シャロームチャペルからあなたへ

苫小牧めぐみキリスト教会シャロームチャペルのブログです。

イエス様にふさわしい者

2010-02-28 17:58:16 | 礼拝メッセージ
 わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。
 わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。
 なぜなら、わたしは人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです。
 さらに、家族の者がその人の敵となります。
 わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。
 また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。
 自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。
 自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。
                                   マタイ 10:34~39

 イエス様を信じて従うことに対して、みんなが喜んで賞賛してくれるわけではありません。
 もしみんなが喜んでくれるのであれば、イエス様は十字架につけられることはなかったでしょう。
 今まで神様を認めず、サタン・悪霊・罪の支配の中にあって罪に従っていた者が、罪を捨ててイエス様の支配に移されたわけですから、必ず罪の世界との摩擦が生じます。
 家族や友だちなど身近な人から反対が起こります。
 イエス様はそのことを身を持って体験され、あらかじめ私たちに注意してくれたのです。
 プライドと利益と自己中心を捨てない限り、私たちに本当の平安や喜びや満足はやってきません。
 自分自身をしっかり守って、自分を満足させたとしても、それはつかの間、やがて空しく崩れ去り、別のものを求めるようになります。そして、それは永遠に対して何の力もありません。


 
息子は父親を侮り、娘は母親に、嫁はしゅうとめに逆らい、それぞれ自分の家の者を敵としている。
 しかし、私は主を仰ぎ見、私の救いの神を待ち望む。
 私の神は私の願いを聞いてくださる。
 私の敵。私のことで喜ぶな。私は倒れても起き上がり、やみの中にすわっていても、主が私の光であるからだ。
 私は主の激しい怒りを身に受けている。
 私が主に罪を犯したからだ。
 しかし、それは、主が私の訴えを取り上げ、私を正しくさばいてくださるまでだ。
 主は私を光に連れ出し、私はその義を見ることができる。それで、私に向かい、「あなたの神、主は、どこにいるのか。」と言った私の敵は、これを見て恥に包まれる。
 私もこの目で敵をながめる。今、敵は道の泥のように踏みにじられる。
                                     ミカ 7: 6~10


 私たちが、罪ゆえにイエス様から懲らしめられて、敗北者のように打ちひしがれていても、それは、一時的なものです。
 悔い改めて主に立ち返るならば、いくら敵対者が嘲って罵っても、主は私たちを立ち上がらせて下さいます。
 光に連れ出し、イエス様の十字架のゆえに義と認めて下さいます。
 どんなに状況が最悪と見えても、イエス様に信頼して従いましょう。
 サタン・悪霊・罪・死を打ち破って勝利を得られたお方は、イエス様しかいません。
 すべてを支配し、最後に裁きを行なうお方はイエス様だからです。

三石川にハクチョウ

2010-02-22 21:40:34 | エッセイ
 三石川の河口にオオハクチョウがたくさんいました。

 私が子供の頃は見たことがないように思います。

 国道235号から水際まで下りられる階段がついていました。(右岸側)

 餌も備え付けられていました。(100円)
(人が餌を与えるのは良くないようですね。)

 

 

 カモ類も見られました。

 白黒のカモはホオジロカモですかね。

 

良心と聖霊様

2010-02-21 14:00:07 | 礼拝メッセージ
 神にはえこひいきなどはないからです。
 律法なしに罪を犯した者はすべて、律法なしに滅び、律法の下にあって罪を犯した者はすべて、律法によってさばかれます。
 それは、律法を聞く者が神の前に正しいのではなく、律法を行なう者が正しいと認められるからです。
 ―律法を持たない異邦人が、生まれつきのままで律法の命じる行ないをするばあいは、律法を持たなくても、自分自身が自分に対する律法なのです。 彼らはこのようにして、律法の命じる行ないが彼らの心に書かれていることを示しています。彼らの良心もいっしょになってあかしし、また、彼らの思いは互いに責め合ったり、また、弁明し合ったりしています。―
                                  ローマ 2:11~15

 私はキリストにあって真実を言い、偽りを言いません。次のことは、私の良心も、聖霊によってあかししています。
                                      ローマ 9: 1

 イエス様は、聖霊様を通し、私たちの良心を用いて語っておられます。
 いくら「私たちは神の民、選ばれた民、律法が与えられている。異邦人とは違う。」と言っても、イエス様の言いなりになっていなければ意味がありません。
 イエス様は、自然界を通し、聖書を通し、教会を通し、良心を通して語っておられます。
 その内なる声を押し留め、軽くあしらっているとだんだん心が鈍感になってしまい聞こえなくなってしまいます。


 主は、私たちの神。私たちは、その牧場の民、その御手の羊である。きょう、もし御声を聞くなら、 メリバでのときのように、荒野のマサでの日のように、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。
 あのとき、あなたがたの先祖たちはすでにわたしのわざを見ておりながら、わたしを試み、わたしをためした。
 わたしは四十年の間、その世代の者たちを忌みきらい、そして言った。
 「彼らは、心の迷っている民だ。彼らは、わたしの道を知ってはいない。」と。
 それゆえ、わたしは怒って誓った。「確かに彼らは、わたしの安息に、はいれない。」と。
                                   詩篇 95: 7~11

  「ちょっとくらい伝道しなくていいや。教会集まりをずる休みしちゃえ。献金額を下げてしまえ。」内なる声を否定していると、どんどんイエス様のお心から離れてしまいます。

 私の福音によれば、神のさばきは、神がキリスト・イエスによって人々の隠れたことをさばかれる日に、行なわれるのです。
 もし、あなたが自分をユダヤ人ととなえ、律法を持つことに安んじ、神を誇り、 みこころを知り、なすべきことが何であるかを律法に教えられてわきまえ、 また、知識と真理の具体的な形として律法を持っているため、盲人の案内人、やみの中にいる者の光、愚かな者の導き手、幼子の教師だと自任しているのなら、どうして、人を教えながら、自分自身を教えないのですか。盗むなと説きながら、自分は盗むのですか。
 姦淫するなと言いながら、自分は姦淫するのですか。偶像を忌みきらいながら、自分は神殿の物をかすめるのですか。
 律法を誇りとしているあなたが、どうして律法に違反して、神を侮るのですか。 これは、「神の名は、あなたがたのゆえに、異邦人の中でけがされている。」と書いてあるとおりです。
 もし律法を守るなら、割礼には価値があります。しかし、もしあなたが律法にそむいているなら、あなたの割礼は、無割礼になったのです。
 もし割礼を受けていない人が律法の規定を守るなら、割礼を受けていなくても、割礼を受けている者とみなされないでしょうか。
 また、からだに割礼を受けていないで律法を守る者が、律法の文字と割礼がありながら律法にそむいているあなたを、さばくことにならないでしょうか。
 外見上のユダヤ人がユダヤ人なのではなく、外見上のからだの割礼が割礼なのではありません。
 かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。
 その誉れは、人からではなく、神から来るものです。
                                  ローマ 2:16~29

  「自分は洗礼を受けている。神様も聖書も福音も知っている。献金もしてる。人にも教えられる。」と思っていても、イエス様に従うことを嫌がって愚痴り、教会の悪口を言い、兄弟姉妹を嫌がっていたら上記のユダヤ人と同じです。
 「隠れたクリスチャン。聖霊様による導き。心の洗礼。」を求めて神様からの栄誉を受けましょう。  

真理に歩む幸い

2010-02-14 16:44:38 | 礼拝メッセージ
 兄弟たちがやって来ては、あなたが真理に歩んでいるその真実を証言してくれるので、私は非常に喜んでいます。  
 私の子どもたちが真理に歩んでいることを聞くことほど、私にとって大きな喜びはありません。                        Ⅲヨハネ 3,4  

 兄弟姉妹が真理に歩んでいることを長老であるヨハネは心から喜んでいました。 
 真理とは、イエス様であり、聖霊様であり、正しい教理、正しい信仰と言えるでしょう。 
 Ⅲヨハネでは、そのほか2つのことが真理に歩む道として記されています。
   

 ①主の働き人をもてなす。
 

 愛する者よ。あなたが、旅をしているあの兄弟たちのために行なっているいろいろなことは、真実な行ないです。  
 彼らは教会の集まりであなたの愛についてあかししました。あなたが神にふさわしいしかたで彼らを次の旅に送り出してくれるなら、それはりっぱなことです。  
 彼らは御名のために出て行きました。異邦人からは何も受けていません。  
 ですから、私たちはこのような人々をもてなすべきです。そうすれば、私たちは真理のために彼らの同労者となれるのです。
                                    Ⅲヨハネ 5~8
 
 当時も巡回伝道者や巡回教師が活動していました。今日も主の働き人を受け入れて必要を満たし、お世話をするならそれは主に喜ばれることです。聖書の中には主の働き人とは知らずに受け入れて祝福を受けた人たちのことが記されています。
 私たちが、主の働き人を歓迎するなら、その働きの同労者になれます。



 ②兄弟姉妹を受け入れる。 

 それで、私が行ったら、彼のしている行為を取り上げるつもりです。彼は意地悪いことばで私たちをののしり、それでもあきたらずに、自分が兄弟たちを受け入れないばかりか、受け入れたいと思う人々の邪魔をし、教会から追い出しているのです。 
 愛する者よ。悪を見ならわないで、善を見ならいなさい。善を行なう者は神から出た者であり、悪を行なう者は神を見たことのない者です。
                                     Ⅲヨハネ 10,11

 デオテレペスは自分の思いどおりにしようとして、使徒ヨハネをバカにし、自分の言うことを聞かない兄弟姉妹を排斥し、イエス様を信じて加わろうとする人までも追い出していたのです。
 ガイオやデメテリオは真実に役割を果たして賞賛されていますが、自分勝手なデオテレペスは非難されています。
 
 真理に歩むとは、聖書に忠実に歩むことであり、聖書のみことばを自分の生活に適用していくことです。
 真理はあなたを自由にします。(ヨハネ8:32)
 
 使徒ヨハネは兄弟姉妹が真理に歩む姿を見て心から喜んでいます。もちろんイエス様も喜んでいます。
 私たちも真理に歩んでいれば、イエス様から喜ばれ、信仰の導き手、信仰の先輩から喜ばれます。
 「一時はイエス様を信じて歩んでいたけれど、教会から離れ、信仰をなくし、今はどうなっているかわかりません。」となったら、イエス様や信仰の先輩はどれほど悲しむでしょう。

へりくだりを受け入れてくださるイエス様

2010-02-07 13:12:20 | 礼拝メッセージ
 彼女は彼らに答えた。
 「イスラエルの神、主は、こう仰せられます。『あなたがたをわたしのもとに遣わした人に告げよ。 主はこう仰せられる。見よ。わたしは、この場所とその住民の上にわざわいをもたらす。彼らがユダの王の前で読み上げた書物にしるされているすべてののろいをもたらす。  
 彼らはわたしを捨て、ほかの神々に香をたき、彼らのすべての手のわざで、わたしの怒りを引き起こすようにした。わたしの憤りはこの場所に注がれ、消えることがない。』  
 主に尋ねるために、あなたがたを遣わしたユダの王には、こう言わなければなりません。『あなたが聞いたことばについて、イスラエルの神、主は、こう仰せられます。  
 あなたが、この場所とその住民についての神のことばを聞いたとき、あなたは心を痛め、神の前にへりくだり、わたしの前にへりくだって自分の衣を裂き、わたしの前で泣いたので、わたしもまた、あなたの願いを聞き入れる。        ―主の御告げです―                  
                               Ⅱ歴代誌 34:23~27

 ヨシヤ王は「ユダ王国の最後にして最大の改革者」と呼ばれています(紀元前640~609年)。
 八歳で王になり、徹底的に宗教改革を断行しました。
 偶像を破壊し、神の宮を修理し、きよめが行なわれ、過越しの祭りが復活しました。 
 神の宮修復時に発見された律法の書(申命記?)によって悔い改めがなされ、神様との契約が更新されました。
 神様の言葉を大事にして受け入れ、従ったのです。
 
 神様はどんなに罪にまみれてしまった者であっても、悔い改めとへりくだりを認めれば、しっかりと受け止めて応えてくださる方です。



 神よ。私をお守りください。私は、あなたに身を避けます。
 私は、主に申し上げました。「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません。」
                                  詩篇 16: 1,2


 主は、信頼してみもとにくる者を放ってはおかれません。 
 私たちも詩篇の作者のように主に告白して主に願い求めましょう。
 自分の望みをかなえるために主を利用するのはやめましょう。イエス様に自分自身をゆだねましょう。  

 ヨシヤ王は、ユダ王国において大宗教改革を実行しましたが、国民の応答は弱く、神様のさばきを回避するには遅すぎました。 
 約20年後、首都エルサレムは陥落し、バビロン捕囚へとつながって行きました。
      

今日の苫小牧は寒い!!!!!!

2010-02-04 20:31:18 | エッセイ
 とにかく寒いですね。  

 今朝の苫小牧の最低気温は、ー15.5℃でした。最高気温は-5℃です。  

 久々のー15℃越えです。  

 こちらは今日の樽前山です。
 


     これは、支笏湖に行く途中で撮った樽前山と風不死岳です。

     


 これは、アップです。

 東側から見ると雰囲気が違いますね。