたと言われているクラーク博士が人の歩むべき道を指し示しているようでした。残念なのはすぐそばにおみくじが販売されていたことです。クラーク博士も涙を流しているでしょう。

クラーク博士が旅立ったという島松の記念碑にも行ってきました。ここでかの有名なことばを発せられたそうです。国道の喧騒から離れ、ひっそりと建
っていました。
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信仰のための戦い

2006-09-10 23:50:04 | 礼拝メッセージ
 愛する人々。私はあなたがたに、私たちがともに受けている救いについて手紙を書こうとして、あらゆる努力をしていましたが、聖徒にひとたび伝えられた信仰のために戦うよう、あなたがたに勧める手紙を書く必要が生じました。 というのは、ある人々が、ひそかに忍び込んで来たからです。彼らは、このようなさばきに会うと昔から前もってしるされている人々で、不敬虔な者であり、私たちの神の恵みを放縦に変えて、私たちの唯一の支配者であり主であるイエス・キリストを否定する人たちです。
                             ユダの手紙 1章3~4節
         
 今はキリスト教会の中でさえみことばから離れ、宗教に陥ってしまっている時代です。「神の恵みによってすべて赦されているから聖書の律法を軽んじてもいい」と言う考えを聖書は否定し、そのような人の考えに警告を与えます。イエス様を信じて従う道は戦いの道です。イエス様を主と信じる人は以下のことをすることができるのです。うれしいですね。感謝しましょう。ハレルヤ。
 
1.私たちは主の兵士です。
 人や自分と戦うのではなく、サタン、悪霊、罪と戦う者です。
 
2.私たちには祭司としての役目があります。 
 兄弟姉妹や隣人のためにとりなしの祈りをする働き。イエス様の罪の赦しを宣言する働き。

3.宗教や罪を是認する生活ではない。
 「彼らは、そのようなことを行なえば、死罪に当たるという神の定めを知っていながら、それを行なっているだけでなく、それを行なう者に心から同意しているのです。」ローマ 1:32 
 (偶像礼拝や罪の生活はサタン・悪霊と親しい関係づくりをすることになります。大変危険です。)

4.光の子としての生活
 暗闇の生活ではなく光の中の生活が行える。

5.信仰に満ちた生活
 
「そのように、信仰は聞くことから始まり、聞くことは、キリストについてのみことばによるのです。」ローマ 10:17 (毎日毎日聖書を読みましょう。)
                   
                             (9月8日 特別学び会より)

心の包皮を切り捨てろ

2006-09-03 17:58:49 | 礼拝メッセージ
 あなたがたは、心の包皮を切り捨てなさい。もううなじのこわい者であってはならない。あなたがたの神、主は、神の神、主の主、偉大で、力あり、恐ろしい神。かたよって愛することなく、わいろを取らず、みなしごや、やもめのためにさばきを行ない、在留異国人を愛してこれに食物と着物を与えられる。     申命記 10章16~18節
 
 神様は大自然や生物の不思議を通し、聖書を通し、イエス様を心から信じてしたがっているクリスチャンを通して、言い続けておられます。「かたくなな心を捨て、全てのものを造り、支配しておられる神様の前に罪を悔い改めて従いなさい」人は自分の力で命を保ち、自分自身を養い育てることはできません。私たちは生かされているのです。

 イスラエルよ。今、あなたの神、主があなたに求めておられることは何か。ただ、あなたの神、主を畏れてそのすべての道に従って歩み、主を愛し、心を尽くし、魂を尽くしてあなたの神、主に仕え、あなたのしあわせのために、私が、きょう、あなたに命じる主の命令と主のおきてとを守ることである。見よ。天ともろもろの天の天、地とそこにあるすべてのものは、あなたの神、主のものである。  申命記 10章12~14

 天地の主、神様を認めましょう。神様が求めておられるとおりに生活しましょう。それが最も幸いな生き方です。そのためには、イエス様によって罪を赦していただいて神様と和解しなければなりません。その救いがすべての人の目の前に差し出されているのです。感謝して受け取りましょう。条件はただ一つ「プライドを捨てる」ことだけです。

苫小牧の夜景 樽前山のシルエット

2006-09-02 23:37:35 | エッセイ
 9月に入ったとたんに秋めいてきました。今日は苫小牧のシンボル樽前山が日没後の雲のない空にくっきりと浮かんでいます。自然のすばらしさを感じる雄大で美しい風景です。光と影だけで人の心を惹きつけます。この自然を造られた神様(創造神)の偉大さと人間の小ささを感じます。
 でも、聖書には「私はあなたを愛している」と神様が私たちに語っているところがあります。そうです、イエス様の十字架の死と復活を見るときに、神様がどれほど私たち一人ひとりを愛しておられ、救おうとしておられるかがわかります。
 あなたも私もちっぽけな価値のない、愛される必要のない、いてもいなくてもいい、邪魔くさい存在ではなく、神様の目からも人の目からもものすごく価値のある存在なのです。心から感謝して聖書のことばとイエス様を受け入れましょう。そうすれば、あなたは心からハッピーになれますよ。

牧歌の教会

2006-09-02 23:17:41 | エッセイ
  日高地方の牧場地帯に車を進めて行くと木立に囲まれた教会が目に留まった。六角形か八角形の珍しい教会堂だ。私たちの罪のためにイエス様が自ら付いてくださった白い十字架が深緑の間に輝いていた。日本中どこの田舎に行っても神社と寺がある。このような田舎に教会があるのは驚きだ。
  日本人は優秀で勤勉な民族と言われるが、全てのものを造り、恵みを持って私たちを養っていてくださる創造の神様を忘れて山や川、動物や人間を神様にしてしまっている。今、まことの神様は私たちに悔い改めを命じておられる。偽りの神、偶像を捨ててまことの神様に立ち返ることを望んでおられる。
   都会でも田舎でもまことの神様が信じ受け入れられてあちこちに教会堂が建ち、福音が宣べ伝えられて神様が礼拝されることを祈り求めます。